第34話 海を寄越せ
降りた先の『遣い』を斬りつける。刃が深く入ったその個体が動きを鈍らせるのを見て、イチはその背中を蹴りつけ、次を斬った。そして次へ、次へ。そうやって、壁に向かって直進を続ける『遣い』をひたすらに斬り続けるが、『遣い』は途切れることなくやってくる。
杭が徐々に削られていく。杭を食らっている『遣い』を倒しても、その亡骸を食らう勢いで次の『遣い』が来るので、キリがなかった。『刃持ち』が足りないという、ヨミの言葉がよぎる。だが思い出したところでどうなるものでもなかった。
雨は降りやまず、『砂生みの鯨』から響く音も、延々と鳴り続けている。この音で、『砂生みの鯨』は人を探しているとヨミは言った。人を探し、食らう為に、『砂生みの鯨』は音を鳴らし、『遣い』を寄越す。だがなぜ食らうのかはまだわかっていない。
――お……マエ……あのトキ……クえなかった、ニンゲン……だ、な……。
あの『遣い』の言葉を思い出した。『砂生みの鯨』は人を探している。そしてかつては、『刃持ち』のみを探して食っていたらしい。だがなぜ、あんなことを言ったのか。ただ食い逃した『刃持ち』以上のなにかが、自分にあるのだろうか。考えてみるも、見当もつかない。
もう何体目になるかわからない『遣い』の背に、刃を下ろす。だが、入りが若干浅かった。ヒガネで追い縋り、もう一度同じ個所を斬りつけると、手応えがあり、『遣い』が減速した。
――変質しかけていたのか。
黄色の信号弾は、斬っている最中に至る所で上がっていたが、もうどれが人を食った個体であるのかわからなくなっていた。
すぐさま切り替え、次の個体へと刃を向ける。少し息が上がってきていたが、休む暇などあるわけもなかった。
音は響き続けている。低く遠く響く音は、長く聞いているとどこか意識をぼやけさせるような感覚があった。必死で意識を保ち、刃を振るい続ける。
杭の傍で、徐々に『遣い』の死骸が積み重なっていく。時にそれを足場にして、新たな『遣い』を斬り続けていると、ふいにあの、砂嵐のような音が、どこからともなく聞こえてきた。
発生場所はわからない。だがそれは、徐々に大きくなっていっていた。そして気付く。その音は、足元に無数に横たわる、『遣い』の死骸から発せられていることに。
次第に音は途切れ途切れになり、あの、男とも女とも取れない中性的な声が響いた。
――ミつけた。
それが自分に向けられたものだと、なぜかはっきりと感じた。反射的に、死骸を蹴りつけて高く飛び上がる。すると地を這うすべての『遣い』が唐突にその向きを変え、イチに向かって動き始めた。顔を上に向け、死骸に乗り上げ、こちらへ来ようと蠢く。飛び上がることはできないのか、跳躍したイチに届くことはなかったが、すべての『遣い』が自分を見ているその光景に、背筋が冷えた。
――ヨコせ。ウミを。……ウミを、ヨコせ。
そんなざわめきに一瞬意識が取られた瞬間、体が落下を開始する。足元には大きく開かれた虚ろな口がいくつもあった。刃を下ろしても飲まれる可能性がある。イチはとっさに体を捻り、離れた杭に向かってヒガネを飛ばした。鋭利な金属が、頑強な木材を噛む。即座に収縮させると、移動するイチの体を追うように『遣い』が次々と飛びかかり、足元を掠めていった。
杭に着地するが、追い縋る最後の一体がすぐ傍まで来ていた。紙一重で避け、えらの近くを深く斬りつける。だが、避けた先にももう一体がいた。間に合わない。虚ろな口が大きく広がり、だが次の瞬間、横から強くぶつかってきたなにかにその軌道が逸らされ、動きがとどめられる。手にしたダガーを『遣い』の横腹に深く突き刺し、体ごとぶつかっていたのはヨミだった。だが刃は短く、致命傷には届かない。
「とどめを刺せ!」
ヨミが叫ぶ。イチは『遣い』のえらに刀を突きさすと、両手で持ち、脳天に向かって斬り上げた。
透明な体液が勢いよく吹き出した。ぐらりと倒れる『遣い』にヨミが刃を抜くが、その後ろに、新たな『遣い』が迫ってきているのをイチは見た。
とっさにその腰を抱きかかえ、杭を強く蹴りつけて飛び上がる。そのまま壁の上まで行くと、時を同じくして、群れの後方から緑の信号弾が二発、立て続けに上がった。完全な撤退を示すものだった。
壁一面に押し寄せていた『遣い』は、今や中央付近にのみ集結し、上へ上へと上ろうとしていた。だが垂直な壁をある程度は上るものの、半分にも届かない場所まで来ると、また落ちていく。しかしその下からまた次の『遣い』が上ることを試みるという、その繰り返しだった。
見る限りでは壁の上まで届くことはなさそうだったが、念の為、長物を持ったチトセを中心に、壁の上で警戒に当たっていた。
イチは、壁の上でムツキ達と合流していた。そして、前回の討伐で、『遣い』がイチに対し、あの時食えなかった人間と言ったこと、約一年前に二十一番街で、『遣い』に見られたと感じたということ、それらを、未だ衝撃の尾を引いていたイチに代わり、ヨミがナナシ達に説明していた。
「んじゃあ、さっき聞こえてきた“見つけた”ってやつは、イチに向けた言葉だったってことか?」
「そう考えて間違いないだろう。聞こえた瞬間に、『遣い』達は一斉にイチに向かっていっていたからね」
答えたヨミに、ナナシが腕を組んで顔をしかめる。
「にしてもそのあとの、海を寄越せ、だったか? あれはなんなんだ?」
ムツキの目がイチを向く。
「心当たりはあるか」
だがイチは首を振った。むしろあれがなんだったのか、自分が聞きたいぐらいだった。
すると、それまで黙っていたココノエが、ためらいがちに口を開いた。
「イサナさんに……聞いてみませんか?」
ナナシがその顔を思いきり渋くしながらココノエを振り返った。
「あのいけ好かねぇクソメガネにか」
「その辺りの評価は否定しませんけど、あの人ならなにかわかるんじゃないですか?」
するとナナシは組んでいた腕を解き、体を半ば壁の外に向けた。
「俺は行かねぇぞ。あいつのツラ見てるだけでぶん殴りたくなってくるからな。ここで他の奴らと警戒してるから、あとで教えろ」
「じゃあ僕も、ここにいましょうかね」
そう言ったココノエに、ナナシが怪訝な顔になる。
「なんでだよ」
ココノエは笑顔で答えた。
「彼に対する評価は否定しないと言ったでしょう。さすがにナナシのように急に殴りかかることはしませんけど」
いつもと変わらぬ穏やかな表情ながら、珍しく厳しい評価を下すココノエに、イチはどこか意外な思いだった。そのイサナという人物は、なぜこんなにも嫌われているのか。
「ではココノエ」
ムツキがココノエを振り返る。
「ここでの指揮を一時的にお前に預ける。なにか変化があればすぐに知らせてくれ」
「わかりました」
踵を返したムツキが、壁の内側へと飛び降りる。続けてヨミが降り、イチもそれに続いた。




