第一章二 無色は不要
異世界転生――その言葉を口にした瞬間だった。
「ああ、どうやらその通りらしいな。……って、おい、トウマ!?トウマだよな!?」
背後から飛んできた声に、トウマはゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは、見慣れた――そして最も見たくなかった顔だった。
赤い髪、がっしりとした体格。
目つきの悪さはそのままに、どこか興奮を帯びた表情。
「……お前、アキトか!」
「あぁ?“お前”だと?アキト“さん”だろうが!!」
やはり間違いない。
教室で、毎日のように自分を殴っていた男。
――最悪だ。
せっかく死んで、別の世界に来たはずなのに。
なんでこいつまでいるんだ。
運命ってやつは、ここまで性格が悪いのか。
「……アキトさん。なんでここにいるんだ?お前も……死んだのか?」
その問いに、アキトは一瞬だけ表情を曇らせた。
「ああ、死んだよ。お前が教室飛び出したあと、追いかけようとして階段降りてたら……後ろから刺された」
「刺された!?誰に……?」
「……あの二人だよ」
短く吐き捨てるような言葉。
トウマは思わず息を呑む。
当然の報いだ――そう思った。
だが同時に、裏切られた人間特有の、あの虚ろな顔が頭に浮かぶ。
ほんの一瞬だけ、胸の奥がざらついた。
そのときだった。
「あの……トウマさん、で合ってますか?」
柔らかな声が、空気を変えた。
振り向いた先にいたのは――
橙色の髪を揺らす少女。
見間違えるはずがない。
「……まさか……」
「鼻血、もう大丈夫そうですね。よかったです」
優しく微笑むその顔は、さっき――
トラックから庇った、あの少女そのものだった。
「……ヒナ、です。よろしくお願いします」
名乗りかけたその言葉を、横から割り込む声が遮る。
「ヒナちゃん!?あのミスコン優勝の!?俺アキトっていうんだ!よろしくな!」
露骨すぎる態度に、ヒナは一瞬たじろいだが、それでも礼儀正しく頭を下げた。
「は、はい……よろしくお願いします。アキトさん。トウマさんも」
その言葉に、トウマの胸が締め付けられる。
「……ごめん……俺の、せいで……ヒナさんは……」
声が震える。
助けられなかった。
結局、何もできなかった。
前の世界でも、そして今も。
自分は――無力だ。
「トウマさん」
ヒナが一歩近づく。
まっすぐ、トウマの目を見て言った。
「あの時、助けてくれてありがとうございました」
「……え?」
「とっても、かっこよかったです」
その一言で、視界が歪む。
熱がこみ上げ、涙が溢れた。
「今度は、私がトウマさんを助けますから!」
こんな言葉を、受け取っていい人間じゃない。
それでも――
「……俺は、助けられなかった……」
「結果なんて関係ないです!」
ヒナは即座に言い切った。
「命を懸けて助けようとしてくれた。それが、嬉しかったんです」
その笑顔は、眩しかった。
「……ヒナ、ハンカチありがとう」
やっと言えた言葉。
胸の奥に引っかかっていたものが、少しだけ軽くなる。
「えへへ。どういたしまして、トウマ先輩」
「……先輩?」
「はい!先輩です!」
自然と、ほんの少しだけ笑みがこぼれた。
だが――
「おい、トウマ」
低い声が、その空気を叩き壊す。
「何ヒナちゃんと仲良くしてんだよ」
――来た。
この顔は、まずい。
本能が警告する。
逃げろ。
トウマは一歩、後ろへ下がる。
だが――
「オラァ!!」
振り抜かれた拳が、顔面に叩き込まれた。
「ぐっ……!」
視界が揺れ、身体が宙に浮く。
「ドンッ!!」
群衆の中に叩きつけられ、悲鳴が上がる。
鼻血が止まらない。
熱い。痛い。
右手で顔を押さえたとき――
そこに埋め込まれている“無色の石”が目に入った。
「……無色だと……?」
誰かが呟く。
「能力なし……最底辺だ!」
ざわめきが広がる。
――その瞬間。
空気が変わった。
視線が突き刺さる。
「10万人殺しだー!!」
「処刑しろー!!」
「夫を返せー!!」
――は?
意味が、分からない。
だが、分かることが一つだけある。
この目は――
“敵を見る目”だ。
「……っ、逃げないと」
身体が勝手に動く。
「うわあああああ!!」
叫びながら、人混みを掻き分ける。
背後で怒号が渦巻く。
石の壁。門。兵士。
全部無視して、走る。
走る。
走る。
気づけば、森の中だった。
息が焼ける。足が震える。
それでも止まれない。
――どれくらい走ったのか。
気づけば、雨が降っていた。
洞窟に転がり込む。
その瞬間。
「ぐっ……!」
心臓が、裂けるように痛んだ。
今まで気づかなかった痛みが、一気に襲ってくる。
立てない。
逃げられない。
その場に崩れ落ちる。
冷たい地面。
雨音。
荒い呼吸。
――まただ。
また、こうなるのか。
「……なんで……俺ばっか」
涙が止まらない。
憎い。
全部、憎い。
人間が。
世界が。
自分が。
「……死にたい」
ぽつりと呟く。
そのまま、瞼を閉じた。




