第13話 子ども扱いしないで
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翌日イチは、チトセの本部前にいた。
海岸沿いの街は、どれも例にもれず、奥地に行くにつれて階段状に高くなっている。重要な組織の本拠地や役職のある者の家ほど奥にあり、一般市民やよそから流れ着いてきた者の家ほど、砂の海に近い場所にあった。
だがチトセは『遣い』の討伐を任務としているせいか、その本部施設は、他の重要施設に比べて遥かに低地にあった。
門番の類はおらず、開け放された門を潜ると、敷地内の隅では、簡素な服で鍛錬をしている、隊員と思しき者が何人かいた。だがココノエやナナシの姿は見えない。
とりあえず建物の傍まで来たものの、さすがに勝手に入るのは憚られる。気は進まないが、鍛錬をしている中の誰かに声をかけるか、と思った時、短く叫ぶような声が頭上から聞こえた。
顔を上げ、硬直する。三階の窓から、人影が降ってきていた。それは随分と小柄で、子どもだと気付いた瞬間、イチは即座に地面を蹴りつけた。
飛び上がり、その体を抱き留める。するとざわりと総毛立つような感覚があった。その感覚に一瞬ひるみつつも、衝撃を殺すようにして地面に着地する。
「おい、大丈夫――」
「離してよばかぁーっ!」
抱き留めた少女はイチを突き飛ばすと、もがくようにその腕から離れた。バランスを崩したイチは尻餅をつき、逃れた少女はまろぶように離れていく。少女はそのまま距離を取るとすぐさま立ち上がり、自分の体をばたばたとはたき始めた。
「ああーっ、もう! 気持ち悪い! 気持ち悪い! 最悪!」
そしてひとしきりはたくと、イチを強く睨みつける。
「余計なことしないでよっ!」
頭の両側で括った鮮やかな赤毛が、少女の感情に呼応するように靡く。見たところ十二、三歳辺りに見えた。特に怪我をしていなさそうなことにほっとしつつ、イチも立ち上がる。
「いや、危なかっただろ今」
「一人でもちゃんと着地できたわよ! あんたがそこをどいてくれさえしたら!」
抱き留めた時の感覚からするに、この少女も『刃持ち』なのだろう。一般的な人間よりも優れた運動神経を持つという意味では、確かにそうかもしれないが。
「お前がいきなり落ちてきたからとっさに受け止めたんだよ。お前が『刃持ち』かどうかなんて、見ただけじゃわからないだろ」
「それぐらいわかりなさいよ!」
無茶を言う。
いったいこの子はなんなんだと思っていると、建物の扉が開き、出てきたのはナナシだった。
「あいっかわらずお転婆なヤロウだな。ちっともじっとしていやしねぇ」
少女がむくれた顔でナナシを見返す。だが言い返すことはしないようだった。溜め息をついたナナシが、イチを振り返る。
「ここに来たってことは、入ることにしたのか? ウチに」
「ああ」
ナナシの目が、量るようにイチを見つめる。だがそれも一瞬で、ナナシは目を閉じると肩をすくめた。
「やれやれ。ガキばっかり増えやがる」
「子ども扱いしないで!」
食いついたのは少女だった。
「酒が飲めねぇうちはガキだ。飲めても飲まれてるうちはガキだ。……ほら、ついて来い」
踵を返して建物の方へと戻るナナシに、イチは続く。するとナナシが少女を振り返った。
「おめぇもだミツカ。今日のノルマ終わってねぇんだろ?」
すると、ミツカと呼ばれた少女はぶすくれた顔でついてきた。
「まったく……」
建物へと入ると、前に向き直ったナナシが、通路を歩きながらミツカを肩越しに振り返る。
「おめぇはまだまだ勉強することが山ほどあるんだからよぅ。新入りの顔覗いてる暇があったら勉強しろ勉強」
「してるもん」
ミツカは言い返すが、イチに対して程の勢いはない。イチはふと思った。
「もしかしてお前、三階から俺のことを見てて落ちたのか?」
ミツカの顔が真っ赤になった。それを見たナナシが豪快な笑い声をあげる。
「笑わないでよっ!」
ミツカが握りしめた拳をナナシの横腹にぶつける。だが筋肉質でがっしりとしたその体には、毛ほども効いていないようだった。
ミツカはそのまま恥ずかしさを紛らわせるように、傍の階段をドカドカと上がっていく。対するナナシは、俺達はこっちだ、と一階の奥へとイチを案内した。
ナナシが扉をノックすると、中から聞き覚えのある声が返った。
「入れ」
扉を開けたナナシに続いて中に入る。ガラスが窓に嵌め込まれたその部屋は、砂っぽさはなく、小ぎれいな机と書棚がいくつかあった。中央に置かれたその机はいくつもの書類が束になって積み重なっており、それを感情の見えない顔で捌いていたのは、チトセの隊長、ムツキだった。
「ほれ、新入りだぜ隊長殿」
いくつかの書類にサインを走らせたムツキが顔を上げる。最後に顔を合わせたのはヨミに酔い潰されたあの時で、売り言葉に買い言葉のようなやり取りで終わっていたせいで、イチはなんとも気まずい気分だった。だがムツキの表情は特に変わらず、発された声音も至っていつもと変わらないものだった。
「ココノエから話は聞いている。チトセに入隊するということで間違いはないか」
「ああ」
するとムツキは机の引き出しを引き、いくつかの書類を出すとイチに差し出してきた。
「これを熟読してサインをしたら、また私のところまで持ってくるように。他に気になることがあれば、ココノエに聞くといい」
「俺も教えられるぜ?」
ナナシが言うと、ムツキの視線がナナシを向いた。
「貴様はまず隊服を着るところからだ」
ナナシはがははと笑ってごまかした。そのまま踵を返して扉に向かうナナシに、書類を受け取ったイチはどうすべきか迷ったが、ムツキが再び机に向かったので、ナナシに続いて部屋を出た。
ミツカの元へ行くというナナシと別れ、一人建物を出ると、ちょうどココノエが門を潜ってどこかから戻ってきたところだった。
「おや、イチくんじゃないですか」
昨日と変わらず穏やかな笑みを湛えたココノエは、そのまま歩み寄ってくると、イチが持った書類に目を向ける。
「それを持っているということは、入隊することにしたんですか?」
「ああ」
するとココノエは、その穏やかな顔をさらに笑み崩した。
「ありがとうございます。イチくんが入ってくれるなんて、とても心強いです」
「あ、いや……」
恐らくココノエの言葉は、心からのものなのだろう。だがそう思うも、手放しで感謝されるということに慣れていない為、返す言葉を見つけられない。
どうすべきかと迷っていると、ふいに、耳を掠める音があった。
低く、遠く、響く音。
即座に振り返ったのは、砂の海に遠く佇む、『砂生みの鯨』だった。
「耳、いいですね」
落ち着いた声音で、ココノエが言う。その視線は、『砂生みの鯨』を向いていた。
「いいことです。僕達は誰より早くあれに気付かなければならない」
遥か遠くに、徐々に砂煙が上がってきているのが見えた。
「ちょうどいい。今回は僕達についてきてもらいましょう。ただし見学だけです。僕達がどうやってあれらと対峙しているのかを、見てもらいます」
「……わかった」
街中に警鐘が響く中、イチは防護壁の上に立っていた。僅かに離れたところで同じように立ち、近づきつつある『遣い』を見つめているのは、ムツキ、ココノエ、ナナシ、そして驚くべきことに、巨大な鎌を手にしたミツカもいた。あそこにいたということは隊員だったのだとは思うが、それでも子どもと呼んで障りない年頃のミツカがそこに並んでいるのは、浅からぬ驚きがあった。
そしてもう一人、四人から少し距離を置いて『遣い』を見つめる青年がいた。
褐色の肌に、さらりとした髪は黒く、歳は自分とそう変わらないように見えたが、外套を羽織った上からでも、その華奢さがわかるほどに細い。そして視線を向けるその目はどこかぼんやりしていて、今から討伐に赴くそれにはとても思えなかった。
「作戦はいつも通りだ」
前方を見つめたまま、ムツキが常と変わらぬ声で言う。
「水袋は斬るな。口内を正面から貫こうとするな。体表は斬れぬ可能性があると思え。以上だ」
各々がゴーグルをつけ、布で口元を覆う。ナナシが右手を掲げると、手のひらの赤黒い円形の痣から棍のような棒が伸び、先端付近から二枚の刃が生えて斧の形状になる。ココノエの手からは長大な槍が、ムツキの手からは両刃の剣が伸びた。
ナナシが斧を肩に担ぎ上げる。『遣い』はもう本体が目視できる距離にまで来ていた。今日も五体。
「よっしゃいくぜぇ!」
ナナシが砂の海に飛び出す。追いかけるように降りた影は三人。ココノエ、ムツキ、ミツカ。
――ん?
ふと横を振り返る。褐色の青年が一人、壁の上に残っていた。ゴーグルはつけているが、口元は覆っていない。それどころか、なにかを食べているように口が動いていた。
「お前は行かないのか?」
だがそう尋ねるも、青年は答えず、手に持っていた干し肉をひと齧りした。
――なんでこんな時に食べてるんだ。
怪訝な視線を向けるイチに、青年は噛んでいたものを飲み込むと、前を見つめたままぼそりと言った。
「喋らせないでくれないか」
「は?」
「喋ると腹が減る」
それだけを言うと、再び干し肉を食べ始める。
――なんなんだこいつは。
だが『遣い』に向かっていった誰一人、壁に残った青年のことを気に留めていない。そういう作戦なのだろうか。それにしても、なぜ今食べているのか。
気にはなったが、砂の海の先では、ナナシ達がちょうど接敵するところだった。
砂の上を走っていたナナシが高く飛び上がり、先頭の一体の頭を斧でかち割る。次いでココノエも大きく飛び上がり、両手で握った槍で、別の『遣い』の脳天を貫いた。ムツキが剣で『遣い』の背を横薙ぎに切り、透明な体液が溢れる。残ったミツカは、巨大な鎌を両手で握り、『遣い』のえらから上を刈り取るように斬り上げた。
だが『遣い』は五体。誰の手にもかからなかった一体が、こちらに向かって直進してきていた。とっさに刃を出したイチが壁から降りようとすると、隣から静かな声がした。
「動かないでくれるか」
振り返ると、さっきまで干し肉を食べていた青年が、いつの間にかその手に大弓を握っていた。正面に構え、なにもない右手を添えると、手のひらから長く鋭利な鏃をもった矢が生まれ、弓につがえられる。
――弓?!
『刃持ち』が生み出すものとして、初めて見る形状だった。だが驚くイチをよそに、青年は目を眇めて弦を引き絞ると、近づく『遣い』に向かって矢を放った。
風が鳴る。飛び出した矢はあやまたず『遣い』の額に突き刺さり、致命傷を受けた『遣い』は、惰性で少し前進したあとにその動きを止めた。
響き渡る音が、静かに消えていく。貫かれ、砂地に倒れた『遣い』を呆然と見つめていると、すぐ傍でどさりと音がした。振り返ると、先ほどまで弓を握っていた青年が倒れていた。
「おい! 大丈夫か!」
慌てて近づき、イチはその体を抱き起した。
「う……」
青年が小さく呻く。そして掠れる声で言った。
「腹が……減った……」




