Lily of the Valley ~ピアス編~
(『Shut Happens』だって。面白い)
ある飲食店のドアに掛けられている「閉店」サインが、ユーモアたっぷりなのを見てマキは笑った。これはアメリカ英語の発音では面白さに欠けるジョークだ。
ダブリン市内観光中、マキは疲れた足を休めるべくカフェで一息ついてからのち再度散策を始めた。
地図は持っているものの、かなりの方向音痴なためよく迷子になるのだが、目的地の教会へと向かっている時に、小さな袋小路に迷い込んでしまった。
(あー、やっぱり違ったか。戻ろう)
その袋小路の角に小さな看板が下がっているのが目に入り、店らしきものだと認識できた。ふ、と気になったので、石畳の上の歩を進めることにした。
小さな店の軒先には鉢植えの花が色彩豊かに飾ってあり、一見何の店なのかわからないが、「営業中」とあるので、ドアを開けてみることにした。
「いらっしゃい」
中には驚く程美しい初老の貴婦人がいて、赤い口紅を塗られた唇が麗しい弧を描いた。
「まあ、かわいらしいお嬢さんだこと」
『お嬢さん』という歳でもないのだが、アジア人は大抵実年齢より若くみられるので、否定もしなかった。アメリカでもそうだ。
「あ、こんにちは」
「何かお探し物かしら、素敵なお嬢さん?」
婦人はそう言って、またにこやかに微笑んだ。こちらがドギマギしてしまう程気品ある女性だ。正に淑女。
マキは店内をサッと見渡し、この店がセレクトショップであることを確認した。棚にはアクセサリー類、雑貨、帽子や手袋、服も少し陳列してある。この店主、だと思うが、この女性の雰囲気からいって値が張りそうだ。
「いえ、あの、どんなお店なのかなー、と、気になったので入りました。特に探しているものはありません」
「そうなの。どうぞゆっくりご覧になって」
「はい、ありがとうございます」
今の自分には到底手が出そうにないな、と思い、パパッと見てから出よう、とマキは考えたのだが、少し見るだけで、どの商品もシンプル、ゴテゴテとした装飾品がついておらず、良質の素材で作られている上、良い職人の手によるものとわかる品々であった。
中でも一番惹かれたのが、スズランのピアスだった。マキがじーっと見ていると、婦人が話しかけてきた。
「可愛らしいでしょう?花の部分は白蝶貝で、葉はグリーンアメジストでできているの。小さなパールもついているわね」
「とても素敵ですね」
「つけてみたら?」
「いいんですか?」
「もちろん」
そう言って、婦人は軸部分をアルコール液で消毒してくれた。マキが両耳につけると、
「ほら、やっぱり。とてもよくお似合いよ」
と、言い、姿見までマキを連れて行ってくれた。婦人はマキの両肩に手を置いて、鏡の中のマキに説明した。
「グリーンアメジストは愛の守護石と呼ばれているの。邪悪なものから身を護り、大切な人との絆を深めて、真実の愛を育み、守り抜く力を授けてくれる」
「・・・・」
「スズランの花言葉、あなた、御存知?」
「いえ」
「再び幸せが訪れる、よ」
みるみるうちにマキの目に涙が溜まって来たのを見て、婦人は驚き、
「まあ、大変!あなた、ちょっとここにお坐りなさい!」
と、マキをアンティーク椅子に坐らせ、ティッシュボックスを持ってきた後、裏方に消えた。
しばらくすると、皿に乗せられたクッキーとチョコレート、それに紅茶の入ったカップがマキの前に並べられた。
「何か辛いことがあったのね。もし話したければ、わたしの耳をお貸しするわよ」
婦人はそう言って、初対面、それもただの客であるマキをもてなしてくれた。マキは大好きだった恋人と別れ、職を失い、人生をリセットするためにアイルランドへ来たと説明し、その間、婦人は眉を顰め、まるでマキが我が娘であるかのごとく親身になって、マキの言葉一つ一つを聞いてくれた。
「話したらスッキリしました。ありがとうございます」
ちーん、と擤んだマキのその鼻は赤くなっている。
「ううん、こちらこそ話してくれてありがとう。さあさ、お茶とお菓子を召し上がれ。あら、きっと冷めてしまっているわね」
「あ、いえ、それで・・・」
断ろうとしたマキを聞かなかったかのように婦人はまた裏方に消えていった。そのうえ、今度はティーポットと自分用のカップを持参して、新しく熱い紅茶を淹れてくれた。
「お待たせしたわ。ではね、そのピアス、あなたが持ち主となるよう、あなたをこの店に招き入れたのね」
「そうなんですか?」
「石には不思議な力があるのよ。意思もある。それ自体が何か大きな変化をもたらすことはないけれど、持ち主を守ったり、手助けをしてくれる。経験したことないかしら?石のついたアクセサリーが突然壊れたり、なくなったりするの」
「あります!」
「それは、石の役割が終わって、あなたとの縁が終わったことを意味するのよ。それと、時に鉱物霊といって、石に精霊が宿ることもあるわ」
「あ、それ、日本にもそういう考えがありますね。石に神が宿ったり、長く大事に使われた道具が付喪神となったりすると信じられています」
「鉱物には出来事を記録する性質もあるの。自分の元に来た石とあなたの意識を一つにすれば、石そのものの来歴、何処から来たのか、前に所有者がいたのなら、その情報にもアクセスできるし、あなた自身の潜在意識、奥深くに眠っている過去生の記憶とも繋がることができるのよ。
そして、あなたが所有者となった石に、あなたの意図を注ぎ込むの。開運、健康運の向上、恋愛、人間関係も、もちろんね。そうした焦点を絞ったエネルギーを注入させたら、あなたの意図を強化せてくれる強いお守りとなってくれるわ。
愛の守護石であるグリーンアメジストにどんなお守りになって欲しい?あなたはどんな愛に包まれたい?それから、どういう風に他を愛したい?この子はあなたに持っていてもらいたい、と望んでいるから、きっとあなたの理想とする愛の形をもたらしてくれると思うわ」
婦人の話はとても興味深く、他の客が来ないことをいいことに、マキは長居した。婦人も全くそれを気にしておらず、まるで慣れ親しんだ茶飲み友達のようにおしゃべりに花が咲いた。
ピアスの値段は、無職のマキにとっては贅沢な代物ではあったが、これは手に入れなければ、と思い、購入することにした。婦人は値引きしてくれ、そのままつけていくというマキがつけていた自前のピアスを薄紙に包んでくれながら、パチン、と手を叩き、
「そういえば、これには揃いのネックレスがあったの」
「ええ!?」
「残念なことに数週間前に売れてしまって、仕入れるのを忘れていたわ。ねえ、あなた、アイルランドにはまだいるの?」
「まだ決めてはいないんですけれど、これからコークに下って、そこから直接ロンドンに戻ろうかと考えてます」
「まあ、そうなの」
と、婦人は実に残念そうに言った。
「ネックレスはどんな感じでしたか?」
「ピアスと同じデザインで、この花と葉部分が少し大きく作られていて、とてもエレガントよ」
マキは考えた。
「ネックレスだともっと値が張りますよね?」
「そうね。わたしとしても商売をしているから、安くあなたに、とは正直出来ないのね。けれど、とりあえず仕入れ先に聞いてみるから、取り寄せた後にまた考えるというのはどうかしら?」
「わかりました。あたしも予定はあるようでないこの旅なので、ご連絡下さった時にどうなっているかでまた決めます」
マキがそう言うと、婦人はとても喜んだ。艶めいた笑顔をそのままにし、
「ネックレスはもっと気に入ると思うわ。それに、もしかしたらまたあなたに会えることになるかも知れないのね。とても嬉しいわ」
きっと、おばあさん、といってもよい年齢の女性なのに、この人の方こそ可愛い、と、マキは思いながら、茶と菓子の礼を述べ、その小さな店を後にした。
参考文献 『日本の神託カード ㉔時空を刻む石』 大野百合子著




