第17話 言葉を話す『遣い』
討伐後は、当然のように外に出ることはできず、持ち帰った水袋を含む後処理に追われた。それが終わるとまた事務仕事に戻り、日暮れ前の終業時間までそれが続く。そのあとは本部内の食堂で食事を摂り、自室に戻ったところで、ようやくイチは一人になれた。
机の上のオイルランプに火を入れる。チトセの本拠地でさえ、電気の使用は限られた場所のみとなっており、隊舎内は基本的にオイルランプが光源とされていた。
ベッドに座り、息をつく。仕事中はどうにかそれに没頭することで意識を紛らわせられていたが、それがなくなると、途端に昼間のことが思い出された。
『遣い』の体から聞こえた砂嵐のような音。そしてそれに紛れるように聞こえてきた、男とも女とも取れない中性的な声。
――お……マエ……あのトキ……クえなかった、ニンゲン……だ、な……。
ぎょろりと動いた目。改めて思い出しても、背中にひやりとしたものを感じる。あれはいったいなんだったのか。
思い出したのは一年ほど前、二十一番街で『遣い』と遭遇した時のことだった。斬りかかろうとしたイチに対して、『遣い』はなにかに気付いたようにその目を向けてきた。あの時もはっきりと、見られていると感じた。そのあとはトトハのこともあり、深く考えることはなかったが、確かにあの時も『遣い』はイチを見ていた。
そして今回『遣い』が言った言葉。
あの時食えなかった人間。
やはりあの『遣い』は、五年前に五十七番街に来た個体のひとつだったのだろうか。『遣い』はかつて、『刃持ち』とそれ以外の人間を区別して食っていたことがあったと、ヨミは言っていた。だがそれを超えた個をも、特定しているのだろうか。しかし仮にそうだとしても、今日倒した『遣い』は変質していなかった。なら別の個体というのが妥当な考えなのだが、ならなぜあんな言葉を言ったのか。
深く息をつく。
誰かに聞いてもらいたかった。だがこんなもの、誰にでも言える内容ではない。ただ一人を、除いては。
翌日の昼の休憩を早めに切り上げ、イチが向かったのは、本部内にある部屋のひとつだった。ドアをノックすると軽快な返答が聞こえたので、そのまま開ける。
その部屋は、本や書類のびっしり詰まった棚が壁という壁を埋め尽くす、異様に圧迫感のある空間だった。床にも至る所に、人の背丈ほどに積まれた本の山ができており、そのいくつかは崩れている。唯一置かれた机にも山のような紙束が重ねられており、机として機能しそうな部分はほんの僅かだった。
凄まじい場所だなと思いながら中に入るが、そう広くはない部屋の中で、部屋の主が見つからない。
「おい、どこにいるんだ」
声をかけると、
「こっちだよ、こっち」
と、予想外の位置から声が聞こえてくる。イチは開け放たれたままの窓に歩み寄ると、身を乗り出して壁の上を見上げた。
「やっほー久しぶり。元気だったかい?」
にこにこと手を振ってくる。イチが僅かな時間に約束を取り付け、ようやく会うことの叶ったこの部屋の主、ヨミは、淡い水色の空の下、屋根の上で座っていた。
「なんでそんなとこにいるんだよ」
「いやぁ、ちょっと気分転換でもしようと思ってね」
「普通に外に出りゃいいだろう」
「この方が手軽だろう?」
イチは胡乱な目をヨミに向ける。確かに『刃持ち』の身体能力なら、窓から屋根に飛び乗る程度、造作もないが。
だがこれ以上このことについて話すのも時間が惜しかったので、イチも窓枠に足をかけると、屋根に飛び乗った。
隣に座ると、ヨミがイチの着ている制服に気付き、楽しげな声を出した。
「おっ、ちゃんと着てるんだねぇチトセの制服。似合うじゃないか。キミもナナシと一緒でめんどくさがって着ないかと思ってたから、ちょっと意外だよ」
「めんどくさがって着てないのか、あいつ」
「ああ、窮屈で嫌なんだってさ」
確かにナナシが言いそうな台詞である。
「で、私に用事ってなんだい?」
唐突に振ってきたヨミに、イチはほんの僅か言い淀み、足元に目を落とす。
「昨日の討伐で……『遣い』が喋った」
「……へぇ」
ヨミの声が、興味深さを含んだ低さになった。
「詳しく聞かせてくれるんだろうね?」
そう言ったヨミに、イチは昨日の出来事を伝えた。確実に絶命させていた『遣い』から砂嵐のような音がし、やがて男とも女ともつかない声が聞こえてきたこと。そして、その声が言った言葉。
――お……マエ……あのトキ……クえなかった、ニンゲン……だ、な……。
「あの時食えなかった人間?」
ヨミが怪訝に繰り返した。
「俺は、遭遇した『遣い』は全部倒してきた。唯一倒せなかったのが……五年前のあの時だ」
「だが今日現れたそいつは異常個体じゃなかったみたいだな。そういう報告は上がってない」
「ああ」
加えて、イチ個人を特定しているようであったことも気になったと続ける。だがヨミはそれに対し、別段驚いているような様子はなかった。
「こういうことって、今までにもあったのか?」
振り返って尋ねると、ヨミは顎に手を当てて視線を俯かせた。
「個を特定しているらしき行動ってのは、聞いたことがある。数えるほどだけどね。それこそ『刃持ち』を食おうとした『遣い』が、エネルギー切れで帰っていったあとに確認されてるよ」
再来した『遣い』は、前回の襲来で生き残った『刃持ち』を率先して狙ったのだという。まるでそれが脅威であるとわかっているかのように。
「もう一度来たそいつは、異常個体だったのか?」
「いや、通常個体だった。君が討伐したものと同じように、問題なく倒せたらしい。だがもしこれが同一個体だと仮定した場合、推察されるのは、一度『砂生みの鯨』に戻った『遣い』は、なんらかの理由で変異状態ではなくなるのでは、ということだ」
「強化されたものが戻ってるってことか?」
「ああ。なぜ強化されるのか、なんの為に強化されるのかもわかっていないから、仮説に仮説を重ねたものだけどね」
そこまで言ったヨミは、だが僅かに眉を寄せる。
「だが言葉を話したっていうのは聞いたことがない。そいつは確かに、キミに向かってそう言ったんだね?」
振り返ったヨミに頷く。
「ああ」
「今までに同じ経験は?」
「ない。見られた感じがしたってやつなら、一度だけあるけど」
「それはいつ、どこでだ?」
「一年ぐらい前に、二十一番街でだ」
そこでのことも簡潔に説明すると、ヨミはそうか……と言って視線を落とし、再び考え込む様子を見せる。
「五年前、五十七番街に現れた『遣い』は三体。それらすべてがキミのことを認識していたとして、その中の二体のうち一体が一年前の二十一番街、そして一体が昨日ここに現れたということか? やはり『遣い』には、個という概念が存在していたのか?」
自問するように呟くヨミを見つめていると、昼休憩の終わりを知らせる鐘が響いてきた。
「やべっ」
慌てて立ち上がる。
「また来る。なにかわかったら教えてくれ」
「わかった。キミも、くれぐれも気をつけるように。あいつらはまだまだわからないことが多い。なにが起きても受け止められるだけの度量を持て」
簡単に言ってくれる、と思ったが、ヨミは今までそうやって相対してきたのだろう。その言葉には妙に説得力があった。
「ああ」
そう返して階下を見下ろす。窓から戻るより飛び降りた方が早そうだった。
下に誰もいないのを見計らってそのまま飛び降りようとした時、ふいにヨミが呼びかけてきた。
「イチ」
僅かな驚きと共に振り返る。ヨミに名前で呼ばれたのは初めてのような気がした。
「なんだよ」
するとヨミは、ふっと笑って言った。
「無茶はするなよ。お前という存在は、一人しかいないんだからな」
急になんだと思ったが、尋ねている時間はなかった。気になりつつも、イチは
「ああ」と返事をすると、階下へ飛び降りた。




