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砂の鯨は天(そら)に啼く  作者: 銀子


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第24話 それぞれの思い



 * *



 ヨミ特製の合成飲料が入った水筒を、屋根の上に座ったイツヒは、両手で持って飲んでいた。だがその持ち方がいまひとつ心許ないので、隣に腰かけるナナシも片手で支えてやる。


 細い喉を鳴らして飲むイツヒは、しばらく筒に口をつけていたが、やがて離すと、大きく息をついた。


「腹の中が、水がめになりそう……」


「まだ半分だ。全部飲めよ。昼飯食わなかった罰だ」


 圧を込めて言うと、イツヒは渋々のようにまた筒に口をつけた。ようやくここまでこぎつけたことに、ナナシは腹の底から溜め息をつく。


 血相を変えたミツカがナナシを呼びに来たのは、ついさっきのことだった。なんでも、昼食後に屋根の上でイツヒと喋っていたらしいのだが、当のイツヒは昼を食べずにそこに来ていたらしく、気が付けば携帯している干し肉すら食べられないほど衰弱してしまっていたということだった。それを聞いたナナシは、急遽ヨミのところに行って緊急用の合成飲料を貰い、その後ミツカに伴われ、ここに来てイツヒにそれを飲ませたのだった。本来これは、食事が摂れない病人や老人に飲ませるものなのだが。


 起き上がれないイツヒを抱えるようにして起こさせ、水筒を口元に当てて少しずつ飲ませてやり、そうやって随分な時間をかけて、ようやくイツヒは一人で座れるまでなった。ただ腕に力が入らないのか、水筒を持つ手は危ういが。

 飲み続けていたイツヒが、また口を離す。


「気持ち悪い……」


 さすがに休みなく飲ませ続け過ぎたかもしれない。ナナシは一度その手から水筒を離させた。


「んじゃ腹ごなしがてら聞かせてもらうか。なんで昼飯食わなかった」


 するとイツヒは、もう一度軽く息を吐き出すと、俯いたまま答えた。


「ミツカと話したかったから」


「飯食ってからでもよかっただろ」


「だってそうすると、話せる時間が少しになる」


 確かにいつも通りの時間をかけて食べるとなると、昼の休憩も残りわずかになる。かといってこんな事態になるのは論外だ。


「飯はちゃんと食え。こんな時に『遣い』が来たらどうすんだ」


「ごめん」


 俯くイツヒは、一応反省はしているようではある。ナナシはもう一度溜め息をついた。


「そもそもなに話してたんだ? おめぇら」


 こっちに聞いた方が早いだろうと、イツヒを挟んで反対側に座り込んだミツカに尋ねる。だが予想に反して、ミツカは俯いて答えなかった。


「なんだよ」


 言いづらい内容なのか? と思うも、そもそもこの二人がどういう会話をするのか見当もつかない。気にはなったが、言いたくないものを無理に聞くのはやめておくか、と思った矢先、イツヒが口を開いた。


「今朝のこと、話してた」


 ミツカがすぐさま顔を上げてイツヒを睨む。だがイツヒは意に介さず、というか気付かずに続けた。


「遺書のこと」


 ナナシは自分の眉が無意識に寄ったのを感じ、すぐさま解く。


「ヨミに言われたこと気にしてたのか? ほっとけほっとけ、どうせあいつはただの好奇心で聞いてるだけなんだからよ」


「おれは、気にしてない。でも、ミツカは誰かに、嫌なことを書かれたのかなって。それで、それを読んだミツカは、なんて思ったのかなって。それが、気になった」


 ナナシの脳裏に、ヨミの言葉が蘇った。


 ――恐らくその内容が、あの子にとって承諾しがたいものだった。そんなところだろう。


 受け入れがたい内容の遺書。遺書などというものは、死んでいく奴が残された奴に押し付けるものでしかない。どれだけ相手を思いやったところで、結局はただのエゴだ。そんなことはわかっているはずだった。だがそれでも、こうあってほしいと願うことを、書いてしまう。


「んなもん聞いてどうすんだ。人の事情に首突っ込んでんじゃねぇよバカが」


 動揺が隠し切れず、出した声はいまひとつ気の抜けたものになった。だがイツヒはやはり、気付いた風もなく続ける。


「最初は、どういう遺書がだめなのか、知りたいだけだった。誰に、なにを書いたらいいか、全然わからなかったから」


 白紙のままの遺書。イツヒはそんなことを考えていたのかと、ナナシは思った。


「でもミツカの話を聞いて、色々思った。ミツカは――」


「イツヒ!」


 ミツカが遮るように叫んだ。顔を向けると、俯いたミツカが、絞り出すように言う。


「言わないで……」


 するとミツカの方を向いたイツヒは、素直に頷いた。


「わかった」


 ミツカは俯いたまま立ち上がり、顔を逸らして改めて言う。


「絶対に、言わないでよ」


「うん」


 イツヒがそう返事をすると、ミツカは背を向け、そのまま屋根を降りていってしまった。その姿を見送ったイツヒが、ぼんやりとした笑みでナナシを振り返る。


「内緒だって」


 ミツカが浮かべていた深刻さと、およそ釣り合わない調子でそんなことを言うイツヒに、ナナシは呟くように、そうか、と返した。


 深くは踏み込まない。踏み込んで、大切ななにかを作るのは、もうごめんだからだ。この二人とは随分距離が近くなってしまい、既に手遅れになっている気もするが、それでもまだ、距離は作れているはずだった。


「ナナシ」


 イツヒが、ナナシの持っている水筒に手を伸ばす。


「飲むよ、それ」


 ナナシが渡すと、イツヒは先ほどよりもしっかりとした手つきで水筒を持ち、口をつける。


 喉が動く。その細い首に、今朝のことを思い出し、ナナシは目を逸らした。



 * *



 オイルランプの明かりの下で、ココノエは紙面にペンを走らせていた。机の上には処理前と処理済みの書類が、きっちりと分別されて置かれている。


 左右の机には、もう誰も座っていなかった。一日の業務を終え、二人は定時で帰らせている。残るなら手伝うとイチに申し出られたが、すぐに終わるからと断った。そもそも今書いているのは、仕事のそれではなかった。


 静かな部屋に筆記音を響かせていると、突然部屋のドアが開いた。ハッとして顔を上げると、入ってきたのはムツキだった。


「まだ残っていたのか。終わらないのであれば、手伝うが」


 そう言って歩み寄ってくるムツキに、ココノエは慌てて片付けようとするが、間に合わず、傍で立ち止まったムツキが気付く。


「……手紙を書いていたのか」


 ムツキが紙面から目を逸らす。ココノエは配慮に感謝しつつ、小さく頷いた。


「はい。家だとなかなか書きづらくて」


「そうか」


 遺書と共に提出するつもりの手紙だった。今回は短く終わらせようと思っていたのだが、一度書き出すと書きたいことが溢れて止まらず、手紙は既に三枚目に達している。ココノエは書きかけの手紙を折り畳んだ。


「ムツキさんは、もう書きましたか?」


 遺書、という言葉が口から出しづらく、つい省いてしまう。だがムツキにはきちんと伝わったようだった。


「ああ」


 ムツキが低く答える。ヨミに言葉は残したのだろうか、とココノエは思った。二十年前に両親を亡くしたムツキにとって、ヨミは唯一の家族だ。チトセの隊長として常に厳格に振る舞うムツキは冷徹に見られることが多いが、ヨミのことをなによりも大切に思っているのは知っていた。

 ふいに、十年前のことを思い出す。


「ムツキさん」


 ムツキが振り返る。


「もう、無茶なことはしちゃだめですよ」


 ムツキの眉が寄った。そのままついと、目が逸らされる。


「……わかっている」


 随分素直な反応が返ってきたな、と思った。もしかしたら、他の誰かにも同じようなことを言われたのだろうか。だが十年前の雨を経験していて、ムツキにそんなことが言えそうな人物など、限られてくる。整備班のトジ辺りだろうか。


 追撃してみるのも面白そうだったが、藪から蛇が出てきては困るので、ココノエは話を変えた。


「まぁ、今回は十年前のムツキさん以上に危なっかしい子が増えましたからね」


 軽い睨みが寄越される。だがムツキはそれだけで済ませた。ヨミがいたらさぞかし面白がるだろうな、と心の中で思う。

 するとムツキは目元の険しさを消して言った。


「ナナシとイチは、大丈夫だろう」


「おや、イチくんもそちら側ですか。危うい子に思えましたが」


 断罪を求めるような、そんな刃の振るい方に見えた。その先に、死すら垣間見えそうな。それでもギリギリで、なにかが彼を留めていたが。


「護るべきものを、思い出したようだからな」


 護るべきもの。彼のそれは、なんだったのだろう。プライベートな話をすることは多くはなく、ココノエはイチのことを深くは知らなかった。彼を留めていた存在――関係性は否定していたが、チトセに入るのを迷う理由になったという、あの存在のことだろうか。


「問題はミツカだ。腕に問題はないが、未だに功を急く節がある」


 確かに、とココノエは思った。ミツカは子ども扱いされることを極端に嫌がり、一人前であろうとする。今でこそなくなったが、最初の頃は討伐順を守らずに、一人飛び出したことも多々あった。そのたびに、全員でフォローに回っていたのだ。


 イチが入った時、ムツキはミツカの討伐順を五番手に下げた。反応を見る為でもあったのだろうが、さすがのミツカも以前のように飛び出すことはしなかった。だが依然、危うい空気があるのは確かである。


「後方支援に回しますか?」


「だめだ。そんなことをすれば、あれは一人で勝手に飛び出しかねない。前線に配置するしかないだろう。ナナシにフォローをさせる」


 ムツキの目元が険しくなり、小さな呟きが漏れる。


「あんな子どもを、雨に駆り出したくはないのだがな」


 それに関しては、ココノエも同じ思いだった。ミツカはココノエの娘より遥かに大きいが、それでもココノエにとってはまだ子どもである。そして子を持つ親としても、あんな年端も行かない少女を雨の日の前線になど行かせたくはなかった。


 だがそんな思いとは裏腹に、『刃持ち』はその数が少ない。ミツカを前線にやらなければならない理由のひとつは彼女の無謀を防ぐ為だが、雨が降るとなれば、一人でも多くの戦力を集めなければならない。それがもうひとつの理由であり、むしろこちらの方が理由としては大きかった。


 一人でも多くの『刃持ち』を集め、一体でも多くの『遣い』を倒す。そうでなくては、雨の日の『遣い』には対抗できない。それでもやはり、子どもを戦わせたくはないのだが……。


「――イツヒのことだが」


 ムツキの言葉に、俯いていたココノエは顔を上げる。


「奴は後方支援に回す。『刃持ち』以外の者と、行動を共にさせる」


「そうですね。その方がいいでしょう」


 遠距離を狙えるイツヒの弓は強力だが、一度しか撃つことができない。そして撃ったが最後、イツヒは立っていることすらできなくなるのだ。その介助に人員を割かれるのも避けたかった。


「正式な配置はまた後ほど伝えよう」


「わかりました」


「それと、ココノエ」


 険しくされた目元が、ココノエを見下ろす。


「ここのオイルランプは、お前の私物ではないのだぞ。早く隊舎に帰れ。雨も……近いのだからな」


 ココノエを見下ろす目元は険しい。だがココノエは、笑みが漏れるのを我慢できなかった。


 ――素直じゃないなぁ。


 頬を緩めるココノエに、ムツキが目を逸らす。こういう反応を見るたび、ココノエはこの、不器用な、ひとつだけ年下の隊長を支えなければと思うのだった。


「わかりました」


 ヨミに会うことがあったら、今のことを話してみようか。そんなことを考えながら、ココノエは席を立った。




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