第12話 心配はするけどな?
「……は?」
「やめとけやめとけ」
割って入ったのはナナシだった。
「どうせ一人で戦いてぇってクチだろう。それに散々好き勝手やってきた小僧を入れるなんざ、隊が乱れるとかでムツキの野郎が嫌がるんじゃねぇか?」
「おや、ムツキさんはそんな狭量な方ではありませんよ。むしろ純粋な戦力強化は喜んでもらえると思いますが」
「喜ぶ、ねぇ。あの鉄面皮が」
「……で、どうします?」
ココノエが再びイチの方を向いた。
「俺は……」
浮かんだのは、トトハのことだった。
誰かと戦うということは、今まで考えたこともなかった。二十一番街では一時的にそこの『刃持ち』と共闘したが、練度の低い彼らは突然現れた『遣い』に翻弄され、ほとんど一人で戦っていたようなものだった。
だがチトセは違う。この大きな八番街を長く護ってきた組織だ。イチ自身が通常の『遣い』に後れを取ることはないが、少なくとも一人で戦うわけではないという状況は、トトハを安心させられるかもしれない。だが今まで毛嫌いしてきた組織に属するという状況が、どうしても素直に頷くことを拒んだ。
「まぁ、すぐに決断しろとは言いません。でもじきに雨が降るかもしれないので、できたらそれまでに決めてもらえるとありがたいですね」
「雨?」
「最近『遣い』の来る頻度が上がっているでしょう。過去の例からるすると、『遣い』があまり人間を食えていない――言い方を変えると、僕達『刃持ち』が防げているから、となるんですが、これが長く続くと、雨が降るらしいんですよね。……雨についてはご存じですか?」
「あ、ああ……」
『砂生みの鯨』が落ちてくる前は、空から真水が降る現象、それ以降は、空から塩水が降ってくる現象だ。真水が降っていた頃はただの気象現象だったらしいが、今のそれは、真水の元となる資源が入手できる機会であると同時に、大きな街では大量の『遣い』が現れる時でもある。
イチも十年前、五十七番街で一度だけ雨に遭遇したことがあったが、あの時はただの雨だった。しかしここでは間違いなく『遣い』が来る。だが、よりによって今なのか。トトハがいる、ここで。
それ以上言葉を繋げないでいるイチに、ナナシが量るような声で言った。
「まさか雨って聞いて怖気づいたんじゃねぇだろうな」
「違う」
反射的に返す。だがナナシは疑わし気な視線を変えなかった。
「雨って聞いてビビってるような奴を隊に入れるなんて、ますます賛成できねぇな。いざって時に足を引っ張られんのはこっちだぞ」
「違うって言ってるだろ……!」
「まぁまぁ」
取りなすようにココノエが言った。ココノエは変わらぬ穏やかな表情をイチに向ける。
「なにか気がかりなことがあるのでしたら、それを解消してからでも構いません。今すぐに雨が降るというわけでもありませんから」
心の整理ができたらチトセの本部に来てください。そう続けたココノエに、イチは力なく、ああと返すことしかできなかった。
* *
トトハは自室の中で、座ったり歩き回ったりを繰り返していた。
先ほどイチの家に様子を見に行ってから、三十分ぐらいは経っただろうか。そろそろもう一度行こうか。まだ早すぎるだろうか。だが、イチの様子も気になる。最近、警鐘が鳴る頻度が増えた気がするのも、不安な要素のひとつだった。
行こうか。もうちょっと待とうか。そうやってぐるぐる考えていると、ふいに玄関のドアがノックされた。トトハは急いで駆け寄ると、内開きのドアを目いっぱい開く。
「イチ?!」
「お……おぅ」
果たしてそこにいたのは、イチだった。驚いたように軽く身を引いているイチの全身を、トトハは上から下まで眺めまわし、もう一度顔に視線を戻す。
「怪我、してない?」
「ああ、大丈夫だ」
それを聞いて、トトハはようやく大きく息をついた。そのままその場に崩れ落ちそうだったが、どうにか耐える。
「悪い、遅くなって」
「ううん、こうやって来てくれたからええよ。でもどうしたん? またチトセの人となにかあった?」
「ああ……それなんだけど……」
イチはなぜか言い淀み、その目をトトハから逸らす。どうしたのだろうと思っていると、イチは目を逸らしたまま、言いづらそうに言った。
「チトセに入らないかって、言われた」
「ええ?!」
トトハは思わず声を上げてしまった。チトセはイチのことをあまりよく思っていない。そうイチから聞かされていた。なにがどうして、そんなことになったのか。
「な、なんで?」
思ったまま尋ねるが、イチの反応は鈍い。なにか、トトハに話しづらいやり取りでもあったのだろうか。気にはなったが、イチが教えてくれる気配はなく、仕方なくトトハは、次に気になったことを口にした。
「そんで、イチはどうするん? チトセに入るの?」
「それなんだけど……トトハはどう思う」
イチが逸らしていた視線をトトハに戻した。
「俺は、チトセに入った方がいいと思うか?」
「へっ……?」
まさかそう振られるとは思っていなかったトトハは、頓狂な声を出してしまった。
「うーん……」
腕を組み、考えてみる。イチが、チトセに入る。よく思っていなかった者同士が、同じ組織で上手くやっていけるのだろうかというのは気になったが、少なくともイチは、一人であの生き物に向かって行かずに済む。それはトトハの不安を、少し減らしてくれるものでもあった。
「ええんとちゃうかな」
トトハは組んでいた腕を解き、イチを見上げた。
「イチの危ないのがちょっとでも減るんやったら、うちは、イチがチトセに入るのええと思う」
そう答えると、イチは、そっか、と呟くように言った。
「そうだな。やっぱその方が、トトハにも心配かけずに済むもんな」
「入っても、心配はするけどな?」
わざとちょっと怒った風に言うと、イチは、ふっとその顔を緩ませた。
「そうだな。入っても気をつける」
その顔に、トトハはきゅっと胸が苦しくなった。だがイチは、言いたかったことを言いきったと思ったのか、じゃあ、と言いながら、そのまま踵を返そうとする。
「あっ……イチっ、イチっ」
トトハは慌てて、イチの手に向かって両手を伸ばす。
「あ、ああ……」
気付いたイチが、右手を差し出してきた。トトハは、自分よりも大きな、少し骨ばった手を両手で包み、手のひらで、その体温を感じる。
あったかい、イチの体温だった。
これを、しっかり覚えておこう。トトハはこうやって触れるたびに、いつもそう思っていた。だって、いつなにが起きるか、わからないから。こうして体温を感じられるのは、もしかしたらこれが最後になるかもしれないから。別れは急にやってくるものだと、トトハは知っているから。
体温と、手の感触。それをしっかり記憶に焼き付けて、トトハは手を離した。イチの手が、離れていく。
「じゃあな」
「うん」
背を向けて通路を歩いていくイチが、階段の先に消えるまで、トトハは見つめていた。




