第22話 遺されたもの、遺すもの
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ヨミが食堂へ向かうと、まだまばらにしか埋まっていないテーブルの隅で、ミツカが一人食事を摂っているのが見えた。背中を丸め、黙々と砂小麦のサンドイッチを食べている。同室には面倒見のいい隊員をあてがっていたはずだが、傍に見えない辺り、起きて早々に一人で飛び出してきたのだろう。
ヨミは配膳口で同じサンドイッチを受け取ると、ミツカの傍に行き、その向かいにトレイを置いた。
「おはよう」
声をかけると、食べる手を止めたミツカがじろりと見上げてきた。全身から警戒心を溢れさせており、野生の小動物のようだな、とヨミは思った。
ミツカは視線を手元に戻すと、ぼそりと言った。
「なによ」
そのまま食べることを再開する。ヨミもサンドイッチを手に取りながら言った。
「調子はどうだい?」
「べつに」
もぐもぐと口を動かしながら、視線を上げることなくミツカは答える。だが以前までなら完全に無視されていたので、進歩だな、とヨミは思った。
「最近天気が優れないねぇ」
サンドイッチを齧りつつ、窓の外を見やる。空を覆う雲は日に日に濃くなっていた。ミツカは無言のままでいたが、やがて口の中のものを飲み込むと、やはり手元を見つめたまま言った。
「なにか用」
聡い子だな、と思った。ならば下手に遠回しな言い方も不要だろう。
「キミはもう書いたかい?」
主語は省いたが、伝わった気配はした。ミツカは俯いたまま答える。
「書いてないわ。必要ないもの」
「なぜ?」
「必要ないからよ」
纏う空気は頑なだった。ヨミは質問の仕方を変える。
「あの書類は、誰の為にあるものだと思う?」
「残された人でしょ」
ヨミは、内心で密かに感心を覚えた。遺書を書くのは残す側だ。それゆえに、残す側の覚悟の為と答える者もいる。一面では間違っていないが、究極的には、残された側の為のものだ。
「それでも、必要ないと考えるのかい?」
「そうよ」
「それはなぜ?」
すると、サンドイッチを握るミツカの手に、僅かに力がこもった。
「そんなもの、迷惑でしかないからよ」
その声には、どこか押し殺した響きがあった。
「なぜ、そんな風に思うんだい?」
ヨミは、極力穏やかな声音になるようにして尋ねた。
「だって、そうでしょう」
ミツカの声が震え始める。
「そんなこと言われて、あたしの気持ちはどうなるの。死んだ人間の言うことを優先して、こっちの気持ちなんてお構いなしで、そんなもの、ない方がいいわ」
ふとヨミは、ミツカの経歴を思い出した。ミツカが八番街に来たのは二年前だが、それよりもっと前に、ミツカは元いた街で『刃持ち』の両親を亡くしている。その時に遺書か遺言か、それらに類するものを受け取ったのだろう。それが、ミツカの意志に反するものだったのか。
俯くミツカの瞳が揺らぎ始める。拙いな、と思った矢先、割れ鐘のような声が食堂に響いた。
「珍しい組み合わせだなぁ!」
顔を上げると、ナナシとイツヒがトレイを手に、こちらに向かってきていた。二人に背中を向けている形のミツカが、懸命に瞬きをして、滲みかけたものを引っ込めようとする。ナナシがミツカの隣にトレイを置き、その隣にイツヒが座った。
「いつの間に仲良くなってたんだ? おめぇら」
どかっと座ったナナシが、ヨミと、俯いたまま顔を逸らしているミツカを交互に見る。
「いやぁ、たまたまいるのに気付いたからね。私も一人だったし、ちょっとお話しようかと思っただけさ」
ミツカの様子を視界の端で捉えながら答えると、「話ぃ?」とナナシが片眉を上げた。
「おめぇらなんか共通の話題あったか? ヨミが一方的に『遣い』のうんちくを並べてただけじゃねぇのか?」
「おや、バレちゃってたかい」
おどけるように返すと、ナナシはがははと笑った。
「まぁいい勉強になるんじゃねぇか? なぁ」
そう言いながら、隣のミツカを見やる。だがミツカは答えず、持っていたサンドイッチをトレイに置くと、顔を逸らしたまま、トレイごとナナシの方に押しやった。
「これ、あげる」
そう言うと、立ち上がり、食堂から走って出て行ってしまう。振り返ってそれを見つめていたナナシだったが、ミツカの姿が完全に見えなくなると、再びヨミの方に向き直った。その顔は、若干渋いものになっている。
「おめぇ、朝っぱらから子ども泣かせてんじゃねぇよ」
やはり気付かれていたか、とヨミは肩をすくめた。
「悪かったとは思ってるよ。どうも言葉を選ぶのは苦手のようでね」
ナナシが大きく溜め息をついた。
「なに言ったんだ、あいつに」
「遺書について、ちょっとね」
するとナナシは、その顔に盛大な呆れを浮かべた。
「ばっかおめぇ、朝っぱらからする話じゃねぇだろう」
「確かに、そうだったかもね。ただあの子、まだ未提出だったから気になっちゃって」
「ったくおめぇ、頭はいい癖にこういうところはからっきしだなぁ」
そう言いながら、ようやく朝食に手を付ける。サンドイッチな点はヨミやミツカと同じだったが、二人前な上に、ナナシのものは分厚い肉が挟まっていた。朝からよく入るものだ、と感心する。
ナナシは豪快にかぶりつくと、持っていたサンドイッチの半分以上を、一気に口の中に収めた。同じ男であるものの、弟が到底しなさそうな食べ方にやや興味を惹かれていると、咀嚼して飲み込んだナナシが再び口を開いた。
「んでなんだ? とっとと書けってせっついたのか?」
「とんでもない。どうして書かないのかって聞いただけさ」
「おんなじことだろが」
ナナシが顔をしかめる。言われてみればそうだったかもしれない。やはり自分は言葉選びが少々不得手なようだった。
ナナシは残りもあっという間に食べきると、カップの中の水サボテンの水をごくごくと飲み、トレイに置く。
「で、あいつはなんて言ってた」
「そんなもの、迷惑だから必要ないとさ」
「迷惑?」
「ああ。あの子自身、そういったものを受け取ったことがあるのかもしれないね。そんな雰囲気だった。そして恐らくその内容が、あの子にとって承諾しがたいものだった。そんなところだろう」
そうヨミが答えると、ナナシは視線を落として黙り込んだ。彼にしては珍しく、考え込むような表情をしている。
「キミはもう書いたのかい?」
「……書いてねぇよ」
返答が鈍い。嘘だな、とヨミは思った。ナナシは良くも悪くも顔に出やすい。親しい奴なんかいねぇと、折に触れ言っているナナシだが、見た目に反して情に厚く、面倒見はいい。世話を焼くことの多い相手――少なくともミツカと、今隣にいるイツヒに対しては、なにかを書いていてもおかしくない。自分が死んでも泣くなとか、そういったことでも書いたのだろうか。
「じゃあ早く書いて提出することだね」
深追いはせず、話題を切り上げる。が、先ほどからずっと無言で食べ続けているイツヒが気になった。イツヒが無口なのは知っているが、尋ねたのは自分の性とも言える、好奇心からだった。
「キミは書いたのかい? イツヒ」
「おいヨミ、だから朝っぱらからする話じゃねぇって――」
「……まだだよ」
咀嚼していたものを飲み込んだイツヒが、俯いたまま答える。だがそれだけを言うと、また食べ始めた。
――まだ、か。
つまり、書く予定はあるということだ。生まれ育った境遇のせいか、他者におよそ関心のなさそうなイツヒがなにをどう書くのか、更に興味を惹かれた。だが、尋ねるのは思いとどまった。こちらを睨むナナシの顔が、少々怖い。
そのままミツカの残していったものに手を付け始めるナナシに、ヨミも、手に持ったままだったサンドイッチの二口目を、ようやく食べた。




