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砂の鯨は天(そら)に啼く  作者: 銀子


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第5話 なにもできなかった


 イチの背を、ひんやりとしたものが滑る。


「……どういう意味だ」


「大昔から、現れた『遣い』はことごとく人を食ってきた。今でも、倒す力を持つ者がいないと、街ひとつ食われるなんてザラだろう。ただ知能が低いのか別に理由があるのか、建物ごと食らおうとしているがね」


 加えて、基本的に猛スピードで直進するため、討伐に慣れている者にとっては、避けること自体はそれほど難しくはない。ただ稀に、それ以外の挙動をする者がいるらしいが、とヨミは付け加える。イチは黙ってそれを聞いていた。


「だが人々の中に『刃持ち』が現れて少しすると、『遣い』はまだその力に不慣れだった『刃持ち』のみを食い、それ以外の人間を放置して砂の海へと戻っていったという記録があるんだ。理由はわかっていない」


 しかしそのあと、『刃持ち』が次第に己の力に慣れ、『遣い』の討伐成功例が増えていくにつれ、再び人間全般を食うようになったのだという。


「恐らく奴らにとって、『刃持ち』を食うことはなにか特別な意味を持っていると思われる。だがそればかりを狙って返り討ちに遭うことが増えたせいで、また人間全般を食うことにしたんじゃないかな。これもまた、推測の域を出ないがね」


「そもそも、なんで『遣い』は人間を食おうとするんだ?」


 今までは、そういうものだと思っていた。音が鳴るたびに現れる、魚に似た巨大な生き物。意味や理由など、考えたこともないしわかろうはずもないから、災害のようなものだと思っていた。

 するとヨミは、肩をすくめるような仕草をした。


「そこが、未だに謎なんだよね。仮説は色々あるんだけどもさ。あの『遣い』、見た目も中身もかつて存在した魚とほとんど同じなのに、食ったものがどうなってるかもさっぱりわからない」


 『刃持ち』が現れ始めた頃、人を食った直後の『遣い』を討伐し、丸呑みされた人間を救い出そうとしたこともあった。だが食われた人も物も、その腹からは見つからなかった。食った傍から消え失せているとしか思えない状態だった。水袋以外は魚と大差ない内臓を持つ『遣い』の消化機能がどうなっているのか、未だに誰も突き止められないでいる。


「なぜ食うのかはわからない。だが人間、しかも『刃持ち』なら必ず食おうとするはずなんだ。……そこでだ」


 ヨミの瞳がイチを見据える。


「キミはどの街から来た?」


「は?」


 なんの脈絡もなく繋がれたその言葉に、イチは怪訝に返す。


「なんの関係があるんだよ、それが」


「キミは腕が立つ。恐らく今までに何体もの『遣い』を倒してきたんだろう。だがその立ち回りから見るに、チトセのように組織だった所にいたようにも思えない。恐らく単独で戦うことを続けてきたんだろうね。ウチにもそういった経歴の者がいるから、例えば傭兵のような立ち位置で、街を転々としていたのかなとも思ったんだがね。キミの、『遣い』に対する姿勢が気になった」


 ヨミはふいに、置いていたグラスを手に取った。揺らめく琥珀に視線を落とす。


「『遣い』を倒す理由は様々だ。街を護る為、愛する者を護る為、はたまた己が実力を試す為。だがキミはそのどれでもない。『遣い』を倒すことそのものが目的のように見える。それに、どこか必死さを感じるんだ。……そこで、私は思った」


 ヨミの目が再びイチを見る。


「キミのいた街は、キミを残して壊滅したのではないか、とな。つまりキミは、一人生き残った『刃持ち』であり、復讐のために『遣い』を倒している。だから、『遣い』を倒すことそのものに執着する。キミほどの腕の者が、生まれた街を離れた理由にも合致する」


 イチはただ、静かにヨミを見つめ返す。ヨミは続けた。


「キミがこの八番街に現れたのはおよそ一年前。ここからほど近い、二十一番街が壊滅して間もない頃だ。だが二十一番街は、その時の例を除けば、ここ数十年ほど『遣い』に襲われたという記録はない。キミの戦い慣れした様子を見るに、その街にずっといたわけでもなさそうだ。それ以前にその腕を身につけ、いつ頃からかはわからないが、二十一番街を訪れていた。となるとキミは、五年前に住民すべてが食われて消えた、五十七番街出身ではないかと思うんだが、どうかな」


 まっすぐに見つめてくるヨミを、イチはしばらく見つめ返していたが、やがて背もたれにもたれかかると、大きく溜め息をついた。


「ほんとに気持ち悪い奴だな」


 ヨミは返さず、イチの答えを待っている。イチはその目を、テーブルの上に落とした。

「……だったら、どうなんだよ」


 出てきた声は、自分でも驚くほど投げやりなものだった。ヨミはチトセの人間だ。この街の人の出入り程度把握しているだろうし、やろうと思えば他の街の状況や、『遣い』の襲来の有無なども簡単に調べられるのだろう。もはや隠したところで意味もないように思えた。

 するとイチの応えを受けてヨミが言った。


「そうなると、わからないことがあるんだ。私が一番気になっているのはここだよ。街がひとつ壊滅するような状態にあって、キミはなぜ生き残れた? キミがそいつを倒したのか?」


 イチは素直に答えるべきか迷ったが、やはり意味のないことに思え、それを言った。


「……離れたところに、いたんだよ」


 会ったばかりの、よく知りもしない奴に、身の上なんか話してやるかと思っていた。だが実際その時になると、どうでもよくなっている自分に気付いた。誰になにを話したところで、なにかが変わるわけもない。あの時動けなかったことも。動こうとしなかったことも。


 イチは簡潔に、五年前のことを話した。あの音が鳴り、今まで一度も現れたことのなかった『遣い』が現れたこと。それが街を蹂躙したこと。自分は街から少し離れた高台にいたこと。その様子が恐ろしくて、『遣い』が去るまで動けなかったこと。


「俺は『刃持ち』だったのに、なにもできなかった」


 あの時の後悔は、未だにイチの心の奥底に重く横たわっている。するとヨミが、どこか労るような口調で言った。


「キミは見たところ、十七か八辺りか? なら五年前はまだ子どもだろう。見たこともない生き物相手に戦えなんて、無理な話だ」


「それでも俺は、『刃持ち』だった」


「それでもだ。無理に戦おうとしたところで、命を落とす危険性もあった。こう考えろ、キミは生き残るべくして生き残った、とな」


「なんだよそれ」


 落とした視線をヨミに戻す。ヨミはイチを見つめたまま薄く笑み、手にしたグラスを軽く掲げた。


「生き残ることには意味があるんだよ。死んだらそこで終わりだ。だが生きていればできることがある。キミが生き残ったことで、救えた命もあるんじゃないか?」


 よぎったのはトトハのことだった。だがトトハの父母も祖父母も、イチは助けることができなかった。


「もっと前向きに考えた方がいいよ、キミは」


 心の中を読んだかのような言葉に、顔をしかめる。気持ちの悪い奴だと再度思ったことは正確に伝わったようで、ヨミは声を上げて笑うとグラスを干し、それをカウンターに向けて掲げた。


「マスター! お代わりくれないか? ついでにこいつにも同じ物をくれ」


「おい、俺は飲まないって言っただろ」


「まぁまぁ、こういう時は酒に限る」


「俺はまだ未成年だ」


「いつの時代のことを言ってるんだ。私がキミぐらいの頃はもうここの常連だったぞ?」


 それはそれでどうなんだと思っていると、地黒の大柄な男が、酒の入ったグラスを二つ持ってきた。


「ヨミ、ほどほどにしとけよ。こんな若造潰したって知られたら、また弟から説教されるぞ」


「わかってるって。それに万一潰れても責任持って介抱するから、心配は不要だ」


 呆れたような息をついた男が、イチを振り返る。


「お前、見た目に騙されんなよ。こいつとんでもねぇザルだからな。ここにいる奴らは全員それで潰されてんだ」


 その言葉にイチは、これだけ目立つ見た目のヨミに対して、この酒場の者が誰一人として声をかけようとしない理由が、ようやくわかった。潰れさせようとして返り討ちに遭い、財布の中身をすっからかんにでもされたんだろう。

 するとヨミがからからと笑った。


「みんな弱すぎるんだよ。ほらキミ、かんぱーい」


 無理やりグラスを持たされ、合わせられる。ヨミはそのまま一気に半分ほど干した。手元のグラスからは、甘いような苦いような不思議な香りが漂ってくる。イチは恐る恐る一口飲んだ。だがその瞬間、焼けるような熱が喉を流れ、盛大にむせ返る。


「げほっ……げほっ……! なんだこれ……!」


「おぉー! いい反応だね初々しいね! もしかして飲むの初めてかい?」


「当たり前だろ!」


「じゃあもっと飲んでみようか! お酒ってのは飲めば飲むほど楽しくなるんだ!」


「いらねぇっ!」


 身を乗り出す勢いで迫るヨミに、イチはグラスを押しつけるように返す。


「飲みたきゃあんたが飲めよ! 第一酔ってる時にあいつらが来たらどうするんだ!」


「それは心配いらない。この街にはチトセがいるからね。ここしばらくはキミが張り切ってるお陰で『遣い』退治ではあまり活躍できてないが、元々彼らがすべてを退けていた。なんの問題もないさ」


「あんたもチトセじゃないのか」


「あぁ。一応私もチトセの要員ではあるが、本業は研究者で、戦闘要員としては補欠だ。出せる刃もダガー程度で、あの巨体相手には不利だしね。今日はちょっと、特別についてこさせてもらっただけなんだよ」


 グラスを持ち替えたヨミが、ひらりと右手を振る。その手のひらにはイチと同じ、数センチほどの赤黒い筋があった。それを横目で見ながら、イチはためらいつつも、逸れてしまった話を戻した。


「……そういえば、なにかわかったのか。さっきので」



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