第20話 刃の先にあるもの
翌日はさらに雲が濃くなっていた。イチはムツキに連れられ、壁の維持管理を担当している整備班の者達と共に、八番街を囲う壁に来ていた。壁に設置された古い機構の動作確認の為だった。
歩廊の一部、大きな布で覆われていたそれから布を剥ぎ取ると、木と金属を組み合わせた巨大なバリスタが現れる。大きな街にそういった設備があることは知っていたが、見るのは初めてだった。
「またこいつを使う時が来るとはな」
そう言ったのは、砂色の作業着を着た整備班のリーダー、トジだった。齢は六十を超えているそうだが、老いた弱さは感じられず、鍛えられた体に、背筋もまっすぐに伸びている。
「使えそうか」
バリスタを見上げながらそう尋ねたのは、ムツキだった。事前に聞いていた話によると、この機構自体は定期的に整備していたものの、実際に使うのは十年前の雨の日以来ということだった。
トジが自分の二の腕をばしばしと叩きながら答える。
「任せな。新品同然にしてやるぜ」
「では今日中に全機そうしてくれ」
「おっと相変わらず厳しいな。ま、任せろや」
軽い調子で返すトジだが、腕は確かなのだろう。ムツキは続けて壁の際に歩み寄ると、砂の海に面した側を見下ろした。
「起動してくれ」
ムツキの言葉に、トジがムツキとは反対側の壁の下方を見下ろし、合図を送る。イチもムツキと同じく外側の下方を見下ろしていると、僅かに軋むような音ののち、足元が揺れた。すると壁から砂の海に向かって、先端が鋭利に削られた巨大な木の杭がいくつも飛び出した。ムツキが静かな目でそれを見つめる。
「問題はないようだな」
だが同じように壁から飛び出した杭を見つめながら、イチは怪訝な思いだった。先端が鋭利になっているとはいえ、ただの巨大な木だ。バリスタから射出されるのも、普通の金属の矢だろう。『遣い』相手に、これがどれほどの意味を持つのか。
「こんなもの役に立つのかって思ってんだろう」
突然の声に振り返る。声をかけてきたのはトジだった。
「まぁお前ら『刃持ち』の刃と違って、致命傷は与えられねぇ。だがぼーっと突っ立ってるだけじゃあ、食われて死ぬだけだからな。お前らの刃が届くまで、せいぜい時間を稼がせてもらうのさ」
つまり、自分達の刃を逃れて壁に殺到する『遣い』を、僅かながらでも食い止める為なのか。それほどまでに、雨が呼ぶ『遣い』は多いのか。
途方もなさに、無意識に顔が俯く。だが対するトジは、明るく笑って言った。
「気負うな気負うな。いつもよりちょっと多いだけだ。あんまり気張りすぎてるとムツキみたいに怪我するぞ」
「怪我?」
予想外の言葉に顔を上げる。
「ああ。十年前だから……今のお前さんよりもうちょい下だったかなぁ。そん時初めて前線に出たヨミを庇って――」
「トジ」
低く落とされた声がした。ムツキがその目元を険しくしてトジを見つめていた。
「おっと聞こえてたか」
「余計なことを言っている暇があったら早く整備に取り掛かれ」
「はいよー」
軽い調子で返事をしたトジが、他の整備班の面々を集めながら遠ざかっていく。残されたのは、イチとムツキだけになった。
ムツキはひとつ息をつくと、『砂生みの鯨』の方にその目を向けた。先ほどの話の詳細が気になったが、聞ける雰囲気ではない。仕方なく、イチもつられるようにしてそちらを見た。
徐々に厚みを増していく雲の下で、その巨大な白い塔は、どこか浮かび上がって見えた。
「今日、お前を呼んだ理由だが」
ふいに口を開いたムツキに、イチは視線を戻す。ムツキはいつの間にか常の静かな表情に戻っており、『砂生みの鯨』を見つめたまま言った。
「雨が降る前に、理解しておいてもらわねばならないことがある」
ムツキが振り返る。感情の薄い瞳が、イチを見据えた。
「私達は、一人で戦っているのではない。そして背後には、刃を持たぬ者達がいる。それを、くれぐれも忘れるな」
今更のような言葉に、イチは怪訝に思いながらも返す。
「わかってるよ、それぐらい」
イチは今や、チトセという集団に属している。一人勝手な行動を取ろうなどと、毛頭思っていない。そして『刃持ち』であるチトセが刃を振るうのは、刃を持たぬ者達を護る為であることも、言われるまでもなくわかっていることだった。
「では聞くが」
向けられる視線が、強くなる。
「お前はなんの為に刃を振るっている?」
「なんの為って、『遣い』を倒す為だろ」
「ではなんの為に『遣い』を倒す?」
「なんの為って……」
言葉が途切れた。以前ヨミに、『遣い』を倒すのは復讐が目的かと問われた。確かにそれも合っていて、イチも自分自身にそれを掲げさせている。だがその言葉が、素直に口から出てこなかった。今それを口にすると、その言葉がはっきりとした嘘となって形作られてしまう気がした。隠し通している本心が、さらけ出されてしまう気がした。
答えられずにいるイチに、ムツキが言った。
「お前の刃には、先が見えない」
その目元が険しくなる。
「刃を振るった、その先にあるべきものがない。それは身を捨てているのと同じだ。そんな戦い方をする者に、護れるものなどない」
なにも返せなかった。
決して死のうなどとは思っていない。だが心のどこかでは、ずっと罰されるのを望んでいた。あの日動けなかった、動かなかった自分を。
刃を振るい、その果てに命が尽きるとしても、きっとそれは報いだから、そうなっても構わないと思っていた。その先のことなど、考えたこともなかった。
「お前はなぜチトセに入った」
ムツキが問う。ただ『遣い』を倒すだけなら、チトセに入る必要などなかった。だがイチは、トトハを少しでも安心させたかった。その顔を曇らせたくなかった。笑っていてほしかった。
「……護りたいやつが、いるんだ」
絞り出すような声が、口から出た。
「血も繋がってないのに、俺のことを、家族だって言うやつで。そいつにずっと、笑っててほしいって、思ったから……」
ムツキが、まっすぐにイチを見据えて言った。
「本当に護りたいのなら、一人で戦おうとするな。刃の後ろにいる者のことを忘れるな。身を捨てるような戦い方を、決してするな」
一人で戦う。それはただ己の為だけに刃を振るうことを指すのだと、イチはようやくわかった。トトハを護りたいと思いながら、結局は罰されたいという気持ちを捨てられずにいたのだ。それほどまでに、あの時の自分を許せなかったから。
だがそんな、死を望むような刃では、なにかを護ることはできないのだ。この手の刃は、護る為に振るわなければならない。それは同時に、決して許されないことへの償いのようにも思えた。
イチは、いつの間にか俯いてしまっていた顔を上げた。
「俺は、あいつを護りたい」
まっすぐに、ムツキを見つめ返す。
「護る為に、『遣い』を倒す」
ムツキもまたイチの心の奥を推し量るように見つめていたが、やがて目元の険しさを緩めると言った。
「その言葉、決して忘れるな。生きて、護り切れ」
イチは、強く頷いた。




