第11話 力試し
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低く遠い音が、次第に消えていく。
ヨミは防護壁の歩廊に立ち、壁の外を見つめていた。遙か先には、倒れ伏した三体の『遣い』とチトセの隊員、そして更に先には、これもまた動きを止めた二体の『遣い』と、例の少年――イチがいた。
ここ数週間、『遣い』の襲来は目に見えて増えている。他の街では、消耗戦を強いられているところもあるだろう。そして最初に瓦解するのは、規模に反して『刃持ち』の数が極端に少ない街になる。
いかにその刃が『遣い』に対して有効とはいえ、一歩間違えれば食われて死ぬ、命がけの討伐である。精神的消耗は大きい。人数が少ないとなれば交代要員も望めず、なおさらだ。そして保ち続けていた糸が切れた時、その街は滅ぶ。
だがそれは、他の街に一定期間の安寧をもたらすものでもあった。ひとつの街が滅ぶということは、『遣い』が大量の人間を食ったということだ。なぜ人間を食うのかは未だにわかっていないが、その目的が達成された場合、『遣い』の襲来はしばらく――統計的にはおよそ半年の間――そのなりを潜める。
どの街にも充分な人数の『刃持ち』を存在させられるほど、その数は多くない。必然、人口に対して『刃持ち』の少ない街が多くなる。ここ八番街も、流入してくる人数に対して『刃持ち』の数は圧倒的に少ないが、長く組織として存在していたチトセの技量は高く、通常の個体がいつものように来る程度であれば、苦戦することはない。また、比率として少ないだけで、交代要員を望める程度の規模はある。限られた者達が終わりなく戦い続ける状況にはなっていないのだ。
だがどの街でもそうであるとは限らず、そうなれば、不利な街ほど最初に壊滅する。手助けする余裕は、こちらにもない。一定以上の規模の街に対して、『遣い』は等しく襲来する。
この街は、他の街の犠牲の上に成り立っている。今なお存続している大きな街は、ほとんどがそうだろう。それに対して、まったくなにも思わないわけではない。流入してきた民の中には、なぜこれほどの腕を持ちながら助けてくれなかったのかと、チトセに詰め寄る者もいる。だが他の街の民を助ける為に、この街の民を危険に晒すことはできない。
「せめてもうちょっと、『刃持ち』が多く生まれてくれればねぇ……」
現状、『刃持ち』が生まれてくる理屈はまったくの不明である。両親とも普通の人間である夫婦から、突然『刃持ち』の力を持つ子どもが生まれてきたり、逆に、両親もしくは片方の親が『刃持ち』であるにも関わらず、その力を持たない子どもが生まれてきたり。法則性がまったく見えないのだ。
「まぁ、親子共々『刃持ち』なんて、それはそれで最悪だけどね」
ヨミの両親は、二人とも『刃持ち』だった。それでよく子どもが儲けられたものだと思う。しかも二人も。そしてヨミは、親に抱き締められた記憶がほとんどない。『刃持ち』同士が触れ合うと生まれる、あの怖気のような感覚は、親子の間でも発生するのだ。
両親はヨミを、そして弟のムツキを、深い愛情を持って育ててくれた。だがその触れ合いは、その抱擁は、心をざわつかせるものにしかならなかった。
そしてぬくもりに触れる機会がほとんどないまま、二十年前、突如現れた異常個体――人を食って変異したわけではなく、その姿を見せた時点で変質しきっていた異常な個体との戦いで、二人は帰らぬ人となった。
「まったく、不便な体だよ」
しかしこの力がなければ、戦うこともできない。ヨミは、己の職務のために前線に出ることはまずないが、十年前に、一度だけムツキ達と並んで戦ったことがあった。
雨が、降ったのだ。
かつて空から真水が落ちたそれではなく、『砂生みの鯨』が呼んだ、塩水の雨が。そしてその雨は、一定以上の規模の街に大量の『遣い』を呼ぶ、絶望の雨だ。
ヨミは空を見上げた。淡い水色の空に、薄く引き延ばされたような雲が、ところどころに浮かんでいる。いつもの空だ。だが、頻度が上がった襲来が一向に終わらない今の状態は、十年前と似ていた。このままどこかの街が壊滅すれば、またしばらく襲来はなくなるだろう。だがどこの街もが生きる為に死力を尽くし、ことごとく『遣い』を倒していた場合、状況は次の段階へと進む。
「これはそのうち、雨が降るかもしれないねぇ」
彼方には、『砂生みの鯨』が静かに佇んでいる。
* *
イチは防護壁を蹴りつけると、砂の上に飛び出した。遠くから迫る『遣い』は五体。いつもの数だ。手のひらから刃を生み出し、日の光を反射する銀の背中を切りつける。
透明な体液が溢れ出したのを横目に、次の標的を定めようとした瞬間、壁に向かって突き進む四体の内一体の頭に、飛来した巨大な斧が深々と突き刺さった。少し遅れて、離れたところで爆発的な砂柱が上がったかと思うと、飛び出してきた影が、斧の刺さった『遣い』の傍に降り立つ。
それは大柄な一人の男だった。焦げ茶色の外套を羽織り、ゴーグルと口元を覆う布で顔はわからないが、チトセの制服は着ていない。
誰だと思っていると、『遣い』から斧を引き抜いた男がイチの方を向いた。かと思った瞬間、数歩の助走ののちに、砂地を蹴りつけて跳び上がる。そして弧を描くようにこちらに向かってきた男は、手に握った斧をイチめがけて振り下ろしてきた。
「なっ!」
とっさに後ろに跳び上がって避けた。巨大な砂波が、イチの足先を掠めていく。
離れたところに降り立つと、振り下ろした斧を肩に担いだ男が、割れ鐘のような声を張り上げた。
「なんで避けるんだテメェ」
「は?」
「避けたら勝負にならねぇだろうが……よっ!」
男が砂地を蹴りつけ、イチに向かって一直線に斧を振りかぶってきた。
――速い!
考えるより先に体をよじる。体のすぐ傍を、巨大な斧が豪速で過ぎ去っていった。背筋に冷たいものが下りる。
「なにすんだよ!」
思わず怒鳴りつける。するとゴーグルの奥で男が眉を上げるような仕草をした。
「ああ? なにって力試しだろうがよ。毎回毎回俺の獲物を横から掻っ攫いやがって。それは俺に対する挑戦状ってことなんだよなぁ?」
「はぁ? なに言って――」
「ごちゃごちゃ言ってねぇで、その右手のモン使ってみろよ!」
男が予備動作なく斧を薙ぎ払う。避けられない。即座に判断し、イチは右手の刀を全力で振り抜いて斧を払った。全身に強い衝撃が走る。男の目がにやりと笑った。
「それでいいんだよ」
そうして次の攻撃に移らんと男が斧を構え直そうとした時、ふいに飛来した槍が二人の傍に突き刺さった。
砂柱が上がり、束の間視界が奪われる。降り立つ足音のあとに聞こえてきたのは、酷く穏やかな男の声だった。
「『刃持ち』がその力を使って私闘を行うのは、規則違反ですよ、ナナシ」
視界が晴れる。そこにいたのは、チトセの制服を着た長身の男だった。亜麻色の長い髪を首の傍で括り、胸の前に長く垂らしている。
男は長大な槍を引き抜いてその手のひらに飲み込ませると、次いでゴーグルを外した。続いて口元の布をずらすと、そこにあったのは穏やかな笑みだった。
「初めまして。僕はチトセ所属のココノエといいます。うちの者が大変ご迷惑をおかけしたようで。お怪我はありませんか?」
「いや……ないけど……」
恐らくヨミやムツキと同じぐらいの、明らかに年上に見える男のあまりの物腰の丁寧さに、イチが気後れするように答えると、斧を抱えた男――ナナシがゴーグルを外し、ココノエを軽く睨みつけた。
「なんで邪魔すんだよココノエ。若いモンの力試しは重要だろうがよ」
垣間見えた目元は、イチより遥かに年上に見えた。浅く日に焼けた肌にはいくつかの皺が刻まれ、だがその目に宿る光は強い。
「あなたはただ腕試ししたいだけでしょう。貴重な戦力が失われたらどうするつもりだったんですか」
「そんなヘマはしねぇよ。ちゃーんと手加減してたぜ? なぁ?」
そう言ってナナシはイチを振り返る。だが命の危機を覚えたイチは、素直に頷けない。ココノエが溜め息をついた。
「戻ったら始末書を書いてください。ちゃんとムツキさんに提出したかどうか、あとで確認しますからね」
ナナシが物凄く嫌そうな顔をした。ココノエはそれを穏やかな笑顔で受け止める。
「慣れたものでしょう。ささっと書いてしまえばいいんですよ」
「おま……俺が字を書くの苦手なの知ってんだろうがよ……」
弱ったような声で言うナナシを黙殺したココノエが、イチを振り返る。
「ところで、本当に怪我はしていませんか? ナナシの斧を一度払ったように見えたのですが、彼は力任せに振るうので、重かったでしょう」
確かに払った瞬間は強い衝撃があったし、全身には今もなお軽い痺れが残っている。だが口に出すほどではなかった。
「大丈夫だ」
「それはよかった」
ココノエが穏やかに笑む。チトセがイチに対して快く思っていないのを知っているだけに、その穏やかさは少し落ち着かなかった。
「ところで君、イチくんと言いましたっけ」
「ああ」
名前は調べたんだろう、そう思って返すと、ココノエは思いもよらないことを言ってきた。
「君、『遣い』を倒したいんですよね? チトセに入りませんか?」




