第29話 だいじなひと
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その後は各々、討伐に備える時間に充てられた。ナナシはミツカを連れて敷地内の訓練場に向かうと、既に何度か受けてはいただろうが、雨における装備の説明を改めてすることにした。
「ゴーグルに防滴剤は塗ったな? 塗ってねぇと雨滴でものが見えにくいからな」
「ん」
「口元は覆わなくていい。雨が降ると砂埃が立たねぇからな。逆に覆っちまうと、濡れた布に息を取られるから気をつけろ」
「ん」
続けて言おうとしたナナシは言葉を止め、溜め息をついた。
「……まだ拗ねてんのかよ」
俯いたミツカが、その口を少し尖らせる。
「……拗ねてないわよ。子ども扱いしないで」
いつもならうるさいほどの勢いで食ってかかってくるのだが、今はそれがまったくない。ムツキに言われたことがよほど堪えたのだろう。
ミツカはチトセに入った当初、なかなかに酷い無謀を重ねた。肝を冷やしたことなど一度や二度ではない。刃の扱いだけは一人前だったが、それ以外のなにもかもが伴っていなかった。それを、ココノエや自分が根気よく説得し、今に至っているのである。
だがどれだけ腕が立ち、どれだけ心構えを説かれようと、まだたった十三の子どもだ。大人と同じように振る舞えなど無理がある。ムツキもそれはわかっているだろうが、かといって今のミツカに、雨が呼ぶ『遣い』に一人で行かせるなど、到底できるものではなかった。
「ミツカおめぇ、雨の日の記憶はあるか?」
「……ない」
さすがにそうか、と思った。前回の雨は十年前、ミツカはまだ三歳だ。
「でも……」
俯いたままのミツカが、ぼそぼそと続けた。
「お父さんが怪我したのは、覚えてる」
その手が、ぎゅっと握り締められる。
「脚からいっぱい血が出てて、怖かったっていうぐらいだけど」
ナナシは眉をひそめた。
ミツカが五年前の『遣い』の襲来で、『刃持ち』だった両親を亡くしたというのは、ムツキから聞いていた。だがそれ以外のことは知らなかったし、聞こうとも思わなかった。『刃持ち』なんてのは多かれ少なかれ、なにかを背負っている。もちろんプライバシーがどうとかいうものもあるだろうが、誰も、他人のそんなものをすべて背負う余裕などないのだ。
ナナシ自身も、踏み込んで背負うことを避けていた。踏み込めば、情が移る。情が移れば、放っておけなくなる。だから距離を取る。そうしていた。そうしていたはずだった。だが自分は、どこまでいっても馬鹿で不器用なようだった。
「なら、今回は後方支援に回るか?」
「いや」
ミツカは即答した。
「あたしは討伐に行く。あたしも戦えるってことを証明する」
聞くな。やめておけ。そう思うも、口は勝手に動く。
「なんでそんなに『遣い』の討伐にこだわるんだ」
ミツカが強く唇を引き結ぶ。
言わなくていい。言いたくないだろう。だから今まで言わなかったんだろう。わからなければ、わからないまま俺は話を進める。だから……。
「だって……」
だがミツカは、引き結んでいた口を開いた。
「一緒に、戦いたいから……」
なにかをこらえるように、声が震える。
「あたしも一緒に戦いたい。一人だけ逃がされて、一人だけ生き残るのは、もういや」
ナナシは心の中で大きく溜め息をついた。聞いてしまった後悔と共に沸き上がったのは、やはり放っておけないという思いだった。
「ミツカ」
ミツカが顔を上げた。唇を引き結び気丈さを保とうとしているようだが、その瞳には涙が滲んでいる。やっちまったな、と思った。こんな顔を見た以上、もう突き放すことはできない。
「おめぇは、なんの為に『遣い』を討伐するんだ」
ミツカが眉を寄せる。
「ココノエは家族を護る為、ムツキはこの街の奴らを護る為、イチはまぁ、トトハって嬢ちゃんを護る為だろう。おめぇは、なんの為にその手の刃を振るうんだ」
「あたし……は……」
ミツカは再びその顔を俯かせた。
「みんなと……戦う為に……」
「それじゃだめだ」
ミツカが弾かれるように顔を上げた。
「刃の先がねぇんだよ。振るった先になにもねぇ。そんな戦い方は、いつか命を落とす」
「でも……戦ってたら、いつかは死ぬんじゃ……」
「そうじゃねぇ」
不安げに見上げてくるミツカに、ナナシは諭すように言った。
「おめぇがその手の刃を使って、なにをしたいかなんだ。なんで『遣い』を倒したいかなんだよ」
ミツカは惑うようにナナシを見上げていたが、やがてぽつりと言った。
「死んでほしく、ないから……」
不確かなものを形作るように、ミツカはか細く続ける。
「大事な人が死ぬのは……悲しいから……。あたしは、それを見たくないから……」
「じゃあその大事な奴ってのは、今この街にはいるのか?」
ナナシを見上げるミツカの手が、無意識のように動き、ナナシの服の袖を掴んだ。
「ナナシ」
袖を掴んだ手に、力がこもる。
「ナナシが死ぬのは……やだ……」
迷い子のような心もとなさに、ナナシは胸を突かれる思いがした。ごまかすように、小さく笑う。
「なんだよ、ココノエやムツキはどうでもいいのか? イツヒは?」
ミツカがゆるゆると首を振る。
「どうでもよくない。でも、ナナシが死ぬのが、一番いや」
「俺はうるせぇおっさんじゃなかったのか?」
わざとらしく混ぜっ返すと、ミツカの頬をぼろぼろと涙が零れた。やり過ぎたらしい。
「悪かったって」
ミツカが掴んでいるのとは反対の袖を押し付けて、無理やり涙を拭ってやると、僅かな怖気が掠めていった。こんなものでもなるのか、と苦い思いが浮かんで消える。
「んじゃあ……」
明るい声を作り、ナナシは言った。
「俺を死なせねぇ為には、俺の傍にいなきゃいけねぇなぁ」
すると、ミツカがどこか不服そうな表情をした。
「なんか、丸め込まれた気がするんだけど」
だがその声は、顔ほどには不服そうではなく、ナナシはふっと笑みが零れるのを感じた。
「全然違うだろ。俺の傍で戦うだけだったおめぇが、俺を死なせねぇ為に戦うんだからよ」
するとミツカは、なぜか戸惑うように目を逸らし、顰め面を作る。
「子どもに護られるとか、だっさ」
「どうした? 子ども扱いは嫌いだっただろう。それにいつまで俺の袖を掴んでんだ? 寂しいのか?」
そう言ってやると、ミツカはハッとして掴んでいた手を離した。本当に無意識だったらしい。その顔が見る間に赤くなる。
「うっさい!」
そしていつものパンチが腹に来た。だが小さな拳は痛くもなんともなく、僅かな怖気を走らせて消えるだけだ。
「そっ、それより!」
両手を腰に当てたミツカが、顔を赤くしたまま、そっぽを向いて言う。
「色々ちゃんと! 教えて! ヒガネとか、あたしほとんど使ったことないんだから!」
とりあえず元気にはなったようだった。ナナシは苦笑しながら応じる。
「はいよ」




