第二章四 死と飛翔
―――同刻、洞窟にて。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
荒い呼吸が、静まり返った洞窟にやけに大きく響いていた。
汗が頬を伝い、顎からぽたりと落ちる。
――いる。
背後に、何かがいる。
確証なんてない。
だが、本能が警鐘を鳴らしていた。
(やばい……)
理由なんてどうでもいい。
逃げろ――そう身体が叫んでいる。
(……そうだ、逃げるんだ)
それは、トウマが一番得意としてきたことだった。
逃げれば生き残れる。
生き残れば明日がある。
生きてさえいれば、なんとかなる。
――ずっと、そうやってきた。
逃げ続けて、逃げ続けて。
けれど、その先にあったのは――
越えられない壁だった。
何度も、何度も。
(……何考えてんだよ、俺)
ぎり、と奥歯を噛み締める。
(もう、逃げないって決めただろ)
もしここで逃げて、生き延びたとしても――
ヒナがここに戻ってくる。
(ヒナがやられるくらいなら……)
拳を握る。
(俺がやられた方が、百倍マシだ)
覚悟を決める。
トウマは、ゆっくりと振り返った。
「っ――」
息が止まる。
そこにいたのは――
終わりが見えないほど長い胴体。
月光を反射して鈍く光る、濃緑の鱗。
空気を裂くように揺れる二股の舌。
そして――闇を切り裂く、赤い捕食者の眼。
――巨大な蛇。
「シャアアァァァ!!!」
咆哮と同時に、巨体が弾けるように動いた。
速い。
反応が追いつかない。
「くっ!!」
トウマは咄嗟に右へ転がる。
直後、背後を何かが通り抜ける。
(避けた……!?)
そう思った瞬間――違和感。
妙に、左側が軽い。
「……なんだ?」
視線を落とす。
――そこに、あるはずのものが、ない。
「……は?」
一瞬、理解が追いつかなかった。
遅れて、視界の端が赤く弾ける。
「ああぁぁぁぁ!!!」
洞窟に、叫びが響き渡る。
トウマは肩口を押さえ、膝から崩れ落ちる。
痛みと熱が、頭の中を焼き尽くす。
呼吸が乱れ、視界が揺れる。
だが――
それでも、敵は待ってくれない。
月光を受けた鱗が、不気味に蠢く。
次の一撃が来る。
ーーートウマの意識は、闇へと沈んだ。
―――同刻、暗い森。大樹の下。
「ハァ……ハァ……ハァ……!」
ヒナは息を切らしながら、走り続けていた。
視界が揺れる。
足がもつれる。
それでも止まれない。
背後には――
無数の蛇が、地面を這い、迫っていた。
不規則に、だが確実に距離を詰めてくる。
大樹の周囲を何度も走り続けるうちに、蛇の群れは次第に一つの塊へとまとまっていく。
(……よし……!)
ヒナは足を止め、振り返る。
視界いっぱいに広がる蛇の群れ。
――ここ!
『大地の神よ、我が敵を貫け!ロック・エッジ!』
詠唱と同時に、地面が隆起する。
次の瞬間――
鋭く尖った岩が、一斉に突き上がった。
衝撃とともに、蛇の群れが大きく乱れる。
地面を叩く音が連続し、土煙が舞い上がる。
その一撃で、群れの三分の一ほどが動きを止めた。
「よし……!」
ヒナは拳を握る。
すぐに手光石へと触れる。
タチバナ・ヒナ
レベル:15
魔力:53 / 105
(上がった……!)
一気にレベルが上昇し、魔力の上限も増えている。
(これなら……使える!)
ヒナは空を仰ぎ、詠唱を紡ぐ。
『大地の神よ、我に神聖な力を――テラ・ディヴァウィング!』
橙色の光が、身体を包み込む。
次の瞬間――
背中から、二つの翼が現れた。
光で形作られた、神々しい翼。
ヒナは地面を蹴り、空へと舞い上がる。
まだ不安定な飛行。
まるで生まれたばかりの雛鳥のように、ぎこちなく。
それでも――確かに空へ。
「っ!……覚醒者!」
地上でそれを見上げながら、ユズハが目を細める。
「……油断したネ」
小さく息を吐く。
「今回は見逃してやるネ。けど――次はない」
遠ざかっていく橙色の光を見つめながら、そう呟く。
その表情には、もはや余裕はなかった。
――次は、確実に仕留める。
そう決めた者の、冷たい決意だけが残っていた。




