第31話 決壊
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雨が冷たかった。
ミツカは両手に握った鎌を振り下ろし、『遣い』の首元を抉った。回転の勢いを利用し、次の『遣い』を刈り取る。その背を蹴ると、次、また次へ。
『遣い』の数は想像を遥かに超えていた。十年前は、刃を持たない人々と避難している間にすべてが終わっていたらしいが、幼過ぎたせいか、その時のことはほとんど覚えていない。唯一覚えているのは、ナナシに話した父の怪我のことだけだ。
その時の『遣い』はどうにかすべて討伐したが、父の怪我は後遺症が残り、五年後に『遣い』が来た際に、それが原因で『遣い』に食われ、父を助けようとした母も食われた。だからやはり雨は、ミツカにとって死を連想させる。
雨に打たれている手が、少し冷えてきた。いつもは重さなど感じない鎌が、少し重く感じるような気もしてくる。だがミツカは心の中で首を振ると、弱気なそれらを追い出した。
ナナシの口添えで、ミツカは急遽、一人でこの場所を任されることになった。最前線はナナシ達だが、そこから零れた『遣い』をイチと共に倒すのが、ミツカの役目だった。だが無理をしてでもすべて倒す必要はなく、後方にもまだ第三波のチトセが控え、ミツカ達から逃れた『遣い』を屠っている。
落ち着いてやれば、難しい役目ではない。だが終わりなく現れる『遣い』に、先の見えない疲労を感じているのも確かだった。そんなに簡単に音を上げるつもりはない。でもいつまで倒し続ければいいのだろう。刃が鈍る瞬間が、怖い。
その時、前方の離れた場所で叫び声が上がった。ナナシ達がいる場所ではない。もっと離れた、別の班がいる場所。最前線から溢れた『遣い』が他より多い。その直後、同じ場所から、人員の欠損を示す黄色の信号弾が、煙の尾を引いて上っていった。
――食われた?!
一瞬思考が奪われかけたが、すぐに取り戻し、突進してくる『遣い』を斬りつける。
心臓が激しく胸を叩いた。最前線の一部が、食われた。食った『遣い』はすぐにでも討伐しなくてはならないが、それはここにいるミツカの役目ではない。その班の、二番手、三番手の役割だ。そして彼らは、ミツカよりも、もっとずっと腕が立つ。だが最前線という、最も実力の高さを求められる場所が食われたという事実が、動揺を酷くした。最も負担が大きい場所。わかっている。わかっては、いるが。
――ナナシ……!
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左方で一部前線が崩れた。それを視界の端で確認しながら、ココノエは槍を振るっていた。防滴剤を塗ったとはいえ、ゴーグル越しの視界は悪く、何人が食われたのかははっきりとわからない。だが溢れた『遣い』の数からして、恐らく一人だろうと思われた。
槍の切っ先で、『遣い』の急所を抉る。その背を蹴りつけ、飛び上がった瞬間に左方を確認すると、当初の作戦通り、外周側の班から補助が入り、どうにか溢れた個体は仕留められつつあった。だがそれは、『遣い』を押しとどめるチトセの壁が一部、縮小したことを意味する。
左手のヒガネを使い、一体の『遣い』に突き刺すと、収縮させながら数体をまとめて串刺しにする。水袋が破損して動きを鈍らせた『遣い』に対し、槍を液状化させて形を崩すと、すぐさま新たに形成し、降り立ったココノエに向かってきた『遣い』を、避けがてら穂先で切り裂いた。
飛び上がり、次の『遣い』を手にかける。そうしつつ、『砂生みの鯨』の方角を見やった。彼方から押し寄せる銀の地平線は、徐々にその数を減らしつつある。だがまだ終わりは見えそうになかった。
ココノエは十年前の雨を、この八番街で経験していた。あの時も大量の『遣い』が押し寄せたが、今回のそれは、その時より明らかに多い。やはり街の人口が増えたからなのだろうか。
十年前のものより前の雨は、そこからさらに四十年を遡った、五十年前になる。そのすべてを経験した者はこの街でも少なく、比較することもできない。その為、原因ははっきりと特定できなかった。
右方遥か先で、誰かの名を呼ぶ声が上がり、間を置いて黄色の信号弾が上がる。また食われたのか、とココノエは、槍を振るいながらその眉を僅かに寄せた。
瓦解する速度が速い。いや、多すぎるのだ、『遣い』が。
「ちょっと、まずいですね……」
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『遣い』の死骸が砂の海を埋めていく。だが伏したそれらさえ食らいながら、新手の『遣い』は次々と向かってきた。ムツキは周囲の状況を見ながら『遣い』を斬り捌いていたが、その数は、十年前と比べて明らかに多かった。街の規模が大きくなったからというのが妥当な線だろうが、ひとつ気になるのは、ヨミが言っていたことだった。
およそ一年前に、二十一番街が『遣い』によって壊滅した際、そこを襲った『遣い』はすべて討伐されていた。そういった時は、また少しの間を置いて『遣い』が来るはずだった。だがこの半年の間、あの音は鳴らず、『遣い』が姿を見せることはなかった。そして半年が経った頃から、また現れるようになったのだ。しかも頻度を上げて。
前例がないことだった。最も、『遣い』に関してはわからないことの方が多いが、その出現には一定の法則があり、少なくともここ数十年それは変わっていなかった。
――イチから妙な話を聞いてね。
そうヨミは言った。
前回の討伐の際、イチはなにかに酷く動揺していたが、どうもあの時、絶命したはずの『遣い』が、イチに向けて言葉を発したらしい。これもまた前例にないことだった。
あの時食えなかった人間。『遣い』は、イチに向かってそう言ったという。
『刃持ち』を食う前に活動限界を迎えて帰っていった『遣い』がいた場合、その後再度その街に『遣い』が襲来した際に、生き残った『刃持ち』が優先して狙われていたという事例はある。最も、『刃持ち』がいながら『遣い』が活動限界を迎えるまで生き長らえることはほとんどない為、ごく稀な事例ではあるが。
だが、言葉を発したなどというのは、聞いたことがない。そしてヨミはためらいがちに、こうも言った。
――『遣い』は……いや、『砂生みの鯨』は、イチを探しているのかもしれない。
妄言だと思ってくれて構わない。ヨミはそう続けた。確かにイチは一見して、普通の『刃持ち』だ。討伐の手腕は一般的なチトセにも引けを取らないほどだが、それだけだ。
あの青年になにかがあるのか。それともまったく別のなにかを、見落としているのか。
『遣い』の背を裂く。さらに二体三体と斬り捨てていたムツキは、向かってくる一体の『遣い』に違和感を覚えた。
本能が警戒する。即座にそれに斬りかかった。だが振り下ろした刃は浅くしか入らず、その傷口から赤い体液が散った。
――異常個体……!
二十年前の光景がフラッシュバックする。
「ナナシ!」
ムツキは叫びながら、装備していた赤い信号弾を撃った。
* *
ムツキの声が聞こえたと同時に、異常個体の出現を表す赤い信号弾が空に昇った。ナナシは絶命した『遣い』の背中を蹴りつけて飛び上がり、ムツキが担っている側の銀の群れに目をやる。
一体、背びれ付近から赤い体液を流している『遣い』が、後方へ向かっているのが見えた。
「出やがったか!」
もう一度別の死骸を蹴りつけて距離を縮め、いつもは片手で振るう斧を両手で握る。ムツキがつけた傷をめがけ、ナナシは全力で斧を振り下ろした。
柔らかいものを殴るような、奇妙な感覚。刃は入ったものの手応えはなく、『遣い』は僅かに姿勢を崩しただけですぐさま元に戻ると、再び前進を続けた。
「クソっ!」
追撃を加えようとすると、割り込むようにまた別の『遣い』が現れ、やむなくそれに刃を下ろす。
「邪魔すんじゃねぇ!」
透明な体液を迸らせるそれを蹴りつけ、再度異常個体へと向かう。同様に向かっていたムツキが、広がった傷口をさらに斬りつけるが、『遣い』は動きを止めなかった。
『遣い』が更に後方へ向かう。そこにはミツカとイチがいる。
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赤い信号弾が上がるのを、イチははっきりと見た。前線から溢れる『遣い』が増え、ムツキとナナシが一体の『遣い』を斬りつけているのが見えたが、『遣い』は動きを止めず、こちらに向かってくる。その背からは、赤い体液が流れていた。
作戦の説明時に聞かされていた、最初から変質している個体、という言葉を思い出す。二十年前にこの街を襲った、異常な個体。それがまた現れたのだ。
向かおうとした刹那、圧を増した『遣い』に阻まれ、それの対処に一瞬気を取られる。そのほんの僅かな隙に、小柄な影が前方へ飛び出すのが見えた。




