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砂の鯨は天(そら)に啼く  作者: 銀子


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第29話 だいじなひと



 * *



 その後は各々、討伐に備える時間に充てられた。ナナシはミツカを連れて敷地内の訓練場に向かうと、既に何度か受けてはいただろうが、雨における装備の説明を改めてすることにした。


「ゴーグルに防滴剤《ぼうてきざい》は塗ったな? 塗ってねぇと雨滴でものが見えにくいからな」


「ん」


「口元は覆わなくていい。雨が降ると砂埃が立たねぇからな。逆に覆っちまうと、濡れた布に息を取られるから気をつけろ」


「ん」


 続けて言おうとしたナナシは言葉を止め、溜め息をついた。


「……まだ拗ねてんのかよ」


 俯いたミツカが、その口を少し尖らせる。


「……拗ねてないわよ。子ども扱いしないで」


 いつもならうるさいほどの勢いで食ってかかってくるのだが、今はそれがまったくない。ムツキに言われたことがよほど堪えたのだろう。


 ミツカはチトセに入った当初、なかなかに酷い無謀を重ねた。肝を冷やしたことなど一度や二度ではない。刃の扱いだけは一人前だったが、それ以外のなにもかもが伴っていなかった。それを、ココノエや自分が根気よく説得し、今に至っているのである。


 だがどれだけ腕が立ち、どれだけ心構えを説かれようと、まだたった十三の子どもだ。大人と同じように振る舞えなど無理がある。ムツキもそれはわかっているだろうが、かといって今のミツカに、雨が呼ぶ『遣い』に一人で行かせるなど、到底できるものではなかった。


「ミツカおめぇ、雨の日の記憶はあるか?」


「……ない」


 さすがにそうか、と思った。前回の雨は十年前、ミツカはまだ三歳だ。


「でも……」


 俯いたままのミツカが、ぼそぼそと続けた。


「お父さんが怪我したのは、覚えてる」


 その手が、ぎゅっと握り締められる。


「脚からいっぱい血が出てて、怖かったっていうぐらいだけど」


 ナナシは眉をひそめた。


 ミツカが五年前の『遣い』の襲来で、『刃持ち』だった両親を亡くしたというのは、ムツキから聞いていた。だがそれ以外のことは知らなかったし、聞こうとも思わなかった。『刃持ち』なんてのは多かれ少なかれ、なにかを背負っている。もちろんプライバシーがどうとかいうものもあるだろうが、誰も、他人のそんなものをすべて背負う余裕などないのだ。


 ナナシ自身も、踏み込んで背負うことを避けていた。踏み込めば、情が移る。情が移れば、放っておけなくなる。だから距離を取る。そうしていた。そうしていたはずだった。だが自分は、どこまでいっても馬鹿で不器用なようだった。


「なら、今回は後方支援に回るか?」


「いや」


 ミツカは即答した。


「あたしは討伐に行く。あたしも戦えるってことを証明する」


 聞くな。やめておけ。そう思うも、口は勝手に動く。


「なんでそんなに『遣い』の討伐にこだわるんだ」


 ミツカが強く唇を引き結ぶ。


 言わなくていい。言いたくないだろう。だから今まで言わなかったんだろう。わからなければ、わからないまま俺は話を進める。だから……。


「だって……」


 だがミツカは、引き結んでいた口を開いた。


「一緒に、戦いたいから……」


 なにかをこらえるように、声が震える。


「あたしも一緒に戦いたい。一人だけ逃がされて、一人だけ生き残るのは、もういや」


 ナナシは心の中で大きく溜め息をついた。聞いてしまった後悔と共に沸き上がったのは、やはり放っておけないという思いだった。


「ミツカ」


 ミツカが顔を上げた。唇を引き結び気丈さを保とうとしているようだが、その瞳には涙が滲んでいる。やっちまったな、と思った。こんな顔を見た以上、もう突き放すことはできない。


「おめぇは、なんの為に『遣い』を討伐するんだ」


 ミツカが眉を寄せる。


「ココノエは家族を護る為、ムツキはこの街の奴らを護る為、イチはまぁ、トトハって嬢ちゃんを護る為だろう。おめぇは、なんの為にその手の刃を振るうんだ」


「あたし……は……」


 ミツカは再びその顔を俯かせた。


「みんなと……戦う為に……」


「それじゃだめだ」


 ミツカが弾かれるように顔を上げた。


「刃の先がねぇんだよ。振るった先になにもねぇ。そんな戦い方は、いつか命を落とす」


「でも……戦ってたら、いつかは死ぬんじゃ……」


「そうじゃねぇ」


 不安げに見上げてくるミツカに、ナナシは諭すように言った。


「おめぇがその手の刃を使って、なにをしたいかなんだ。なんで『遣い』を倒したいかなんだよ」


 ミツカは惑うようにナナシを見上げていたが、やがてぽつりと言った。


「死んでほしく、ないから……」


 不確かなものを形作るように、ミツカはか細く続ける。


「大事な人が死ぬのは……悲しいから……。あたしは、それを見たくないから……」


「じゃあその大事な奴ってのは、今この街にはいるのか?」


 ナナシを見上げるミツカの手が、無意識のように動き、ナナシの服の袖を掴んだ。


「ナナシ」


 袖を掴んだ手に、力がこもる。


「ナナシが死ぬのは……やだ……」


 迷い子のような心もとなさに、ナナシは胸を突かれる思いがした。ごまかすように、小さく笑う。


「なんだよ、ココノエやムツキはどうでもいいのか? イツヒは?」


 ミツカがゆるゆると首を振る。


「どうでもよくない。でも、ナナシが死ぬのが、一番いや」


「俺はうるせぇおっさんじゃなかったのか?」


 わざとらしく混ぜっ返すと、ミツカの頬をぼろぼろと涙が零れた。やり過ぎたらしい。


「悪かったって」


 ミツカが掴んでいるのとは反対の袖を押し付けて、無理やり涙を拭ってやると、僅かな怖気が掠めていった。こんなものでもなるのか、と苦い思いが浮かんで消える。


「んじゃあ……」


 明るい声を作り、ナナシは言った。


「俺を死なせねぇ為には、俺の傍にいなきゃいけねぇなぁ」


 すると、ミツカがどこか不服そうな表情をした。


「なんか、丸め込まれた気がするんだけど」


 だがその声は、顔ほどには不服そうではなく、ナナシはふっと笑みが零れるのを感じた。


「全然違うだろ。俺の傍で戦うだけだったおめぇが、俺を死なせねぇ為に戦うんだからよ」


 するとミツカは、なぜか戸惑うように目を逸らし、顰め面を作る。


「子どもに護られるとか、だっさ」


「どうした? 子ども扱いは嫌いだっただろう。それにいつまで俺の袖を掴んでんだ? 寂しいのか?」


 そう言ってやると、ミツカはハッとして掴んでいた手を離した。本当に無意識だったらしい。その顔が見る間に赤くなる。


「うっさい!」


 そしていつものパンチが腹に来た。だが小さな拳は痛くもなんともなく、僅かな怖気を走らせて消えるだけだ。


「そっ、それより!」


 両手を腰に当てたミツカが、顔を赤くしたまま、そっぽを向いて言う。


「色々ちゃんと! 教えて! ヒガネとか、あたしほとんど使ったことないんだから!」


 とりあえず元気にはなったようだった。ナナシは苦笑しながら応じる。


「はいよ」





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