第14話 弓の『刃持ち』
褐色の青年が、今にも寝そうなほど目を細くしながら、砂小麦のパンをひたすらに咀嚼するのを、イチはなんとも言えない表情で見つめていた。
チトセの本部にある食堂である。
水袋を回収したムツキ達は、あれからほどなくして壁の上に戻ってきたが、イチに抱きかかえられた青年を見ても、特に動揺することはなかった。どうやらいつものことらしく、ナナシが水袋の入った袋を無言でココノエに渡すと、ココノエもまた無言で受け取り、イチの傍に屈んだナナシは、青年の体をイチから受け取ると、抱き上げたまま本部まで運び、食堂にある椅子に座らせたのだった。
「マジで腹が減ってただけなのか」
呆れるように言ったイチに、青年にさしあたりの食料を与え、近くに座ったナナシは、がははと笑った。
「こいつの刃は飛び道具だからなぁ。一発撃つだけでめちゃめちゃ体力使うんだとよ。……おいイツヒ、食うか寝るかどっちかにしろ」
パンを持ったまま、いつの間にか目を閉じていた青年――イツヒが、うっすらと目を開けて咀嚼を再開する。
「いつもこうなのか?」
机を挟んで座ったイチが尋ねると、ナナシの顔がこちらを向く。
「まぁな。もうちっと体力つけたらマシになるんだろうが、なに食ってもどれだけ鍛えても、体力も筋肉もまったく付きやしねぇ」
「よくそれで今までやってこれたな」
「一発だけなら撃てるからな。大抵の場合、『遣い』は最大でも五体しか同時に来ねぇ。俺ら近接組が四体を仕留めりゃ、残りはこいつで綺麗に終わりだ。まぁ万が一外しても、俺らの誰かが仕留めりゃ問題ねぇ」
「……外さない」
ちょうど口の中がなくなったのか、手元を見つめたままイツヒがぼそりと言った。だが言うだけ言うと、またもそもそと食べ始める。振り返ったナナシが、またも豪快に笑った。
「あーそうだったそうだった。おめぇの弓は百発百中だからなぁ。しかも壁の上からあの距離を当てるもんだから、末恐ろしいもんだぜ」
確かに、あの時『遣い』はいくらかこちらに近づいていたとはいえ、的としてはまだかなり小さかった。しかも壁の上は風も吹いている。
「まぁそうは言ってもな、不測の事態ってのはいつでも起こるもんだ。おめぇが矢を外さなくても、『遣い』の体表が矢を弾く可能性もある。『遣い』自身が予想外の動きをする可能性もある。その時おめぇは二撃目を撃てねぇだろ?」
イツヒはもぐもぐと咀嚼して答えない。
「そうなった時に、下手したら食われるのはおめぇだ。それをどうにかしようと近接型を探してたんだが、そこに上手いこと来たのが――おめぇだ」
ナナシの視線が再びイチを向く。
「俺?」
「ああ。俺はてっきり、おめぇは群れたくねぇ奴かと思ってたからよ、ウチに入るこたねぇとは思ってたんだが、少なくともここ数か月、おめぇの腕は嫌ってほど見せつけられた。おめぇのことをよく思ってねぇ奴は隊に何人かいるが、少なくとも俺らの班にはいねぇしな」
イチは意外な思いでそれを聞いていた。ムツキの言動からするに、てっきり嫌われているとばかり思っていたのだ。だがよくよく思い返せば、ムツキはイチに対し注意や忠告こそすれ、嫌悪の感情を向けてきたことはなかった。
「なら、おれはクビか?」
机に置かれた次のパンに手を伸ばしながら、イツヒが言った。
「いんや、クビにはならねぇよ。ヨミと同じ補欠要員になるだけだ」
「なら、一日寝ていても構わないな」
「いいわけねぇだろバカ野郎。いざって時に動けるように、ちゃんと食って体動かしとけ」
そう返したナナシに、だがイツヒはパンをもぐもぐと食べ始める。ナナシはやれやれと溜め息をつくと、イチを振り返った。
「おめぇ、今日はとりあえず帰っていいぞ。まだ正式に入ったわけじゃねぇしな。ただムツキに書類出してあれこれ終わったら隊舎住まいになるから、住んでるとこの片付けだけしとけ」
「隊舎に住むのか?」
イチは思わず聞き返してしまった。渡された書類をまだ一文も読んでいないせいもあったが、住んでいる場所が変わるとは思っていなかった。ただ所属して、行動を同じくするという程度にしか考えていなかったのだ。
「そりゃそうだろう。『遣い』が来たらすぐに向かわなきゃならねぇ。居場所がわからず全員を招集できませんでしたーなんて許されねぇからな」
ナナシの返しに、イチは慌てて聞いた。
「じゃあずっと、隊舎にいないといけないのか?」
「まぁ基本はそうなるなぁ」
「『遣い』を倒して、戻ってきてからもか?」
「勤務中なら戻るのは本部施設だが……なんだよ、おめぇも縛られたくねぇクチか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
言い淀み、僅かに顔を俯かせる。『遣い』を倒したあとは、トトハに無事を知らせに行かなければならない。だが常に隊舎か本部施設にいなければいけないとなると、それができなくなる。
どう伝えるか迷っていると、一人黙々と食べ続けていたイツヒがぼそりと言った。
「恋人でもいるんじゃないの」
「……は?」
「なーんだよそういうことかぁ!」
ナナシが顔全体に喜色を広げた。
「おめぇ女がいたのか! いや隅に置けねぇなぁオイ! んでなんだ? 同棲でもしてんのか? なら一人で置いとくのは心配だわなぁ!」
「いや、そうじゃなくて……」
「どうしても心配なら結婚しちまえ結婚! 隊舎ん中には家族持ち用の隊舎もあるからよ! そこで一緒に住んじまえ!」
「そうじゃない! それに恋人とかそんなんじゃ――」
「照れるな照れるな! こんなクソみてぇな世の中、女でも作ってねぇとやってられねぇだろ!」
「いや、だから……」
「諦めなよ」
咀嚼していたパンを飲み込んだイツヒが、俯いたまま言った。
「訂正するだけ無駄だと思う」
もとはと言えばお前のせいだろうという言葉を飲み込み、イチは溜め息をついた。だがイツヒの言う通り、ナナシに対してこれ以上なにを言っても無駄な気もしていた。となるとさっさと話を切り上げるに限る。そもそも今この時だって、少しでも早くここを出て、トトハに顔を見せに行きたいのだ。今後討伐後にどうするかは、またあとで考えよう。
「じゃあ、帰る」
そう言って立ち上がると、ナナシが上機嫌で手を振ってきた。
「おう! 恋人によろしくな!」
イチは改めて溜め息をついた。




