第9話 崩壊の街
走り、跳躍して距離を詰める。その背に向かって全力で刀を振り下ろしたが、刃は体表を半ば滑るように走り、浅い傷しか作れなかった。だが着地し、再び斬りかかろうとすると、『遣い』はなにかに気付いたように振り返り、イチの方を向いた。
ぞっとした。そんな反応は初めてだった。見られていると、はっきり感じた。ほんの一瞬、足が縫い止められる。
暗闇のような口が開けられるのと、横合いから走ってきた影が手にした槍で『遣い』のえらを貫いたのは、ほぼ同時だった。一人残ったこの街の『刃持ち』の男だった。
「ここなら通るだろ!」
男が槍を持つ手に力を込める。さっきの一体はこれで致命傷だった。が。
『遣い』は振り払おうとするように、巨体を捻らせた。先ほどはしなかった動きに不意を突かれ、男の手が槍から離れる。男はそのまま傍の建物に叩き付けられた。崩れ落ちる男に『遣い』は向き直り、突進する勢いで建物ごと男を食った。声もなかった。
男の絶命に合わせるように、刺さっていた槍が赤い液体になって姿を崩す。『遣い』はえらから変質した赤い体液を流しながら体をくねらせるが、突っ込んだ建物からなかなか抜け出せないようだった。イチはとっさに距離を詰めると、そのえらに切っ先をねじ込む。そして両手で柄を握ると、脳天に向かって刃を斬り上げた。
重い手応えと共に、刃が天に弧を描く。赤い体液が勢いよく溢れ出した。『遣い』の体がぐったりと倒れる。ようやく死んだようだった。
気が付けばあの音はやんでいた。荒い息をつきながら刀をしまうと、食われた男に対して僅かに瞑目し、イチはトトハの家がある方向に向かって走った。
だがそこにあったのは、かつて家だった瓦礫だけだった。『遣い』が食っていったのか、一部だけ更地のようになっている。
「トトハ!」
叫びが静寂に吸い込まれていく。イチは続けて、トトハの両親と祖父母の名を呼んだが、誰の返事もなかった。最悪の想像が浮かぶ。だが振り払うように首を振った。運良く逃げたかもしれない。食われてないかもしれない。
「トトハ!」
名を呼びながら、ほとんどが瓦礫と化した街のあちこちを走る。時折生き残った人をぽつぽつと見かけたが、トトハの姿はなかった。
やがて町外れまで来たイチは、ふいに、崩壊を免れた家の壁にもたれかかる影を見つけた。眼鏡をしておらず髪も乱れていたが、それは間違いなくトトハだった。
「トトハ!」
強い安堵と共に傍に駆け寄る。目の前にかがみ込むと、どこかぼうっとした表情のトトハが、イチを見上げた。
「……イチ?」
トトハは体中が擦り傷と砂埃にまみれていた。だが大きな怪我を負っている様子はない。
「よかった、無事で。……おじさん達は?」
イチを見つめるトトハの瞳に、ゆっくりと涙が滲み出す。
「おとう……ちゃん……」
その言葉を口にした途端、トトハは声を上げて泣き始めた。手で拭う傍から、涙はぼろぼろと溢れ出す。それだけでイチは、わかってしまった。みんな、食われたのだ。
ずっとあとになってから、トトハは教えてくれた。
あの日、あの音が鳴った時、トトハ達家族はそのほとんどが、危機感を覚えなかった。二十一番街は規模の小さな街で、もう随分と長い間、『遣い』に襲われることがなかったのだ。
その安心故に徐々に人口が増え、『遣い』の襲来を呼ぶに至ってしまったということなど、誰も思いすらしなかった。
唯一避難を訴えたのが、トトハの祖父だった。彼はかつて住んでいた街で『遣い』に遭遇しており、命からがら生き延びた過去があったのだ。だがそうした訴えも音が鳴る度のことであり、誰も本気に取り合わなかった。この街は安全だと。『遣い』など来ないと。
そうではないと気付いたのは、次第に大きくなる破壊音と、そこかしこで悲鳴が聞こえ出した時だった。
トトハ達は逃げようとした。かつての怪我で足が不自由になった祖父を、トトハの父が背負う。だが家から走り出して間もなく、『遣い』が姿を現した。
トトハの家は、海岸から少し離れていた。だが『遣い』は四体。『刃持ち』が不慣れなこともあって、止めきれず奥地に向かってしまったものもいた。恐らくそれだった。
『遣い』は魚を模した姿をしていながら、陸地でも驚くほどの移動速度を誇る。
最初に食われたのは祖母だった。それに思わず足を止めた父が、次に追いつかれ、祖父と共に食われる。
残された母の判断は速かった。その手から刃が延びるのを、トトハはその時初めて見た。
母が『刃持ち』であることは知っていた。戦うことを不得手とし、その力を嫌っていたことも。
「逃げなトトハ!」
立ち尽くすトトハに、母が一喝する。その見たこともない形相に、トトハは圧されるようにその場から走り出した。母が足止めのために残ったのを理解していながら。それが足止めにすらならないであろうことを、理解していながら。
□ □
静かな部屋の中、トトハの寝息だけが聞こえる。イチの胸元に頭を押しつけて寝ているため、その表情はわからないが、寝息は穏やかだ。
あれからイチは、トトハを連れてあの街を出た。およそ人が住めるところではなくなってしまった上に、放ってはおけなかったからだ。そこから最も近いのがこの八番街だったことは、不幸中の幸いと言えた。
八番街はこの一帯では最も大きな街で、よその街からの避難民も多く受け入れている。世話人のついたアパートを与えられ、一緒に住みたいとごねるトトハをなだめすかし、イチ自身は、外れに立っている古びた集合住宅を住処とした。
トトハは、表面上はよく笑うようになった。だが常に不安だったのかもしれない。自分の家族を奪ったあの生き物へ、自ら向かっていくイチに。
不安にさせたくない。心配を掛けたくない。心からそう思う。だが『遣い』を倒すのをやめることだけは、絶対にできなかった。ヨミに言われた復讐も、確かにある。だがそれ以上に、ある理由でイチは、『遣い』を倒し続けることを、自身に課していた。




