31 波乱の舞踏会の展開
顔が赤くなったままの私の所に、イバン様がやってきた。
「美しいご令嬢、次のワルツは私と踊っていただけませんか?」
「ええ喜んで」
見知りの顔にほっとしてイバン様の手を取る。
今日のイバン様は光沢のある濃灰色のスーツを着用している。
いつもはシャツのボタンを開けているので、ボタンをきちんと留めてタイをしている姿は珍しい。そんな着こなしでも漂う色気は健在だ。スパイシーな香水がイバン様の雰囲気によく合っている。
「そのエメラルドの首飾りは婚約者殿からの贈り物? すごく価値があるものに見えるけど」
イバン様が私の胸元をじっと見下ろしながら尋ねた。
「フォルトア聖国からの贈り物よ。わたくしには勿体ない代物だわ」
「君にとても似合っているよ。ミハイル王太子殿下って君の従兄弟なんだってね。君のエメラルドの瞳はフォルトア聖国由来なんだね」
「ええ、母が聖国王の妹なの。王家によく出る色らしくて『聖なる緑』と呼ばれているわ」
イバン様が私を華麗にリードしながら言った。
「今日の君はとても妖艶で魅力的だよ。フェリクス殿下も気が気じゃないだろうね」
「そうかしら、フェリクス様は普段どおりだったわ。少しくらい見惚れてくれてもいいと思わない?」
私は拗ねるように言った。
「そう思っているのは君だけだと思うよ」
イバン様は訳知り顔で苦笑した。
イバン様とのダンスが終わってワインで喉を潤していると、外交官のランベール伯爵が声をかけてきた。イバン様のお父様だ。
「実は困ったことが起きまして。是非とも力を貸して頂きたいのです」
「まあ、どうなさったのですか?」
「貴女はジャシル語をどの程度習得なさっておられますか?」
ランベール伯爵はそう尋ねたあと、事の経緯を話し始めた。
「本日、ジャシル国王が来訪されているのですが、国から連れてきた通訳が急な腹痛で先程からトイレに籠ってしまわれて」
まあそれはお気の毒だわ。
ランベール伯爵は眉を下げながら続ける。
「国王陛下は各国の来賓と順番に挨拶なさっていて、次がジャシル国王の番なのです」
「それの何に問題が?」
王族は世界各国の言語を習得されているのよね?
王族の義務なのよね?
通訳要らないわよね?
国王陛下は王族の頂点に立つお方ですもの。もちろんジャシル語も習得されているんでしょ?
あちらにいるアントニウス王弟殿下なんて、お忍びでよく外国に行ってらっしゃるじゃないの。「ジャシルに遊びに行ってきたんだ、はいこれお土産」って木彫りのお面を頂いたことがあるもの。
王弟殿下と談笑しているユリウス殿下だって優秀ですもの。すでに習得されている可能性は高いわ。
「実は全ての言語を習得されているのは、フェリクス殿下お一人だけでして。フェリクス殿下は他の来賓対応中で、すぐにはこちらに来れず⋯⋯」
衝撃の事実に、私は思わず遠い目になってしまった。
「自信はありませんが、やれるだけのことはやってみますわ」
つい先日、なんとか中級編のテキストまで終わらせておいてよかったわ。
私はジャシル国王と我が国の国王陛下の間に立った。
国王陛下は私に向かって、宜しく頼むよとばかりに、うむ、と頷いてみせた。ちなみに悪びれた様子は微塵もない。
ジャシル国王は、褐色の肌に橙色の髪、そして金色の瞳をしており、百獣の王ライオンを彷彿とさせる偉丈夫だ。
今日は自国の民族衣装をお召しになっている。逞しく鍛えた上半身には黄金の豪奢な首飾りと、鮮やかな色の布を片方の肩に掛けただけの解放感溢れる装いだ。
なんとか通訳をこなし安堵していると、ジャシル国王が私の背中に手を添えて抱き寄せてきた。
そうだった、ジャシル国は挨拶のハグをする慣習があったわね。私も恐る恐るハグを返す。
『そなたのような美しい女性は今まで見たことがない』
ジャシル国王は金色の瞳を甘く蕩けさせ、私を抱き寄せる手に力を込めてきた。国王の逞しく鍛えた胸筋が、私の頬にあたって戸惑ってしまう。
『私の七番目の妃に迎えたい。そなたを今すぐ国に連れてかえる。良いな?』
ジャシル国王が耳元で囁く。甘さを含んだ低音ボイスに心臓が跳ねる。
ななばんめのきさき。聞き間違いではないわよね!?
これって社交辞令やジャシル流ジョーク? それとも本気なの?
ええと、お断りの丁寧な言い回しはジャシル語の文法だと⋯⋯、と回らない頭で考える。
その時、後ろから流暢なジャシル語が聞こえてきた。
『彼女は私の大切な婚約者ですので、陛下の妃となることは叶いません』
フェリクス様だわ! 助かった⋯⋯
フェリクス様は、私を己の腕の中へ引き寄せてくれた。
ジャシル国王はとても残念がって、『どうしても駄目か、油田一つと交換でどうだ』と食い下がっていたが、やがて名残惜しそうに去っていかれた。
「ありがとうございました。フェリクス様」
「いや、君が連れ去られたら大変だからね。間に合ってよかったよ」
すごいわ、本当に世界三十カ国の言語を習得なさっているのね。フェリクス様を尊敬の眼差しで見つめていると、ミハイル兄様の声がした。
「さすがロゼだね。ジャシル国王にまで求婚されるなんて。助けに入ろうとしたけど、フェリクス殿下に先を越されたよ」
ミハイル兄様は一部始終を見ていたのだろう。誂うように片目を瞑った。
「大切な婚約者を守るのは、私の役目ですから」
フェリクス様は、腕の中に私を留め置いたまま答えた。
「今日のロゼに吸い寄せられる男は後を絶たないね。私もそんな一人だよ。哀れな私にどうか一曲踊る慈悲を与えてくれないかな、女神様」
ミハイル兄様はそう言うと私の手を掬い、ダンススペースへ連れ出した。
ダンスを踊るミハイル兄様は、やっぱり精霊エルフのように美しかった。一つに束ねたブルーブロンドの長い髪が揺れて幻想的だ。かと思えば、男性らしく力強いリードをしてくるのでギャップに戸惑う。
「そのドレスやっぱり似合ってる」
「こんな素敵なドレスを着ることができて嬉しいわ。兄様、本当にありがとう」
踊りながらお礼を伝えると、ミハイル兄様はエメラルドの瞳を細めた。
「とても綺麗だよ、ロゼ」
腰をぐっと引き寄せ、耳元で甘く囁かれる。
今日のミハイル兄様はいつもと違うような気がするわ。どうしたのかしら?
ダンスが終わると、ミハイル兄様は私のエメラルドの首飾りに触れながら言った。
「本気で私のお嫁さんにならない?」
「もうミハイル兄様ったら」
冗談ばっかり、と続けようとして見上げると、こちらに向けるエメラルドの瞳がいつになく真剣なことに気づいた。
言葉を失っていると、いきなり誰かに腕を掴まれた。驚いて振り返るとフェリクス様だった。
「こっちに来るんだ」
フェリクス様は私の腕を引いて、早足で会場の隅に連れて行く。
こんなに強引で一方的な態度を取られるのは初めてのことで、私は余程のことがあったのかしら、と不安な気持ちでフェリクス様の背中を見つめた。
会場の隅にある大きな柱の陰までくると、フェリクス様は私に向き直った。
「君は一体何人の男に言い寄られているんだ。こんなことは言うまいと思っていたが、今日の君の装いは危険だ。もう退席した方がいい」
フェリクス様は、私の今日の姿がお気に召さなかったようだ。
ミハイル兄様が素敵なドレスを贈ってくれて、アンヌも頑張って身支度をしてくれた。
私は今日こそフェリクス様に褒めてもらえるかもしれない、見惚れてくれるかもしれない、なんて淡い期待を抱いていたのに。なんて滑稽なのだろう、と自分を嗤いたくなった。
やっぱり小説の筋書きと同じようになるのだわ。
フェリクス様には、私が妖艶な容姿を武器にして、周りの男たちを次々と籠絡しているようにしか見えないのだ。そして、ふしだらな婚約者に振り回されるのに疲れ、清楚で一途なヒロインに惹かれていく⋯⋯
「大変申し訳ございませんでした」
苦言を呈す彼に一言謝るのが精一杯だった。これ以上ここにいたら、きっと醜態をさらしてしまう。
私は涙を堪えると、俯いたまま足早に会場を出た。




