29 公爵令息ルシアンの回想
私とミハイル殿下はロゼの部屋を出て、公爵邸の応接室に場所を移した。
「お嫁においで、とは強ち冗談でもなさそうですね、ミハイル殿下」
「私はいつでも本気だよ。それより前みたいにミハイル兄様って呼んで欲しいなあ、ルシアン」
ミハイル殿下は意味ありげな微笑を浮かべている。
私は、彼をミハイル兄様と呼んでいた頃のことを思い返した。
***
あれは僕が十歳の時。
僕とロゼは、その年もフォルトア聖国を訪れた。
予定よりも早く到着した僕とロゼは、ミハイル兄様とアイリーンが外で剣の稽古をしていると聞き、その場所に向かった。
僕達のいとこのミハイル兄様とアイリーンは、二人ともブルーブロンドの髪にエメラルドの瞳を持ち、精霊エルフのように美しい顔立ちをした兄妹だった。
「お兄様、お覚悟なさいませ!」
鬼のような形相で、ていや、と斬りかかるアイリーンの剣を、ミハイル兄様は微笑を浮かべながら流している。
「だいぶ上達したねえ。もう少ししたらアイリーンに負けてしまうかもしれないなあ」
「お兄様、もっと本気だしてください!」
アイリーンはプリプリと怒りながら、凄まじい勢いで剣を繰り出していく。
しばらくして僕らに気づいたアイリーンは、あ! という顔をして、剣を後ろ手に隠した。
「アイリーン、剣を習っているの? すごくかっこいいわ!」
アイリーンと同い年のロゼは、瞳をきらきらさせながら尋ねる。
「ち、違うの! お兄様の剣をちょっと持たせてもらっただけよ。とても重くて、わたくしには扱えそうにないわ」
頬を赤らめて僕をチラと見ながら、アイリーンは必死に言い訳をしていた。
*
翌日、宮殿の庭で遊んでいたとき、僕は風に飛ばされた帽子を追いかけて、その場を離れた。
僕が戻ってきたことに気づいていない三人は、何やら騒がしい様子だった。
ミハイル兄様が慌てた声を出している。
「うわあ、カエルが肩に乗ってる」
アイリーンはカエルをひょいと素手で掴むと、草むらにそっと逃がした。
「カエルちゃん、おうちにお帰りなさい」
ロゼが、アイリーンすごいわ、と手をパチパチ叩いている。
アイリーンは両手を腰にあてて言い放った。
「お兄様、未来の国王たる者がカエル一匹を怖がってどうします? 暗殺者に毒蛇を差し向けられることだって有り得るのですよ!」
ミハイル兄様は、そうだよね~、と眉を下げている。
僕が三人と合流すると、アイリーンが傍にきた。
「ルシアン、あの草むらにカエルがいたの。飛び出してきたら怖いから、宮殿まで抱っこして」
僕が抱きかかえると、アイリーンは嬉しそうに頬を染めた。
一部始終を見ていたロゼが、両手を口に当てて笑いをこらえている。そんなロゼの頭を、ミハイル兄様は優しく撫でていた。
ミハイル兄様の言動は、時として理解不能だ。
昨日彼は、カエルを大きい順に並べて遊んでいたし、草むらから出てきた毒蛇を素手で退治していた。
*
僕がアイリーンを抱きかかえ、ミハイル兄様はロゼと手を繋いで、宮殿に四人で戻っていた時。
ミハイル兄様がロゼに尋ねた。
「婚約者のフェリクス殿下ってどんな人?」
「とても素敵な方よ。わたくしには勿体ないくらい」
ロゼは頬を染めながら答えた。
「ふうん。ロゼのこと、お嫁さんにしたかったのにな。横取りされた気分だよ」
ミハイル兄様は小さな声で呟いた。
「ミハイル兄様、何か言った? よく聞こえなかったわ」
ロゼは小首を傾げて彼を見上げた。
「んーん。何でもないよ。もし、その彼がロゼを大切にしなかったら、その時は私がロゼを攫いにいくからね」
「兄様は心配してくれているのね。でも大丈夫。フェリクス様はとてもお優しい方だから」
ロゼはにっこりと笑った。
「そっか。ロゼの幸せを祈ってるよ。それから誕生日おめでとう、私の可愛いロゼ」
ミハイル兄様はロゼの髪に赤いリボンを結んであげて、それから少し寂しそうに笑った。
***
そんなことを思い出しながら、私は尋ねた。
「ロゼにどうしてドレスを用意したんです?」
「いつも地味なドレスしか着ていなかっただろう? 着飾ったロゼを見てみたくてね」
「最近はロゼも華やかな恰好をすることが増えたんですよ。どういう心境の変化かわかりませんが。でもロゼの教育係からそのうち指導が入るでしょうね」
私は溜息をつくと、ティーカップを口元に運んだ。
「公務ならともかく、私的な場での格好まで口出しされてるそうだね。行き過ぎているよ、この国は。ああロゼにだけ厳しいのか」
ミハイル殿下は、肘掛けに腕を預けながら続けた。
「でも婚約者殿が黙認しているということは、その指導とやらは都合がいいんだろうね。悋気が強いタイプなのかな。まあ少しは虫除けの効果があるかもしれないからね」
私は空になったカップをテーブルに置いた。
「相当拗らせていますからね。『傾国の妖精』の話を国王陛下に持ち出されて、愛情表現を控えているから余計に。妖精がどこかへ行ってしまわないか気が気じゃないんですよ」
「ふうん。優秀なフェリクス殿下もそちら方面は不器用なんだ。意外だね。隠れて上手くやる方法なんていくらでもあるのにね」
「フェリクスは純粋なんですよ、あなたと違って」
私がそう言うと、彼は美しい笑みを見せた。




