第41話 姉と弟
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翌日の夜明けも、薄れてきたもののまだ重なる雲に遮られ、日差しは見えなかった。
薄明るくなりつつある自室で、ムツキは手元のオイルランプの下、持ち込んだ書類の処理をしていた。
被害報告、修繕依頼、遺書の確認、人員を失った班の再構成、やるべきことは終わりなくあった為、勤務時間内ではおよそ終わるものではなかったのだった。結局徹夜をしても終わることはなかったが、ベッドで眠れなかった理由はそれだけではなかった。
手を止め、傍らのベッドを振り返る。そこには、制服を脱ぎ、薄着になったヨミが眠っていた。
あのあと女子寮の傍まで連れて行ったものの、頼めそうな者が見つからず、かといって放っておくこともできなかったので、やむを得ずムツキの自室に連れてきたのだった。隊長を務める者の部屋は、一般の隊員とは別の棟として用意されている。それがせめてもの救いだった。
連れてきた時にひとまず外套を脱がせ、装備の類を外した。されるがままになっているヨミは抵抗もせず、とりあえずはそのまま椅子に座らせて仕事に戻ったのだが、夕暮れ過ぎに終わらぬ仕事を抱えて戻った時、ヨミは変わらず座っていた。
寮に戻らせたかったが、一人で行けるとは到底思えず、かといってまた誰も見つからなければ、ここに連れ帰ることになる。ムツキは悩んだ挙句、ここで眠っていけと言った。動かないヨミをベッドの傍まで腕を引いて連れて行き、雨と砂で汚れた制服は脱いでから横になれと念を押す。ぼんやりとしたまま制服のボタンに手をかけ始めたヨミに、ムツキは背を向けた。
しばらくすると布ずれの音はやみ、静かになる。そっと振り返ると、ベッドで横になったヨミは掛け布を肩まで被り、小さく縮こまるようにして目を閉じていた。ムツキは理由の定まらない溜め息をつき、書類の処理に向かったのだった。
手元に目を戻し、目を閉じて目頭を軽く揉むと、再び作業に戻る。静かな部屋に、ペンを走らせる音をひたすらに響かせていると、ふいにヨミが身じろぎした。
振り返ると、縮こまるような姿勢のまま眠っていたヨミが、ゆっくり目を開けたところだった。ヨミは何度か瞬きをし、机にいるムツキを見上げる。
「目が覚めたか」
そう声をかけると、ぼんやりとムツキを見つめていたヨミは、寝起きの掠れ声で言った。
「お前は、眠らなかったのか? 私がここにいたせいか?」
「仕事が終わらなかっただけだ」
そう返すと、ヨミはしばらくそのままムツキを見つめていたが、やがてそっと視線を落とした。寝起きのせいだけではない、沈んだ気配を見せるヨミに、ムツキは察しつつも口を開いた。
「なにを考えている」
するとしばらく黙り込んでいたヨミは、ぼそりと言った。
「私は、どうすればよかったのだろうか」
イツヒのことだろう。ヨミは最後まで、あの試薬を作ることを迷っていた。それでも作ることに踏み切ったのは、恐らく十年前のことを思い出したからだ。
壁が破られ、目の前で食われていく、刃を持たない人々。幼い頃から鍛錬を重ねていたとはいえ、当時のムツキは経験が浅く、ヨミに至っては補欠要員だった為、討伐自体が初めてだった。それでも一体でも多くの『遣い』を討伐しようと無茶をしたヨミは、『遣い』に食われそうになり、それを庇って無理やり助けに入ったムツキは、『遣い』もろとも瓦礫の崩落に巻き込まれ、両脚を潰された。
なぜあれで死ななかったのか、『刃持ち』の人並外れた回復力があるとはいえ、なぜその後、短期間で問題なく歩けるまでに回復できたのか、未だにわかっていない。だがそれが、ヨミに酷いトラウマを植え付けてしまったことだけは確かだった。
ムツキは持っていたペンを置く。
「許可をしたのは私だ。お前はそれに従って作ったに過ぎない。すべての責任は私にある」
そう言うと、視線を向けてきたヨミが、その眉をひそめる。
「ムツキはいつもそうやって、全部自分で背負おうとする」
「それが隊長の役目だからだ」
そう返すと、ヨミは再び視線を落とした。
「……でも、お前だけでは、あれは作れなかったはずだ」
掛け布を握る手に、力が込められる。
「私が作らなければ……作れさえしなければ、存在しえなかったものだ」
「ヨミ……」
「でも……怖くなってしまったんだ。イツヒに十年前のことを……お前が私を庇って怪我をした時のことを、言われて…………」
その声が震え始める。
「また、あんなことになったら……そして今度こそお前が……お前が…………」
その瞳が揺れ始める。ムツキは立ち上がって歩み寄ると、掛け布を握るヨミの手を、その上から強く握りしめた。ヨミがハッとしたようにムツキを見上げ、滲んでいたものが流れ落ちる。
握る手からは、ぬくもりを感じると共に、忌々しい怖気が這い上り、腕へと伝う。ヨミがそれを感じているのも承知の上で、ムツキは手を離さずに言った。
「俺は生きている。もう二度と、お前を一人置いていくような、あんな真似はしない。そしてお前は私欲などではなく、民を護る為に動いた。お前は間違っていない」
ムツキを見上げるヨミの瞳から、ぼろぼろと涙が零れた。ヨミはもう片方の手で、ムツキの手を包むようにすると、それに顔を近づけ、頬を触れさせる。
「ごめん、少しだけこのまま……」
そう言うと、声を押し殺すように泣き続けた。
* *
重い頭痛は、恐らく泣きすぎてしまったせいだった。ヨミは頬を離すと、ムツキの手に触れていた手を離した。するとムツキもまた、ヨミの手を掴んでいた手を離す。同時に、怖気と共に感じていたぬくもりが遠ざかっていった。
随分長い間泣いてしまったなと、ヨミは自省と共に思った。つまりそれだけの間、ヨミがぬくもりと共に感じていた怖気に、ムツキも晒していたのだ。ヨミは涙を拭きながら、ムツキを見上げる。
「悪かったな。しんどかっただろう」
「気にしていない」
ムツキは相変わらずの、感情の読みにくい顔でヨミを見下ろしてそう言う。その優しさは嬉しく、同時になによりも愛しい。
「……仕事に行かなきゃな」
そう言って体を起こすと、ムツキはすっと背を向けて机の方に戻った。だがヨミは、足元に脱ぎ捨てた制服を見て思った。多少湿って砂に汚れているだけだから着れなくはないが、できたら違うものが着たい。でもここにヨミの服はない。
「ムツキ、ちょっとお前の服を貸してくれ」
そのまま裸足でぺたぺたと室内を歩き出すと、振り返りかけたムツキが慌てるようにして背を向けた。
「なぜだ。それを着て戻れ」
「だって湿ってて気持ち悪いんだよ。着れなくはないけどさ」
「着れなくはないのなら少しの間我慢しろ。寮で着替えればいいだろう」
「いいじゃないか。お前のサイズならちょっと大きいぐらいで問題なく着れるんだし。こないだも貸してくれただろ?」
「あれは捨てる予定だったものをお前が勝手に持っていったんだろう」
「そうだっけ?」
そんなやり取りをしながら、部屋にある衣装棚を勝手に開け、適当にシャツとパンツを引っ張り出して身に着ける。だが当然のように、腰はぶかぶかだ。
「ベルトってどこだっけ?」
「…………一番右だ」
言われた通りの場所にあったベルトで腰を締め、脱ぎ捨てた制服の方に戻ると、ムツキがようやく、ゆっくりと振り返った。わかりにくいながら、物凄くなにかを言いたそうな顔をしている。
「どうした?」
いくつかの言葉を飲み込んだらしいムツキは、それでも言わなければならないことを絞り出すように言った。
「寮に戻る時は……できるだけ人目につかないようにしろ」
「なんでだい?」
「こんな時間に俺の部屋からお前が出てきたとなると、いらぬ噂を立てることになるだろう」
「私とお前は姉弟だぞ?」
「それを知らない者もいる」
「そうか? もうだいたいみんな知ってるだろう」
「……それでもだ」
ムツキは妙に頑なだった。距離を感じるようなそれに少々寂しいものを感じつつ、弟にいらぬ噂が立つのもよくないか、と思い直す。そして靴を履いて制服を拾うと、それを外された装備と共に外套で包んだ。
ドアを開けて部屋を出て、棟の出入り口まで来ると、見送りに来たムツキを振り返った。
「世話をかけたな」
「別に、気にしていない」
その感情は、やはりわかりにくいものではあったが、優しい弟だなと、ヨミは改めて思った。そしてそんな優しい弟が、ヨミを気遣い、すべてを背負おうとするのが辛かった。そんな選択をさせてしまう、弱い自分が嫌だった。
「ムツキ」
ヨミは、自分より少しだけ背の高い弟を見つめる。
「あんなことを言わせて悪かった。私も、一緒に背負うから」
ムツキがその眉をひそめる。その口が言わんとすることを、ヨミはゆるりと首を振って遮った。
「お前一人に背負わせはしない。私は、お前のお姉ちゃんなんだからな」
ムツキが口を開きかける。
「俺は……」
「あぁ、それと……それ」
ムツキの唇の前に、人差し指を立てる。
「一人称が俺に戻ってるぞ。ここを出る前に直せよ」
ムツキの頬に朱が差す。ムツキは隊長に就任したと同時に、己を律するように私と称するようになったが、こうして二人でいる時は、ふとした瞬間にそれが戻ることがある。今回も、どうやら自覚なく言っていたようだった。
昔に戻ったようでどうしようもなく愛しくなり、抱き締めたくなってしまうが、さすがにそれはしない。自分達の抱擁が相手に伝えるものは、ぬくもりだけではないからだ。
「じゃあまたあとでな、隊長殿」
あえてそう呼ぶと、言葉を返せないムツキに背を向け、ヨミは棟を出た。




