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砂の鯨は天(そら)に啼く  作者: 銀子


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第37話 『遣い』、空を飛ぶ。



 * *



 一班から十二班までが、一斉に壁の外に飛び出した。極力飛距離を稼ぎ、群れる『遣い』の後方へ向かう。だがそれらのチトセに『遣い』は一切反応せず、ただひたすらに壁を上ろうとしていた。


 ナナシは他のチトセ達と同様に、雨で固くなった砂地に降りると、壁に向かって積み重なるように蠢く『遣い』を見上げた。上っては落ちることを繰り返している『遣い』は、まだ壁の上には至らないものの、いずれ上りきってしまうのは時間の問題に思えた。


 隣に立つミツカを振り返る。


「絶対に俺の傍から離れるなよ」


 見上げてきたミツカが、強い瞳で頷く。そしてムツキの合図で、チトセ達は一斉に『遣い』の背後に斬りかかった。


 その背を斬りつけても、『遣い』はやはりこちらを向くことはなかった。こちらに向かってこない者を屠るのは容易い。だが決して油断はできない。ナナシはちらちらと、隣で刃を振るうミツカを見た。


 本来なら個々で動く予定ではあったのだが、ナナシは先ほど、ミツカを自分と行動させるようにムツキに頼み込んでいた。実力を軽んじているわけでない。未だ本調子ではない可能性があるが、ミツカは決してそれを口にしないだろうからというのが、ムツキに伝えた理由だった。だが理由はそれだけではなかった。


 それは、『遣い』が先ほど見せた異常行動のせいだった。本来なら『遣い』は、平等に人間を襲う。かつては『刃持ち』のみを襲っていたこともあったようだが、大昔の話だ。それが今回、イチという一人の人間のみにその標的を定めた。


 ヨミから聞かされた今までのイチの経験を鑑みても、今回狙われたのがたまたまイチだったというわけでもなさそうだった。狙われた理由はわからないが、現時点で対処できないのなら聞いても仕方がない。


 これだけを考えると、『遣い』は自分達に対しては異常行動を示さないのだろうとは思う。それでも不安が残るのは、ナナシがミツカに対して感じている、形容のできない感覚のせいだった。


 ミツカは他の多くの『刃持ち』となにかが違う。だがなにが違うのかと聞かれても、上手く言葉にできない。そしてこれは、ムツキとヨミ、イツヒに対しても感じていることだった。イツヒが最も強く、次いでムツキとヨミが同等、ミツカが最も弱かった。これがなにを示しているのかはわからない。だが妙な不安を煽るものだった。


 イツヒは前線にいない。ヨミは後方支援組として今は壁の上にいる。ムツキは予想外のことが起きても大抵一人で対処できる。だがミツカは違う。もしなにかが起きても、対処しきれない可能性がある。それは純粋に経験の差だ。となれば自分が傍にいて、いざという時に動いてやるしかない。


 ――こんなつもりじゃ、なかったんだけどな。


 手を伸ばしてしまったことに、だが後悔を感じているだけではない辺り、自分も大概馬鹿野郎だなと、自嘲の笑みが浮かぶ。


 そんなことを考えながら斬り続けていると、『遣い』の数は目に見えて減っていっていた。だが減るということは、壁が近くなるということで、上り損ねた『遣い』が頭上から落ちてくるということでもある。


「ミツカ! 上から落ちてくる『遣い』に気をつけろよ!」


「わかった!」


 言った傍から、上り損ねてひっくり返った『遣い』が落ちてくる。それを避けると、『遣い』は地面を埋める死骸の上を滑って後方まで行き、だがバタバタと動いてまた姿勢を元に戻すと、壁に向かって前進を始めた。こちらを見もしないそれを斬りつけ、絶命させる。


「動きは間抜けなんだがなぁ……」


 だがそうやっている間にも、『遣い』が上れる高さは徐々に上がってきていた。近づくほどに落ちてくる『遣い』が増える為、討伐の速度は鈍る。斬り続けながら、なにか手はないか、と考えるナナシの視界の隅を、そのときふいに、掠めるものがあった。


 一瞬だけ目をやり、怪訝に眉をひそめる。上ろうとしていた『遣い』がぐらりと姿勢を崩し、落ちていく。その頭部には一本の矢が刺さっていた。


 ――イツヒ?


 まさかという思いと、だが『遣い』を絶命せしめる矢を放てるのはイツヒしかいないという事実が、戸惑いを呼ぶ。それでもどうにか、落ちてくる『遣い』を避け、ミツカに意識を向け、また別の『遣い』を斬るというのを繰り返したが、その間にも、また一本矢が降り、『遣い』を絶命させていた。


 ――どういうことだ。なんで『遣い』を殺せる矢が何本も降ってくるんだ。あいつは一度しか撃てないはずだ。いやそもそも、今回の作戦では後方支援に配置されていて、しかも本部詰めだったはずだ。


 イツヒ以外にも刃が弓の形をした者がいたのだろうかと思うも、ムツキからそんな話は聞いていない。壁の上を見上げるも、距離に加えて雨による視界不良のせいで、フードを被ったチトセ達はほとんど区別ができない。その中にイツヒがいるのかどうか、それすらもわからなかった。だがその間にも、一本、また一本と矢が降ってくる。


 ――どういうことだよ!



 * *



 壁の上に残ることを命じられたイチは、刃を抜き、他のチトセと共に、距離を詰めつつある『遣い』を警戒していた。


 背後から斬られていく『遣い』は、いつもより容易く討伐されており、その数を徐々に減らしていっている。だが下に降りたチトセが壁際に近づくほどに、頭上から落ちてくる『遣い』にその動きを制限され、そのせいで討伐の速度はやや鈍りつつあった。


 上ってくる『遣い』は、徐々に近づいてくる。無意識に手の中の刀を強く握った時、ふいに視界の隅、群がる『遣い』に向かって、歩廊からなにかが鋭く飛んでいった。

すぐさま飛んでいった先に目を凝らす。上ろうとする『遣い』の一体が、その姿勢をぐらりと崩して落ちていく。その頭部には、一本の矢が刺さっていた。


 ハッとして、矢が放たれたであろう場所を振り返る。壁沿いに居並ぶチトセの、イチがいる場所よりかなり離れた先。誰もがその手に刃を持ちつつも、動かずに壁の下を凝視している中、一人だけ、動いている者がいた。大弓に矢をつがえる、その顔はフードに隠れて見えないが、間違いなくイツヒだった。


 駆け寄ろうとして、足を止める。持ち場を離れてはいけないだけではなく、イチは壁の上においても、極力移動しないようにと言われていた。『遣い』の探知能力がどこまで優れているのかはわからないが、イチが動くことによって『遣い』がその動きを変化させることだけは、避けなければならなかった。


 その間も、矢は次々と放たれ、付近で最も高く上りつつある『遣い』を正確に射貫いていっていた。イツヒの表情は見えない。だが遠目で見るその姿は、隠しきれない疲労に彩られているように見えた。


 大弓を大儀そうに構え、矢を射る間隔も、先ほどよりずっと長い。どれほどの無理を重ねているのか、今すぐにでも矢を射るのを止めさせたいが、イチはここから動くことができない。


 その時、イチの近くにいたチトセが、壁の下を見下ろしたまま怪訝な声を上げた。


「あの個体、なんかおかしくないか?」


 即座に視線の先を追う。上ろうとしてくる無数の『遣い』の中、妙に体をくねらせながら上ってくる個体がいた。その勢いも、どこか早い。それを狙って飛んできた矢が刺さるが、浅く、『遣い』は動きを止めなかった。


「異常個体だ!」


 イチは叫ぶと、すぐさま装備にあった赤の信号弾を撃つ。そうしている間にも、その『遣い』は他の『遣い』を乗り越え、垂直な壁を上り、遂には跳ね上がるようにして壁上に飛び上がってきた。


 どさりと音を立て、巨体が歩廊に落ちてくる。イチの近くにいたチトセが、すぐさま手にした片刃の剣で斬りつけるが、やはりというか浅くしか入らない。『遣い』は身じろぎするように動くと、イチの方を向いた。そのまままっすぐに突進してくる『遣い』を、イチはとっさに避けた。すると『遣い』は小壁体にぶつかり、その一部を食らって止まった。いつもの勢いならそのまま壁の外に落ちていきそうなものだったが、そうはならなかった。


 赤く体液を流す傷口を、上からさらに斬り付ける。傷は少し深くなったが、致命傷には程遠かった。


 『遣い』が身じろぎして振り返り、再びイチに向かって突進する。避けるイチに、近くにいたチトセ達が次々に『遣い』に斬りかかるが、『遣い』の巨体に対して歩廊は狭く、なかなか同じ場所を斬ることができない。


「ヒガネで固定しろ! 傷口を狙え!」


 誰かが叫んだ。三人が構え、射出したヒガネを三方向から『遣い』に向けて放つ。正確に傷口を狙って放たれたそれは『遣い』に刺さり、その動きを縫い留めた。


 その隙に、構造的に最も弱いとされるえらめがけて、残ったチトセが次々に斬りかかる。深くなった傷口から赤い体液が大量に溢れ、『遣い』の動きがやや鈍った。だがそう思ったのもつかの間、『遣い』は歩廊の上でその体を強く振り、ヒガネを振り解いた。繋がっていた三人が、壁の内と外に弾き飛ばされる。


 『遣い』は予備動作なくイチに向かって突進し、イチはそれを紙一重で避けた。目の前には、無傷のえらがあった。刃を下ろされていたのは反対側。だが考えるより先に刀を水平に構え、その切っ先を全力で突き刺した。


 異様に密度の高いものに差し込む感触。全力を込めた刃はそれでも半分も刺さらず、イチはさらに体重をかけた。『遣い』がもがくが、決して柄を離さぬようにして、更に深く差し込む。反対側から別のチトセが、角度を変えてえらに刃を突き込んだ。両側から貫かれた『遣い』は激しくもがき、だが徐々にその動きを弱めていくと、やがてゆっくりともがくのをやめた。


 命が潰えた感覚に、イチと反対側にいたチトセが、それぞれ刃を抜く。赤い体液を流しながら倒れる巨体を、肩で息をしながら見つめていると、遠くで叫びが上がった。


「異常個体だ!」


 振り返る。赤い信号弾。上がっている場所は、イツヒがいる場所だった。宙を飛んだ『遣い』が、歩廊に落ちる。


「イツヒ!」


 思わず駆け出そうとすると、傍にいたチトセに腕を掴まれた。


「おい! お前はここから動くな!」


 言い返そうとして、ぐっととどまる。自分が動けば、下にいるムツキ達に影響が出かねない。それでもあの場所には、イツヒがいるのに。


 イチは多くのチトセでもはや見えなくなった、遥か先に向かって叫んだ。


「――イツヒ!」





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