34 波乱の舞踏会の終幕
私は会場から少し離れた回廊で、満月を見上げていた。
この世界の月は銀色に輝いている。クレーターが存在しない其れは、まるで磨き上げられた銀盆のようだ。
黄色いお月様の中で餅つきしているウサギが、急に懐かしくなった。
今日こそはフェリクス様に褒めて貰えるかと思ったのに、まさか咎められるなんて。
頑張って着飾っても、所詮私は悪役令嬢。フェリクス様には男を誘惑するふしだらな女にしか見えないのだわ。
(なぜここは小説の世界で、なぜ私は悪役令嬢なのかしら)
現実逃避でそんなことをぼんやり考えていると、後ろから声がした。
「こんなところにいたの」
フェリクス様は少し息を乱しているように見えた。
私は月を見上げながら、ぽつりと呟いた。
「他のご令嬢達みたいに着飾ってはいけませんでしたか。そして一度でいいから女性として意識してもらいたいと願うことも駄目だったのでしょうか」
「君は誰に女性として意識して欲しかったのかな。ユリウス、ランベール伯爵令息、それともミハイル殿下?」
フェリクス様が温度のない優しい声で問いかけてくる。
「違います! 私はただフェリクス様に⋯⋯」
「他の男のこともそんな瞳で見つめたの?」
私の言葉を遮り、じりじりと距離を詰めてくる彼に違和感を覚え、思わず私は後退りした。
大きな大理石の柱に背中がぶつかり、ひんやりとした感触が肌を撫でる。
「私はずっと前から君を女性として見ているよ、ロゼ」
初めてロゼと愛称で呼ばれた。だけど不穏な気配に圧倒されて、無邪気に喜べない。
私をまるで檻で囲うかのように、フェリクス様が両手を柱につける。お互いの吐息がかかるほどに距離が近づいた。
「私のロゼ。君を閉じ込めてしまいたくなるよ」
目の前の美しい彼はそう言った。
こちらを射貫くサファイアの瞳には、今まで見たことがない仄暗い色が浮かんでいた。
「今日だって嫉妬で気が狂いそうなんだ。君があまりにも魅力的だから。美しい君を誰にも見せたくない。誰にも盗られたくない。どこかに隠してしまいたい。鎖で繋いで逃げられないようにしたい。君が美しくなればなるほど、私の手からこぼれ落ちていきそうで怖くてたまらない――」
彼のサファイアの瞳の奥がどろりと蕩けた。
「こんな醜い感情を知られたくなかった。ずっと隠していたのに、君に溺れていることを。好きだよ、ロゼ。絶対に誰にも渡さない」
そして次の瞬間、唇を奪われた――
♢♢♢
やがて唇が離れると、フェリクス様は、まるで何処にも逃さないと云わんばかりに私を抱きすくめた。私の心臓の鼓動は、壊れてしまいそうなほどの早鐘を打っていた。
お互い沈黙したまま、どれくらい時間が経ったのだろうか。
「あの、フェリクス様。先ほどのお言葉は⋯⋯」
私がやっとのことで口を開いたその時、デイジー様が凄い勢いで駆け寄ってきた。
「フェリクス様、だまされちゃだめです! その人はフェリクス様を駄目にする『傾国の妖精』なんです!」
「君は何を言っているんだ。ロゼは『傾国の妖精』などではない。私の大切な婚約者だ」
フェリクス様は私を抱き寄せたまま、冷たい視線をデイジー様に向けた。
その場に国王陛下と教会派閥の面々が連れ立って現れた。
「この騒ぎは何事だ、フェリクスよ」
「何でもありません、父上」
デイジー様は両の拳をぎゅっと握りしめながら、国王陛下に訴えた。
「国王陛下! プリムローズ様はフェリクス様だけでなく、ユリウス様やイバン様やたくさんの男子生徒を誘惑していました! あたし見たんです!」
教会派の面々がここぞとばかりに騒ぎ立てる。
「なんとまあ嘆かわしい。やはり『傾国の妖精』の噂は真実でしたか。国を傾ける悪女が王太子妃になるなど恐ろしい」
「王族貴族を次から次へと誑かすなど、とんでもない悪女ですな。先程も他国の王族に色目を使っていたそうじゃないですか」
「神に誓ってそのような行いはしておりません!」
私はありもしないことを並べ立てられ、反論の声をあげる。
「父上、聖女殿の言うことは事実ではありません」
フェリクス様が国王陛下に進言すると、陛下は思案するように顎に手を当てた。
「聖女殿の言うことが事実かどうか精査する必要があるな。プリムローズ嬢、すまぬが事実が判明するまで貴宅で待機してくれるか?」
国王陛下直々にそう言われると、私は諾と答えるしかない。
「はい⋯⋯仰せのままに」
「うむ。あまり待たせぬようにする」
そして国王陛下はフェリクス様の肩に手を置いて、そっと小声で言った。
「溺れてはいけないと忠告したのは覚えておるな?」
「私は父上との約束を違えてはおりません。そのことを必ず父上に証明してみせます」




