My Dearest One ~幸福な晩餐~
次の日、まずまずの天気となったので、この近辺の名所にマキを連れて行くことにしたオリバー。
朝食のメニューは、ベーコンとほうれん草のキッシュ(生地は手作り)。人参のポタージュ。マキは美味しそうに且つ嬉しそうに食べていた。
自分の作ったものをここまで喜んで食べてくれるので、次は何を作ろう、と、頭で考える。そして、それが楽しみとなっていることに気付いた。
町の中心地から少し離れたパブに寄り、昼食をとることにした。マキはフィッシュ&チップスを注文し、魚のフライの大きさに驚いていた。なんでも大きなアメリカでさえこのサイズはない、とのこと。冷凍の魚でないことにも驚嘆していた。
「この店にはよく来るの?」
「そうですね。友人と飲む時にはここへ来ます」
「オリバーの行きつけなのね。食べ物も美味しい。パブ・フードを侮るなかれ、ね」
彼女が食べたり飲んだりして、幸せそうな顔をしているのを見ると、自分まで高揚した気分になる。不可解な感情だ。
「今夜の夕食は家で食べますか?」
マキはニーッと笑い、
「うん、それがいい。オリバーの手料理、大好き」
オリバーは彼女のその言葉に、胸の奥がジンジンするほどの嬉しさを覚えた。
マキは美しい女性だ。表情がくるくると変わって、表現も豊か。離婚歴があり、最近恋人と別れたばかりで、無職にもなり、今回のヨーロッパ旅行は傷心旅行だと言っていた。
それでも、暗い顔は一つも見せず、まあ、会って間もない自分にそんな一面は見せられないだろうとは思うが、一緒にいて楽しく、疲れを感じさせない、とても魅力的な女性だった。自由闊達で、奔放とまではいかないものの、籠の中で大人しくはしていない。いや、そもそも籠の中になど入らないであろう。
オリバーは、彼女と数日一緒に過ごして、会ってすぐに感じた胸の痛みをもう無視できなくなっていた。
自分でもよくわからないが、年齢も二十歳くらい離れているこの女性に魅かれていることを否めない。魅了されつつ、どこか懐かしい愛しさを感じ、どこまでも甘やかしたくなる、という不思議な感情だ。恋に似ている、遠い昔に感じた想い。
(老碌の恋・・・?まさか、な・・・。それも、このわたしが女性に・・・?)
明日、マキはコークへと戻るので、今夜は最後の晩餐。スシを作ってくれるという。材料はさっき高級食材店に行って彼女が揃えてくれた。
家庭で作るスシは食べたことがないし、人が作るのを見るのは初めてなので、手伝わせてもらいながら観察することにした。彼女は、今、米を洗っている。
「お米のすすぎは三回ほどにしてね。すすぎ過ぎると美味しく炊けないから」
「わかりました」
横でメモをとる。日本米は三十分ほど水につけた後、炊くのだそうだ。次に、買ってきた野菜を切る。そして、刺身用のサーモン、ホタテ、ツナ缶を用意した。
それが終わると、オムレツのようなものを彼女は作った。玉子焼きというらしいが、これはとても難しいレベルを要するようだ。箸を上手に使って、クレープ状の卵がくるくると巻かれていく様は見ていて素晴らしい。魚の出汁というものと砂糖で味付けされたのも興味深かった。
材料は全て細長く切られ、大皿に並べられた。炊き上がった米を蒸らした後、あらかじめ作っておいた酢と砂糖の混合液をかける。木杓子で混ぜながら、煽げ、と言われたので、雑誌で風を起こした。
行程だけを見ると、そこまで複雑ではないように思えた。メモをとったし、写真にも収めた。いつか自分でも挑戦してみようと、オリバーは思った。
食べることは好きだが、今日の献立は、彼女が作ってくれる異国情緒たっぷりのメニューなだけに、オリバーはワクワクした。
「いただきます」
「イタダキマス」
手を合わせ、すっかり覚えた挨拶をして、マキとワイングラスに注いだ日本酒で乾杯した。オリバーは一口飲み、
「これは、美味しいですね」
『大吟醸』というのだそうだ。日本酒が苦手なオリバーでも飲みやすい種類だった。
「ああ、これも写真を撮っておかねば」
マキはくすくす笑い、
「よかった、気に入ってもらえて。それに、オリバー、やっぱり学者よね、その突き詰めようとするところが。飽くなき探究心、素晴らしいと思うわ」
「今日は本当にありがとう、マキ。作るのを見るのも、手伝うのも、とても貴重な、素晴らしい体験となりました」
「ああ、よかった~。あたし、オリバーにお世話になりっぱなしで、なんにもできないと思ってたから、あなたが喜んでくれてすごく嬉しい」
と、マキは上気した顔で言った。オリバーは笑顔で返した。
「さあ、食べよう。これは手巻きズシといって、こんな風にして食べるの。見ててね」
手の平より少し大きいサイズに切られた海苔の上に、米、好きな具材を乗せ、くるりと巻いてから醤油を付け、パリッと音をさせて、マキはスシを口にした。オリバーも真似てやってみる。パリッ。
「美味しい!」
喜怒哀楽をあまり顔に出さない自分が、どうしたことだ。ガラにもなくはしゃいでいる、と、オリバーは思いながら、いくつも食べた。自宅で、スシにサケを楽しむことになろうとは。
楽しい会話、キャンドルの灯り。最高のディナーだった。
マキはアルコールを飲むと顔がほんのり赤くなるが、今はダブリン発のバス内で起きたことを話している。通路を挟んで座った客が、かなり高齢の男性だったそうで、降りる際、シートベルトの外し方がわからなかったので、マキが手伝った。
三時間以上も隣にいて、ほとんど話をしなかったらしいのだが、その老爺は礼を言って来て、手を差し出したのだそうだ。マキが握手に応えると、握った親指でマキの手をさすったらしい。チロリ、という流し目つきで。おじいさんがそんなことをするなんて、ビックリした、と、彼女は笑っている。オリバーもつられて笑った。
一晩中彼女に話していて欲しかった。話題はなんでもよい。こうして彼女を見ながら、いつまでも、いつまでも耳にとても心地よいその声を聴いていられたら・・・、と、オリバーは思った。
(ああ、このまま時が止まってしまえば良いのに・・・)
オリバーは頬杖をついて、楽しそうにおしゃべりしているマキを眺めた。目を細めて、その顔は始終綻んだままだった。
(わたしは、この晩のことをずっと胸に刻んでおくだろう。この目の前の麗人を、たった三、四日ほど一緒に過ごした彼女のことを決して忘れることはないだろう・・・)




