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砂の鯨は天(そら)に啼く  作者: 銀子


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第6話 ムツキ


「うーむ」


 ヨミはゆっくりとグラスを回す。


「キミが生き残れたのは……まぁ滅多にないんだが、恐らく『遣い』がエネルギー切れ間近だったからだろう」


「エネルギー切れ? そんなことあるのか、あいつら」


「ああ。奴らはおよそまっとうな生き物には見えないが、活動時間には限界があるみたいでね。あまりに長い間活動していると、人をすべて食うのを諦め、帰っていったという例が稀にあるんだ」


 だがそれはそう簡単に訪れるものではなく、大抵はそれより先に人が食い尽くされるか、『遣い』自体が討伐されるかがほとんどだった。


「五十七番街は、長く『遣い』の襲来のない小規模な街だった。だが襲われることがないゆえに、その安全さに惹かれて人が流れ着き、人口が増え、標的となり得るほどの規模になったんだろう。そこに『遣い』が現れたが、規模を見誤ったか、キミを探すのに時間を費やしすぎた、といったところかな」


「じゃあ今まで来なかった『遣い』が来たのは、人が増えすぎたからだってのか」


「恐らくそうだ。といっても、何人になれば来るなどという確実な情報はないから、いつからその対象になっていたのかはわからないがね」


 ヨミの言葉に、イチは俯いた。大規模な街が襲われるのは知っていた。この街に来た時、確かに大きな街だと思った。だが自分のいた街はここより遙かに人が少なかった。流れ着く人はいくらかいたが、ここほどしっかりとした自治組織もなく、実際どれだけの人が住んでいるのかなど、まだ子どものイチが知る由もなかった。それがいつの間にか、それほどの規模になっていたのか。


「それで、『遣い』はキミを見つけるまでもたなかった。運がよかったんだよ、キミは」


 運。そんなものだったのか、あれは。


 やりきれない思いに胸が塞ぐ。するとヨミが、ふいにグラスを回す手を止めた。


「時にキミ――」


 ヨミの声に、再び顔を上げる。その目はグラスに落とされたまま、ヨミは静かな声で言った。


「『遣い』を倒すのは、復讐が目的か?」


 不意打ちのような言葉に、イチは答えに詰まった。復讐。そうかもしれない。その気持ちは確かに持っているし、以前トトハに聞かれた時にはそう言った。だがそれだけではなかった。理由はもうひとつあった。だがこれは、酷く醜い理由だった。トトハにさえ言っていない。

 静かに顔が、下を向く。


「……あぁ」


 返事は、随分と間を置いたものになった。ヨミの目がついとこちらを見るのを感じる。イチの表情からなにかを読み取ったかもしれなかったが、ヨミはなにも言わなかった。目をグラスに戻し、


「そうか」


 ただそれだけを、呟くように言った。


 沈黙が落ちる。どれだけそうしていたか、ふいにヨミが、なにかを思いついたように、グラスの中身を一気に飲み干した。そしてイチのグラスに手を伸ばして半分ほど飲み、それを再びイチの目の前に置く。


「よし、減らしてやったからあとは飲め」


「は?」


「何事も経験だ」


「だからいらないって――」


「飲まないとチトセに通報するぞ」


 ヨミがいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「キミの行動が目に余ると、隊長殿が常々言っていてね。まぁこの街の討伐組織であるチトセそっちのけで、好き勝手に『遣い』を殺してるんだからさもあらん。いや、飲みたくないならそれでも構わないよ。その代わりこの先思うように動けなくなると思うがねー」


 なんなんだこの女はというのが顔に出ていただろうし相手にも伝わっていたはずだが、ヨミは態度を変えなかった。よほどイチに酒を飲ませたいらしい。言いなりになるのは癪だったが、抵抗したところで、余計面倒なことになるような気がした。


 イチは仕方なくグラスを手に取ると、甘くて苦い液体を一気に流し込んだ。焼けるような熱を必死で飲み下し、グラスをテーブルに叩き付けるように置く。熱い息を吐き出すと、ヨミが下品な口笛を吹いた。


「いくねぇ」


 かと思えばカウンターに向けて手を上げ、


「マスターお代わり!」


 なにも言わずとも、二人分のグラスが運ばれてくる。


「知らねぇからな」


 ぼそりと呟かれた言葉をヨミは上機嫌で聞き流し、グラスのひとつをイチに寄越す。


「それじゃ改めて、かんぱーい」


 半分飲めばいいんじゃなかったのか。そう思ったが、次第にぐらぐらし始める頭では、正常な判断ができなくなりつつあった。



 * *



 最初に聞こえたのは、人の話し声だった。男と、女の声。壁越しのように遠いが、女の声ばかりが一方的に話しているようだった。聞いたことのある声だな、と思いながらうっすらと目を開けると、見覚えのない天井が見えた。傍の窓からは、夕暮れの弱い明るさが入ってきており、薄暗い室内を静かに照らしている。日没が間近なようだった。


 重い頭痛を覚えながら、イチは体を起こす。寝かされていたのは簡素なベッドで、傍にはいつも背負っている背嚢が置かれていた。辺りを見回すが、小綺麗な部屋の中には、イチが寝かされているものの他にもいくつか同じベッドがあり、薬や医療道具と思しき物が詰め込まれた棚が並んでいる。どこかの救護室のような様相だった。


 記憶を掘り返す。チトセの女、ヨミに言われるがまま『西の杯』に行き、彼女と話をし、酒を飲まされ、目の前に置かれた新しいグラスの中身を飲んだのまでは、なんとなく覚えている。たぶんそれも飲み干したんだろう。だがその後どうしたのか、まったく覚えていない。


「っつ……」


 頭が痛かった。胸もなんとなく気持ち悪い。水でも飲むかとベッドから足を下ろすと、スプリングが軋んで音を立てた。そのまま背嚢を開けようとしたところ、壁越しに聞こえていた会話がやみ、部屋のドアが唐突に開いた。


「起きたね。気分はどうだい?」


 そう言いながら入ってきたのはヨミだった。返そうとしたところ、続けて入ってきた男に反射的に声が出る。


「げっ」


 思わず腰が浮くが、ドアは男の後ろで、無情にも閉められる。イチは数瞬考えて、観念して腰を下ろした。せめてもの抵抗に、ヨミを睨みつけて小さくぼやく。


「元からこのつもりだったのか」


 ヨミと共に入ってきたのは、チトセのリーダー格の、あの長身の男だった。だがヨミは、いやいやと手を振る。


「とんでもない。楽しく飲んだあとはちゃんと解放するつもりだったよ。ただキミが潰れちゃったからねぇ。キミの家も知らないし、とりあえず隊の救護室に連れてきたわけだよ」


 わざと潰れさせたんじゃないのかという疑惑が浮かんだが、ヨミの様子からするに、本当にただ飲みたかっただけのようだった。どのみち傍迷惑な話だが。


「で、俺は家に帰りたいんだが、素直に帰してもらえるのか?」


 視線を向けたのは、ヨミの後ろにいる男だった。すらりと伸びた長身をチトセの白い制服に包み、色素の薄い金髪に、淡い水色の瞳。いつも目元しか見えないので、こうしてちゃんと姿を見るのは初めてだった。だが相変わらずというか、その顔には表情らしきものは一切浮かんでおらず、なにを考えているのかわからない。だが男が口を開くより早く、ヨミが割り込んだ。


「もちろんだ。今日は私と飲んでただけだしさ、隊長殿には迷惑を掛けてない。だろ?」


 ヨミが男を振り返る。男の視線がヨミを向き、その眉が僅かにひそめられた。ヨミが笑う。


「まぁそんな顔するなって。ここで彼を帰さないと、私は嘘つきになってしまう。お前だって、お姉ちゃんを嘘つきにはしたくないだろう?」


 男の眉間の皺が深くなる。


「お姉ちゃん?」


 思わずイチが聞き返すと、ああ、とヨミが振り返った。


「ムツキは私の弟なんだよ。言ってなかったか?」


 いやまったくなにも聞いてない。だがこうして並んでいると、どこか似ている気もする。あまり気に留めていなかったが、髪や目の色も同じだった。

 そんな風に思っていると、窘めるような低い声が響く。


「隊長と呼べ」


「はいはい、隊長殿」


 実に軽いノリで返すヨミに、男――ムツキは小さく溜め息をつくと、再び表情を薄れさせ、イチに向き直った。


「うちの隊員が迷惑を掛けた。それに関しては謝罪する。どうせ無理やり飲まされたんだろう」


 ヨミが隣で、そんなことないと思うけどなーと呟くが、黙殺される。


「帰れそうなら帰って構わない。ただ……」


 その声が、僅かに険しくなる。


「勝手に『遣い』を殺すのは控えてもらえるか。私達はこの街に住む民を護らなければならない。和を乱すようなことをされては困る」


 イチは反射的に睨み返すが、ムツキは意に介した風もない。そのほとんど変わらない表情が、どこか嘲りを受けているように感じた。


 イチは無言でベッドを降りると、頭痛に顔をしかめながらも、背嚢を持ってムツキの脇を通り過ぎる。だがドアを開けて部屋を出かけた時、背後で再び声がした。


「単独での討伐も控えろ。『遣い』が強化されても困る」


 頭に熱いものが上った。今度こそ我慢できなかった。振り返って睨みつける。


「死なねぇよ! 俺は!」


 イチは叩き付けるようにドアを閉めた。





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