第23話 生かされた子どもたち
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昼休憩を早々に済ませ、ミツカはお気に入りの屋根の上にいた。この建物は敷地内でも隅の方にあり、人が来ることはまずない。今のところナナシに見つかったこともなかった。
陸地に背を向けるように座ると、必然、砂の海に佇む『砂生みの鯨』が目に入る。曇った空の下で見る真っ白な塔は、どこか光っているように見えた。
それをじっと見ていると、今朝のヨミとの会話を思い出し、胸がもやもやとし始める。泣きそうになってしまったのが悔しかった。急いで引っ込めたので、多分ナナシには気付かれていないと思うのだが。
次は、誰になにを聞かれても泣かないようにしよう。そんなことを思っていると、なんの前触れもなく、誰かが屋根に降り立つ音がした。ハッとして振り返ると、それはイツヒだった。
相変わらずぼんやりした表情のイツヒは、ミツカを一瞥もせずに、少し離れたところに座り、そのまま背中を倒して寝転がった。頭の後ろで手を組み、目を閉じる。
「なにか用」
棘を込めて尋ねると、イツヒは目を閉じたまま答えた。
「別に。昼寝をしに来ただけ」
「なんでここなのよ」
「この場所、気に入ってるから」
「あたしが先に来てたんだけど」
「じゃあ移動したら?」
「なんであたしが移動しなきゃいけないのよ。あんたが動きなさいよ」
「もう眠いから、無理」
ミツカはイライラとするのを感じたが、イツヒはどうあがいても動く気はないようだった。一瞬無理やりにでも屋根から落としてやろうかと考えたが、それには体に触れなくてはならず、それは絶対に嫌だった。
それでもどうにかできないか少しの間考えたが、いい案は浮かばず、顔を逸らして極力視界に入れないことで妥協した。だがそうしたものの、やはり誰かがいるというのは落ち着かない。本当に悔しいが、やっぱり別の屋根に移動しようかと考え始めた時、ぽつりと声がした。
「ミツカはさ」
起きていたのかと振り返る。だがイツヒは寝転がって目を閉じたままだった。そして閉じたまま続ける。
「ミツカは嫌なこと、書かれたの?」
一瞬なんのことかわからなかったが、書かれたという表現で、思い浮かんだのは今朝のことだった。そしてそこに、イツヒもいたことを思い出した。ミツカは顔をしかめる。
「ヨミが喋ったのね」
「ナナシが気にしてたからね」
さらりと出てきた名前に、動揺する。目を閉じているイツヒには見えていないとわかっていても、思わず顔を逸らした。
泣きかけてしまったあの顔は、見られていないと思っていた。頑張って瞬きをして涙は引っ込めたし、顔も逸らしていたから、体の大きなナナシの視線の高さからは、俯いていたミツカの表情は見えないはずだったからだ。だがナナシは、がさつで、うるさくて、デリカシーがない癖に、そういう、気付かなくてもいいところに気付くことがある。ミツカが気付いてほしくない時ほど、だ。
――なんで、気付くのよ。
それは酷く悔しくて、腹立たしくて、でもほんのちょっぴり、胸の奥があったかくなる。そして同時に、胸を苦しくもするのだった。
ミツカは強く首を振ると、それらを自分の中から追い出した。こんな弱みみたいな感情を、誰かが傍にいる時に抱きたくなかった。改めて、むすっとした顔を作ると、声にも棘をつける。自分は決して、弱くない。
「別に、書かれてたわけじゃないわ。死ぬよりもずっと前から、何回も言われてただけ。戦うなって」
それは、『刃持ち』であった両親の口癖だった。
あなたは刃を握らないで。戦わないで。もし私達が『遣い』に負けて命を落としたとしても、あなただけは逃げて。
そう繰り返し、何度も言われた。刃を扱う練習すらさせてもらえなかった。
十年前の雨の日、母や他の『刃持ち』と共に大量の『遣い』を相手取っていた父は、脚に酷い怪我を負い、その時の怪我の後遺症が原因で、五年前の襲来の時に命を落とした。父を助けようとした母も、その時に死んだ。二人とも亡骸はない。『遣い』に食われたからだ。
「あたしは、一緒に戦いたかった」
ぽつりと、言葉が漏れた。
「一緒に戦って、力になりたかった。たとえ力が及ばなくて死んだとしても、一人で生き残るぐらいなら」
目頭が熱くなり、ミツカは唇を噛んだ。これが悔しさなのか悲しさなのかわからなかった。ただこうやってすぐに涙が出そうになる自分が嫌だった。
「おれもさ」
イツヒが言った。横目で見るが、やはり目は閉じたままだった。
「おれも、生きてくれと言われて逃がされたんだ。神様だから、死んじゃだめだって」
ミツカは眉をひそめる。イツヒのことはよく知らなかった。ナナシから、馬鹿な大人どもに育てられた、と聞かされただけだ。班の中では、イチが来るまでは最も歳が近かったが、それでもミツカにとっては大人の部類だった。その割には言動が妙に子どもっぽいと感じることがあったが、普通とは違う育てられ方をしたからなのだろうと思っていた。
「でも、どうして生きてほしいと願われたのか、わからなかった。縋ったところで、おれは一体しか『遣い』を倒せないのに。誰かを護ることなんて、できないのに」
イツヒがゆっくりと目を開け、ミツカにその目を向けた。
「君は、わかった?」
目が合った。イツヒから視線を向けられるというのは、ミツカは初めてのような気がした。落ち着かない気持ちになり、慌てて目を逸らす。
「わからないわよ。あたしが子どもだったからなんじゃないの」
せめてあと十年早く生まれていたら、一緒に戦わせてもらえたのだろうか。そんなことを何度も思った。そうでなくとも、両親が戦う姿をずっと見ていたミツカは、きっと思っているよりもちゃんと、力になれたと思うのに。今だって、チトセの一員として立派に討伐しているのに。
イツヒが、大きく息を吐くのが聞こえた。どこか疲れを感じるそれに、ミツカが再びちらりとイツヒの方を見ると、イツヒはまた目を閉じていた。そういえば、イツヒがこんなに喋っているのを聞くのは初めてかもしれないと、ミツカは思った。
「おれは、言葉を知らなかったから」
目を閉じたまま、イツヒが再び口を開いた。
「どうしてこんな役に立たない『刃持ち』を生かしたのか、聞くことができなかった。だからもう、知ることはできないんだけど」
もう一度、大きく息をつき、
「イチに、言われたことがあって」
「あいつに?」
予想外の名前に、ミツカは顔ごと振り返る。
チトセを無視して勝手に『遣い』を倒しまくった挙句、突然チトセに入ってきたよくわからない奴。ミツカよりあとからチトセに入ってきたくせに、討伐順がミツカより先になった気に食わない奴。ナナシとは見た目も性格も全然違うのに、ふとした瞬間に見せる空気がナナシに似ていて、落ち着かないから腹の立つ奴。
「なに言われたのよ」
好奇心と苛立ちに交じって落ち着かない感情も思い出し、必要以上に声に棘がついた。イツヒが目を閉じたまま答える。
「生き残ることには意味があるんだってさ。死んだらそこで終わり。でも生きてたらなにかできる。だからおれの刃の形にも、きっと意味があるって、そう言われたよ」
ミツカは眉を寄せた。ただ綺麗なだけの言葉に思えた。生き残ることに意味なんてない。生かされたから、生きてしまっただけだ。
「あんたはどう思ったの、そう言われて」
だから尋ねた。この、普通とは違う育てられ方をしたらしいイツヒがどう感じたのか、気になった。イツヒはやはり目を閉じたまま答えた。
「その時は、おれを元気付けようとしてくれてるのかなって、思っただけだった。でもあとからもう一度考えて、なにができるかなって、思った。俺の刃で」
イツヒの刃は弓の形をしている。一度撃つだけでイツヒは大きく消耗し、立っていることすらできなくなる、たった一度だけの刃だ。
「まだ、答えは見つけられてない。でも、なにかないかなって、ずっと探して……」
イツヒの言葉が不自然に途切れた。怪訝に見つめるが、イツヒは黙ったままだった。
「イツヒ?」
呼びかけるが、反応はない。寝てしまったのだろうか、と思った。そういえばイツヒは、昼寝をしにここに来たと言っていた。その割にはずっと喋っていたが、とうとう眠気に負けたのだろうか。それにしたって、喋っている最中なのだが。
そこまで考えて、ミツカはふと気付いた。ミツカはこの昼休憩、またヨミに見つかるのが嫌で、急いで食べてここに来た。イツヒが来たのは、ミツカがここに来たほとんどすぐあとだった。だが確かイツヒは、多くの食事を必要とするはずで、昼の食事も結構な時間をかけて食べていると、ナナシに聞いたことがある。ならここに来るのは、もっとずっとあとのはずだった。
ミツカは膝立ちになると、そろそろとイツヒの傍に寄った。
「イツヒ、あんたお昼ご飯食べた?」
すると、目を閉じたままのイツヒの唇が微かに動いた。
「食べてない……」
「なんで?!」
思わず叫ぶ。
「あんたちゃんと食べないとだめなんでしょ?! なんで食べてないの?!」
「だって……」
掠れそうな声で、イツヒは言った。
「ミツカと……話したかった……から…………」
「はぁ?! なにそれ! なんでそれでご飯食べずに来るわけ?!」
「だっ……て……」
「ああもういいわよ! 喋らないで!」
ミツカはイツヒの制服のポケットを探った。確かイツヒは、砂跳び鼠の干し肉を常に持っているはずだった。果たしてそれは見つかり、ミツカは袋の紐を解くと、中から干し肉を取り出してイツヒの口に突っ込む。
「ほら! 食べなさい!」
イツヒの口がゆっくりと動き、噛もうとする。だが噛む力すら残っていないのか、力なく開いた口から干し肉が落ちた。
「ちょ、食べなさいよバカ!」
「むり……」
呟くように言ったイツヒの呼吸が妙に弱いことに、ミツカはようやく気付いた。どうしようと考えて、選択肢がひとつしかないことに思い至る。ミツカはすぐさま立ち上がった。
「ナナシ呼んでくるからちょっと待ってなさい! 戻ってくるまで死ぬんじゃないわよ!」




