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第一章三 初めての救い

夜が明けた。


洞窟の奥まで差し込んだ光が、閉じていた瞼をじわりと焼く。


眩しさに顔をしかめながら、トウマはゆっくりと目を開けた。


――身体が重い。


ぼんやりとした意識のまま、起き上がろうとして。


「……あれ」


足に力が入らなかった。


もう一度、動かそうとする。


しかし、結果は同じだった。


「……は?」


腕は動く。手も、首も問題ない。


なのに――足だけが、まるで他人のもののように動かない。


昨日、何時間も走り続けた反動か。


そう考えれば納得はできる。だが、それで済ませていい問題じゃない。


――動かなかったら、逃げられない。


その事実が、ゆっくりと、確実に、胸を締めつけていく。


もし兵士に見つかったら。


捕まれば――終わりだ。


身体中に、じっとりとした冷や汗が滲む。


そのときだった。


「このあたりまで来ているはずだ!絶対に見つけ出せ!10万人の人殺しを!」


洞窟の外から、男の怒声が響く。


「おお!!」


複数の足音と、応える声。


――やっぱり、来ている。


ここは人目につきにくい場所だが、相手は大人数だ。


時間の問題だった。


「……はは」


乾いた笑いが、喉から漏れる。


ああ、俺は本当に死ぬんだな。


もう一度死んだら、またこうして別の世界に行けるのか?


そんな保証はどこにもない。


そもそも――もう転生なんてしたくない。


また誰かに憎まれて。


また誰かに追われて。


また、ひとりになる。


――そんなの、もう嫌だ。


人間なんて、いなくなればいい。


そう思う自分がいる。


でも同時に、それを許せない自分もいる。


誰かを殺す覚悟なんて、どこにもない。


だから俺は、ずっと逃げてきた。


前の世界でも。


この世界でも。


逃げることしか、できなかった。


努力もせず、才能もなく。


壁を壊す力もないくせに、壁の前から逃げ続けてきた。


それでも――


「……勇者、みたいな人間に……なりたかったな」


ぽつりと呟いた言葉は、洞窟の中に虚しく消えた。




気づけば、空は再び暗くなっていた。


どれくらい時間が経ったのかも、もう分からない。


それでも外からは、まだ人の声が聞こえてくる。


「そっちはどうだ!」


「まだです!これから――」


もう、どうでもよかった。


逃げられないのなら。


終わるのを待つだけだ。


重くなった瞼を、そのまま閉じる。


意識が、沈んでいく。


――そのとき。


『大地の神よ、かの者に再生の力を与えよ。――グランド・リジェネシス』


すぐそばで、声がした。


トウマははっとして目を開ける。


視界の端に、人影。


「……あの」


人間だ。


その認識が、脳を焼く。


――人間。


俺を憎む存在。


俺を殺す存在。


「や、やめてくれ……!」


喉が裂けそうな声が漏れる。


「俺が……何をしたっていうんだよ……!10万人も殺した覚えなんて……ないのに……!」


「ち、違いま――」


言葉を遮るように、トウマは叫んだ。


「来るなああああ!!!」


恐怖に突き動かされるまま、立ち上がる。


――立てた。


考える余裕もないまま、走り出す。


また、涙が溢れていた。


苦しい。


辛い。


もう嫌だ。


死にたい。


――でも。


死にたくない。


生きたい。


やり直したい。


たとえ、この先が孤独でも。


草をかき分け、ただ前へ。


走る。走る。走る。


「嫌だ……嫌だ……まだ死にたくない……」


そのとき、不意に視界が開けた。


目の前に現れたのは――


空に届くほどの、巨大な樹だった。


言葉を失うほどの大きさ。


だが、それを認識するよりも先に。


「ガサッ」


背後で、音がした。


心臓が凍りつく。


逃げなければ。


そう思った瞬間――


足から力が抜け、その場に崩れ落ちる。


どうして、さっきまで走れていたのに。


そんな疑問すら、どうでもよかった。


来るな。


来るな。


来るな――


「ガサガサッ」


草をかき分けて現れたのは。


見慣れた制服をぼろぼろにした、橙色の髪の少女。


「……お前は……」


ヒナだった。


だが、安心はできなかった。


ヒナも人間だ。


きっと、俺を殺しに来たのだろう。


――お前のせいで死んだ。


そう言われるに違いない。


しかし。


ヒナの口から出たのは、まるで正反対の言葉だった。


「大丈夫ですよ、トウマ先輩」


優しく、柔らかい声。


「私は、先輩と一緒に逃げるために来たんです」


一歩、また一歩と近づいてくる。


そのたびに、胸の奥がざわつく。


優しさの裏には、何かがある。


何度も裏切られてきた記憶が、警鐘を鳴らす。


「く、来るな……」


声が震える。


「来ないで……ください……」


ヒナは足を止めた。


そして、ゆっくりとしゃがみ込む。


次の瞬間。


トウマの身体を、そっと抱きしめた。


――温かい。


その感触に、思考が止まる。


恐怖が、ほどけていく。


代わりに、込み上げてくるものがあった。


「……っ」


気づけば、涙が溢れていた。


堰を切ったように。


止まらない。


「辛かった……」


声が震える。


「寂しかった……悲しかった……憎かった……」


言葉が溢れ出す。


止められない。


「うん……うん……」


ヒナは優しく頷きながら、トウマの頭を撫でる。


「大丈夫です。もう、一人じゃありませんから」


その言葉に、胸が崩れ落ちる。


「みんな……俺を憎んで……殺しに来る……」


途切れ途切れに言葉を紡ぐ。


「前の世界でも……ずっと……一人で……」


家でも。


学校でも。


どこにも居場所なんてなかった。


「……人間が、嫌いだった……」


それが、本音だった。


トウマの意識が、ゆっくりと沈んでいく。


「……トウマ先輩」


ヒナは涙を拭いながら、静かに囁く。


「ゆっくり休んでください。私が守りますから」


完全に意識を失ったトウマを、そっと背負う。


大樹の根元まで歩き、座り込む。


膝の上に頭を乗せる。


優しく撫でながら、詠唱を紡ぐ。


『大地の神よ、かの者に再生の力を与えよ――グランド・リジェネシス』


淡い光が、トウマの身体を包み込む。


続けて、もう一つ。


『大地の神よ、我らを地の一部とせよ――グランド・アブソープ』


周囲の気配が、静かに溶けていく。


やがて。


ヒナもまた、疲れ果てたように瞼を閉じた。


二人を包むのは、静寂と、わずかな温もりだけだった。

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