第28話 抱いてきたか?
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全力で走っていると、チトセの本部が見えてきた。門のすぐ傍、外灯の当たらない位置で立ち止まると、気付いたココノエがほっとしたような笑みを浮かべた。
「よかった。どうにか間に合いましたね」
「悪い……遅くなって…………」
荒い呼吸に、言葉が途切れ途切れになる。普段なら、『刃持ち』としての身体能力のお陰で、どんなに全力疾走をしても息が切れるということはほとんどないのだが、さすがにアパートを出るのがギリギリ過ぎた。
すると門の反対側にいたナナシが、ニヤニヤした笑みを浮かべながらイチを見てきた。
「抱いてきたか?」
聞かれるとは思ってもいなかったことを聞かれ、イチは顔が熱くなる。
「だっ……ぃてねぇよ……!」
「はぁ? なにしに行ったんだこのヘタレ」
「うるせぇっ……!」
「こらこら、大きな声を上げると見つかりますよ」
ココノエに促され、通用口へ向かう。だが中へ入ろうとした時、ふいに呼び止められた。
「イチくん」
振り返ると、ココノエは少しだけこちらを振り向いた。
「ちゃんと伝えられましたか?」
「……ああ」
するとココノエが、ふっと柔らかな笑みを浮かべた。
「それはよかった」
それは、心からの言葉に聞こえた。チトセに入ったばかりの自分に、ここまでしてくれたことに、感謝と申し訳なさを等分に感じる。だがそれだけ、ココノエの後悔は深かったのだろう。
「ありがとう、ココノエ」
「いいえ」
穏やかな笑みに見送られ、イチは通用口を潜った。
* *
重く立ち込めた雲の下、多くの人々が奥地へと避難していく。チトセの本部内、二階へと上がる踊り場の途中で、イチはそれを見ていた。今頃はトトハも向かっているだろう。もしかしたらハノンも一緒かもしれない。あのアパートは世話人がつけられた数少ないアパートのひとつで、人数分が確実に避難できる場所へ行けるはずだった。
絶対に『遣い』を奥地には行かせない。改めて決意すると、階段を上がり、会議室へ向かう。
広大な会議室には、多くのチトセが集められていた。そのほとんどは班のリーダーを任されている者達であり、彼らが一堂に会しているのを見るのは、イチは初めてだった。
部屋の後ろの方には、ココノエ、ナナシ、ミツカがいた。イチと同様、隊長であるムツキと同じ班であるため、リーダー達とは別に呼ばれたのだろう。だがその傍には、イツヒの姿もあった。補欠要員にはなったものの、ムツキと同じ班だったからだろうか。
しばらくすると、部屋にムツキが入ってくる。そして今回の作戦の説明が始まったが、前半は、これまでに説明されていた確認のようなものだった。
基本的には、通常時と同じ五人一組で動くこと。ただし一人一体の規則は撤廃され、複数体倒すことを前提として動くこと。それに伴い、ヒガネと呼ばれる射出機構を全員が装備すること。今回に限り、水袋の破損はやむを得ないものとすること。
ここでイチは、水袋が破損すれば、他に大きな破損がなくとも、『遣い』がその活動を止めることを、初めて知った。水袋とは貴重な水資源であり、壊すなどもってのほかというのが一般的な常識だった為、それを破損させるという発想がそもそもなかったのだ。
ムツキは続けて、異常な個体についての説明をした。二十年前この街に、人を食って変質したのではなく、現れた時点で既に変質しきっていた異常な個体がいたのだという。体表は通常個体と比較にならないほど硬く、『刃持ち』にもそうでない者にも、多くの犠牲が出たらしい。そして今回再びそれが出た場合は、周囲に知らせる為に赤い信号弾を放ち、リーダーを中心として、最優先で討伐に当たれとのことだった。
そんな個体がいたのかと、イチはぞっとした。二十一番街で倒した変質しかけの個体でも、かなりの苦戦を強いられたのだが。
ムツキの説明は続く。街と砂の海を隔てる壁をいくつかのブロックに分け、それぞれが担当する。壁にはバリスタやその他撃退機構が備わっているが、それらは短い刃を持つチトセが、整備班と共に稼働させるらしかった。
ふいにヨミを思い出す。ヨミは自身の刃をダガー程度だと言っていたから、壁の上に配置となるのだろうか。だがイツヒの頼まれごとを聞くなら、イツヒの傍にいるとも言っていた。
横目で、少し離れたところに立っているイツヒを見やる。イツヒはいつもと変わらないぼんやりとした顔で、ムツキの説明を聞いていた。
あの話はどうなったのだろう。ヨミは作ったのだろうか。そしてイツヒは、もうそれを手に入れたのだろうか。昼間にあんなことがあり、その後は遅れた分を取り戻す為に仕事に追われていたので、ヨミの動向を知ることはできず、イツヒに関しては、少なくとも就業時間内はいつも通りだったのだが、気が付けば姿を消していた。
ムツキの説明が終わる。同じ班の者は残るように言われ、他のチトセ達が退室していく中、イチ達だけが残された。
「お前達の配置についてだ」
改めてムツキの周囲に集まったイチ達に、ムツキはそう言った。
「ココノエ、ナナシ、イチは、私と共に壁の外に出る」
そして、ミツカに目を向ける。
「ミツカ、お前も同じように壁の外に出てもらうが、ナナシと行動を共にしろ」
ミツカがその顔をしかめる。
「なんでよ」
「お前の無謀は目に余るからだ」
「いっ……、今はちゃんとやってるじゃない!」
食ってかかるミツカに、ムツキの目元が険しくなる。
「無理に抑えているだけだ。御しきれてはいない。今この時までに信頼を勝ち取れなかった己の責と思え」
ミツカが悔しげに俯く。ココノエが見かねたように言った。
「少し厳しすぎるんじゃないですか?」
だがムツキは、ミツカから視線を外さずに言った
「チトセに入ったからには、その刃が護るのは刃なき者達だけではない。無責任な行動は、隣で刃を振るう仲間をも危険に晒す。己が腕がすべてと思うな」
ムツキは俯くミツカから視線を外すと、それをイツヒに向ける。
「イツヒ、お前には後方支援に回ってもらう。指示はヨミに仰げ」
その言葉に、イチは思わずムツキを見た。ムツキは知っているのだろうか。あの話は進んでしまったのだろうか。だがそう思うも、ナナシがいるここで問い質すことはできない。いや、止める為ならここで知らせた方がいいのか? だがイツヒがしらを切ればそれまでだ。そもそも止めるべきなのか? 今の作戦は、なにを前提としているのか……。
「わかった」
イツヒが、いつものように気だるげな返事をする。その反応からも、やはりどうなったのかはわからなかった。
「それと」
ムツキが全員を見回した。
「まだ遺書を提出していない者がいる。出していない者は、早急に提出するように。以上だ」




