それぞれの道
滋賀県 独立遊撃部隊本部格納庫
「ここで機体を直すのかと思ったんですけど、研究所に運ばれちゃったので、めっきり暇ですね」
水瀬慧は格納庫の隅に置かれた椅子に座り、紙パックのリンゴジュースを飲んでいる。
「もう、機体はボロボロだったから、新しく設計し直すって言ってた。仕方ないね」
その横で座っている大森は缶コーヒーを飲んでいた。
「先輩はこの先どうするんですか?」
「独立遊撃部隊はこのまま存続するって上田さんが言ってたから、身分はそのままだね。でも、しばらくはやることないと思ったから、時々軍の山梨病院に行くことにした。そこでもう一回救急医療を勉強する。この部隊で何かあった時に役に立つでしょ。慧ちゃんは?」
「とりあえず学業優先って言われました。なので、高校に戻って、そのあとは先輩みたいに医学部に行こうかって思ってます」
「はぁ? 先輩みたいにじゃなくって、お父さんみたいに、でしょ」
「あ、そーでした」
二人の笑い声がNCBMのいない格納庫に広がった。
山梨県 国防省バイオエレクトロニクス研究所 速水香織オフィス
「これ全部機体の設計に関する資料ですか?すごい量ですね」
上田李依はパソコンの前に座り、そのフォルダに詰め込まれた膨大な量のファイルを見ていた。
「全部、水瀬先生の残してくれたもの。野嶋所長が、これを参考にして新しい機体を設計し直せって」
速水香織はデスクに腰を預けながらコーヒーを飲んでいる。
「あれ?このフォルダ・・・」
上田は機体の設計とは異なるフォルダを見つけ、その中のファイルを開いた。
「水瀬先生、こんなことも考えていたんですね。でも、これ出来そうですね」
「そうね。野嶋所長もそのつもりだと思うよ」
モニターを覗き込む速水は、すでにそのフォルダの中身を知っているようだった。
「そう言えば、山内先輩を最近見ないですけど」
「ああ、山内君なら長野の研究施設にこもってる。なんだか向こうで重宝がられてるみたいで。でも、機体の設計には流石に戻って来てもらわないとね」
「それにしても、コクピットが無事でよかったですね。機体はどうにでもなりますから」
上田は開いていたフォルダを一気に閉じた。
「あ、そうだ。風のたよりで聞きましたけど、先輩は篠原大佐とデートしたそうですね」
「はぁ?デートじゃないよ。食事に行っただけ」
「それを世間ではデートって言いますよ」
「そう言う李依ちゃんはどーなのよ。遠藤さん?古川さん?」
「あ、遠藤さんは既婚者です」
「じゃぁ、古川さんに決まり」
「勝手に決めないでください!」
二人は学生時代に戻ったようなその懐かしい時間を、心地よく感じていた。
市ノ瀬育海 自宅
「ただいまぁ」
市ノ瀬育海が1年ぶりに自宅の玄関の扉を開くと、そこには懐かしい顔が勢揃いしていた。
父親、母親、祖父、そして祖母。皆変わらない笑顔を向けていた。
「おかえり。よくがんばったな」
父親の真二郎が言うと同時に、母の信子が玄関に降り育海を抱き寄せた。
「心配したよ」
母親の声は涙声になった。
誰もが、市ノ瀬が無事に戻って来られることを願っていた。それを信じていた。
「こんなとこにいないで、上がれ。今日は凱旋祝賀会だ」
祖父の泰造が目に涙を浮かべながら言うと、祖母の珠美が涙を拭いながら準備のために急いで奥に向かった。
ダイニングのテーブルには手作りの豪華な食事が用意してあった。
久しぶりの家族の食事。どれも懐かしく美味しかった。父親も母親も、そして祖父も祖母も嬉しそうだった。
市ノ瀬はそんな家族をありがたいと思った。
しかし、時折自分の心が別の場所にいるような感覚も感じていた。
食事が落ち着いたところで真二郎が聞いて来た。
「育海は将来どうするんだ?」
「政治家に進め。お前なら絶対にできる!」
喜びの酒で酔いが回り始めた泰造がすぐに口を挟んできた。
「あなたは黙ってなさい!」
珠美が泰造を叱った。
真二郎も信子も育海の答えを待っている。
「とりあえずは、高校に戻って・・・」
そこで育海は一瞬考える仕草をした。そして続けた。
「そのあとは、大学に進むか・・・、それとも誰かのお嫁さんかな」
「そんな相手がいるのか」
驚く真二郎と泰造に、育海は笑っているだけだった。
美波高校学生寮食堂
食堂の扉を開き入ったところは記憶と変わらない場所だった。この時間は学生は誰もいない。
カウンターへと進み厨房の中を覗く。中から聞き慣れた包丁の音がした。
「おばちゃん、ただいま」
梅原賢太郎は奥に向かって声をかけた。
すぐにやや太った中年の女性が現れた。
梅原を見つける。おばちゃんの動きが止まった。
「梅原君?!」
おばちゃんは慌てて食堂に出ると、梅原に走り寄り両手で梅原の体を何度も触り確かめた。
「無事だったんだね」
歪んだ笑顔を向けるおばちゃんの目に涙が溢れた。
「やっと戻ってこれた。心配かけたね」
おばちゃんの声、おばちゃんの笑顔、おばちゃんの匂い。
梅原はここに戻ってこれたことを確かめた。
母親が死んで、父親からは連絡もなく、心を話せる友達のいない梅原にとって、おばちゃんは帰ってくるための唯一の理由だったのかも知れない。
一人でここを出た日。
きっと自分なんて何も役に立つことはない、だからすぐに戻ってこられると思っていた。
あれから1年。
その1年は、ここにいた時と比べたら、とんでもない世界を旅して来たような時間だった。
そして、いざ戻ってみると、昨日までの記憶は何か異世界に迷い込んでいたようなものになった。
あれは一体なんだったのだろうか。
没入していたゲームの世界から急に現実に戻ったような感覚。
壮大なゲームのエンディングを迎えた達成感のあとの気の抜けた感じに似ていた。
ああ、終わったのだ・・・。
以前の梅原なら、きっとそう思っただろう。
「おなか空いてない?なんでも作るよ」
おばちゃんが涙を拭いながら言った。
「今日はいいよ。だって、またしばらくお世話になるから」
「学校に戻れるのかい?」
「うん。今、手続きして来た」
「じゃぁ、卒業までまたご飯を作ってあげられるね」
おばちゃんは心から嬉しそうだった。
「卒業したらどうするんだい?」
「軍の大学に行こうと思ってる」
梅原ははっきりとした口調で言った。
「そうかい。また心配しなきゃいけなくなるね」
そう言いながらも、おばちゃんは梅原のことを頼もしく感じた。
そんな梅原は、始まったばかりのこの壮大なゲームを、とことんやり込んでやろうと考えていた。
ここに帰って来たら、不思議と独立部隊のみんなの顔が浮かんだ。
もう孤独な心はなかった。
国防省バイオエレクトロニクス研究所 地下培養室
わずかなライトしか灯っていない広い培養室の中央には、1番機と2番機から外されたコクピットが置かれており、その機能を維持するためにいくつものチューブやコードが繋がれていた。
ロックを解除する音が室内に響く。
すると扉が開き、野嶋高雄が入って来た。
野嶋は迷うことなく2番機のコクピットに近づくとハッチを開けた。
慣れない足取りでコクピットに入る。そしてシートに座った。
2番機のコクピットに還流液を送るポンプの音が大きくなった。
「よくわかったね。こっちだって」
「当たり前だろう。これでもお前の父親だ」
野嶋は全身の力を抜きシートバックにもたれかかった。
そして目を閉じる。
「やっとだね」
「ああ・・・」
「ちょっと照れるね」
「そうだな」
とても懐かしい感覚だった。
ゆっくりと時が流れる。
「あのね、とうさん」
「ん?」
「・・・・・・ありがとう」




