20 王太子の侍従は黒縁眼鏡をかける
フェリクス殿下の侍従となり、早や十一年が過ぎた。
殿下に初めて会ったのは、俺が十五歳、殿下が七歳の時。まだ侍従見習いだった俺に、フェリクス殿下は「よろしくね」と微笑んでくれた。
完全に作り物の笑顔だったが。
フェリクス殿下はとても美しい王子で、そして極めて優秀な頭脳の持ち主だった。
乾いた砂が水を吸うように、あらゆる分野の学問をすぐに習得した。一目見るだけで絵画のように頭の中に記憶することができるらしい。
そんな人間が存在するのか?
俺も記憶力はいい方だが、まだ子どもである殿下の足元にも及ばなかった。
そんな殿下を神童だと誰もが賞賛したが、本人は特に喜ぶこともなく、淡々と王子の役目をこなしていた。
まるで王子という仮面をつけた人形だな。
フェリクス殿下には一つ下の弟がいた。顔立ちは似ているのに、性格はまるで違っていた。
弟のユリウス殿下は表情豊かで人懐っこく甘え上手で、年相応に無邪気な子だった。
フェリクス殿下も人当たりはいいが、幼馴染の二人以外には本心を見せない。そして我儘どころか、自分の願望を一切口にしない。
ユリウス殿下にも優しく接し、弟が欲しがるものは快く何でも譲ってあげていた。
昆虫図鑑、船の模型、望遠鏡、珍しい鳥の羽を使ったペン。
おそらく何に対しても執着心が湧かないのだろう。
感情を表に出さず穏やかな笑顔を貼り付けて、卒なく王子としての役割をこなす。
でも、それでいいのか。一人の人間としての幸せは、一体どこにあるんだろうな。
俺のような人間に、幸せなど語られたくないだろうけど。
♢♢♢
ある雨の日の公務の帰路で、馬車が急停止した。
外から多数の殺気を感じる。外の様子を伺うと護衛騎士が賊と剣を交えていた。ああ頭数がこっちの三倍だ、劣勢だな。
「殿下。私が外に出たら馬車の鍵をお閉めください。そして絶対に外に出ないでください」
俺はマントのフードを被って外に出た。
雨で眼鏡が曇って見えねー。
俺は眼鏡を外し、賊の一人の首を腕で絞めて気絶させ、そいつの剣を奪った。次々と賊を斬り倒して、あっという間に片付ける。
(弱っちい奴らだったな)
馬車に乗り込む前に、眼鏡をかけ直した。
ふと視線を感じると、殿下が馬車の窓から俺を見ていた。正確に言うと、黒縁眼鏡の奥に隠されていた俺の瞳を。
馬車に乗り込むと、フェリクス殿下のサファイアの瞳が、斜め向かいに座った俺をじっと見つめている。
「ルビーみたいに綺麗な瞳だね」
***
俺はもう一つの顔がある。それは王家の影だ。
俺は影としてフェリクス殿下の護衛を命じられている。
そして、表向きは侍従ということになっている。近くで護ることができるので好都合だ。
俺は王家の影の一門に生まれ、幼少期から訓練を受けていた。 たぶん適性があったのだろう、十三歳の頃にはすでに一門の中で親父の次に腕が立つ存在になっていた。
十四歳の時、闇魔術の術具の取引が行われている闇オークションに一人で乗り込み、会場にいる闇組織の奴らを屠りまくった。
そして俺は親父に半殺しにされた。
全員殺すな、生け捕りにして、拷問にかけて情報を得なければいけないと。
その事件以降、俺の赤い目は恐れられて、裏社会で『ブラッド・アイ』と呼ばれるようになった。
十五歳になった俺は、フェリクス殿下専属の影に任命された。
鮮血のような赤い目は目立つので、瞳の色を変えることができる高価な術具を手に入れた。
フェリクス殿下の高貴なサファイアの瞳に、血に塗れたような俺の赤い瞳など映してはいけない。
♢♢♢
フェリクス殿下の侍従になって一年が過ぎた頃。
殿下の婚約者を決めるための茶会が開かれることになった。
招かれた令嬢の中から誰を選んでもよい、と国王陛下からのお達しがきた。
「僕は相手が誰でも構わないんだけどな。父上が決めて下さればいいのにね」
フェリクス殿下は執務机の上に頬杖をつきながら呟いた。
「参加するご令嬢方の姿絵も取り寄せておりますが。ご覧になりますか」
「いらないよ、令嬢の外見では判断しないから。容姿だけ良くても国の利益にならないでしょ。家門と派閥さえわかればいい。どうせ親子揃って挨拶に来るだろうから、当主の顔だけ頭に入れておくよ」
殿下は、現当主の姿絵が載った貴族名鑑をパラパラとめくりながら答えた。
殿下、随分と冷めてるじゃないか、まだ八歳なのに。
だけど、恋っていうのは突然落ちるものらしいからな。
そう考えた俺は、一晩かけて令嬢の姿絵と家門を全て頭に叩き込んだ。
それにしても、アメティスト公爵家のプリムローズ様の外見の良さは抜きん出ているな。凄い綺麗な子じゃないか。公爵令嬢でこの容姿なら誘拐未遂とか日常茶飯事だろう。きっと優秀な護衛がついてんだろうな。
人の顔の美醜に全く興味のない殿下が、プリムローズ様を見てどんな反応をするか、俺はちょっと楽しみになってきた。そういう楽しみでもないとやってられないからな、この仕事は。
そうして茶会の当日。
「すぐ戻る」といって、フェリクス殿下は会場の死角になっている場所へ向かった。
そこはさっきプリムローズ様が向かっていった場所じゃないか!
俺はこっそりつけることにした。
もちろん影の任務を全うするためだ。断じて野次馬根性からの行動ではない。
お、フェリクス殿下がプリムローズ様を見つけた。
離れた所から様子を伺ってるぞ。
うお、近づいて話しかけてる。まじか。
表情は変わらないが、時々胸を押さえているな。
この反応はどうなんだ? 人が一目惚れした瞬間を、実際見たことないから判断がつかない。
その後、知らん顔して殿下を迎えに行った。殿下は名残惜しそうにその場を離れた。
そして「さっきの水色のドレスの令嬢の名前は?」と尋ねてきた。
きたきたきたーー!!
やっぱりこれって一目惚れだろぉ?!
俺は口元が緩むのが抑えられなかった。
「先程のご令嬢は、アメティスト公爵のご長女プリムローズ様でございます」
殿下はその名前を聞いて、ほんの一瞬だけ沈痛な表情を見せたが、すぐにいつもの王子様の顔に戻った。
「ねえ、令嬢達の姿絵、持ってたよね」
俺は黙ってプリムローズ嬢の姿絵を差し出した。
俺じゃなきゃ見逃すくらいのほんの僅か、殿下の頬に赤みが差した。
くうぅ、可愛いじゃないか!
俺の口元がまた緩んでしまった。
ここだけの話、俺には一つだけ欠点がある。極度の笑い上戸なのだ。
必死に堪えるのだが、口元が緩むのが止められない。
困ったことに、笑ってはいけないと思えば思うほど、可笑しくなってしまうのだ。
王宮など腹の探り合いのような場所では、感情を表に出すことは致命傷になる。
この笑い上戸という欠点を、フェリクス殿下は見抜いているが、聡明な彼は一々指摘などしない。
厄介なのは、殿下の乳兄弟で護衛候補のアルフレッド・イグニス侯爵令息だ。さすが英雄イグニス閣下の子息だけあって、八歳にしてはくっそ腕が立つ。
このくそガキは「ラッド、笑い堪えてんじゃん」と横腹をつついてくる。なんで横腹が俺の一番の弱点だと分かったんだ。むかついて、背後からこっそり肘鉄を食らわそうとするが、妙に反射神経が良くて躱される。
しかも何処で知ったのか、裏社会で付けられたブラッド・アイという異名を揶揄ったあげく、勝手に省略して「ラッド」と俺を呼ぶ。ムカつくガキだが、「俺とラッドで協力してフェリクスを護ろうなー」とか澄んだ目をして言ってくるから憎めない。
俺、お前より八歳上なんだけどな。まあいいか。
そうして俺は、今日も黒縁眼鏡をかけて、フェリクス殿下の侍従として付き従うのだ。




