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五十五、これ それ あれ だれ

「ふ、不動……さん? あ、あの、君、何があった……の、かな?」



 いつもと異なり、嫌みや揶揄いを口にしにやって来る同級生がおらず、休憩時間を静かに過ごし。

 昼休みを知らせる鐘が鳴り、席を立った深月の元に、今度は担任教師が戸惑いの表情を浮かべて近づいてきた。


 普段のねっとりとした話し方は消え、只管に困惑し……同時に、深月に対する恐怖感を全面的に表す。



「……何か、とは?」

「い、いや、だって、あの……そんな、髪、染めちゃって。き、君って、そんな、子じゃ」

「別に髪染めたからって何ですか。そもそも、これは染めたんじゃなくて元に戻しただけです」



 前髪を一塞摘み、母譲りの本来の髪色を見せつける。

 幼少期。周りの誰よりも明るく目立ち、聞こえてきた〝声〟の対象となっていた茶髪。


 これまで黒く染めていたそれを、深月は思い切ってやめた。

 根本から変えるのではなく、塗っていただけ。周りに合わせるために、母を感じる要素を失くしたくなかったが故の行為だった。



「それで? 地毛で登校して何か問題でも?」

「い、いや、その……ぼ、僕はその、そういうの、いや、かなって。だってその、見た目、よく、ないし」

「あ?」

「ひぃっ!!」



 おどおどと目も合わせられなくなりながら、身勝手な感想を述べる担任に思わず低い声が出る。


 途端に担任教師は悲鳴を漏らして縮こまり、深月から一歩逃れる。

 戸惑いだけではない。過去の心的外傷(トラウマ)を刺激されたような、あからさまな怯えようだ。


 深月が見ていないだけで、周りの不良染みた外見の女子生徒には、このような態度だったのかもしれない。



「話はそれだけですか? ……行っていいなら退いてください」



 下らない……深月は胸中で吐き捨て、固まった担任教師の横を抜け、歩き出す。

 深月が離れると、担任教師は恐る恐るといった風に、やがて脱兎の勢いで走り、逃げ出した。


 深月は険しい顔で廊下を歩き、目的地に向けて進む。

 その途中、何人かの知った顔と擦れ違い、その度に驚愕と困惑、そして恐怖の視線を向けられ、距離を取られた。


 誰もが高圧的に、見下した視線を向けていた者達。

 嫉妬と侮蔑の視線を向けていた女子達からは、今度は悔恨の眼差しを

 色欲の視線を向けていた男子達からは、怯えの眼差しを。


 全く攻撃的でない、無害で嗜虐心を煽られる相手が豹変した事で、大勢の印象が一八〇度、丸々変化していた。



「……馬鹿みたい、私」



 ふと、自分自身に対して落胆を抱く。

 周りの視線が変化した事に対して、ではない。変化したと感じている自分自身に対して、だ。

 


 ()()の〝声〟は、本当に本物そのものといっていい程完璧な模倣だった。

 今や真実は定かではないが、あの時自分に向けられていた他人の視線を確かに代弁し、自分の心に突き立てていた。消極的な性格になったのは、間違いなく()()の所為であるのは間違いない。


 だが、あくまで偽物。勝手な想像で作り出された偽りの言葉。

 それを本物と認識していたのは、他ならぬ深月自身……周囲の全員を敵と認識していたのは、深月の方だった。


 自分はただ、あの〝声〟を理由に……人間関係が巧くいかない事を責任転嫁していただけだった。

 悪縁に取り囲まれた環境を、他人の所為にしていただけだった―――その事に気付き、自己嫌悪を覚えた。



 その時、視界の端に一人……長い付き合いのある知人の姿が入り込んだ。



「……深月」

「……樹希」



 手洗い場にいた、偽りの親友。

 昨日、見捨てるような別れ方になった所為か、深月を見る目はどこか遠慮を感じる。


 深月を呼び止めた彼女は、やや居心地悪そうに目を逸らし、小さく口を開いた。



「イメチェン、したんだ。すごいね、別人みたい」

「……うん。我慢してるの、何か急に馬鹿らしくなってね」

「そっか、そっか……うん、似合ってる、と、思うよ? なんか、こう……自然? な感じ」

「……そ、ありがと」



 素っ気ない調子で話し、ぎこちない沈黙が訪れると、手身近に礼の言葉を残して樹希の目の前を通り過ぎる。

 樹希は「あ…」と小さく声を漏らし、縋るように手を伸ばし……やがて諦めたように下げる。


 深月は振り向かず先を急ぎ……その途中で、自虐的な笑みを湛え、偽りの親友に一度だけ振り向いた。



「……また、今度話そうか。今日は先に行きたい所があるから」

「! う、うん」



 優しい声で話しかけられ、樹希は目を丸くしながら頷く。

 訝しむように目を見開いたまま、偽りの……いや、ただの知人は僅かに肩の荷が下りたような表情で、教室へと戻っていった。


 去っていく少女の背中を見送り、深月は前へ向き直る。

 その際、前方から向かってくる二人組―――烏丸とその取り巻きの姿を視界に捉え、微かに身を強張らせた。



「…! ちっ……」



 足に包帯を巻き、ぎこちなく歩く烏丸は深月に気付くと小さく舌打ちをこぼし、睨みつけてくる。


 息を呑み、震えそうになる深月だが、静かに深く息を吸い込み、歩き出す。

 顔を上げ、胸を張り、誰も視界に入っていないような素振りで廊下を進み……そのまま一言も発さず、烏丸の隣を通り過ぎる。


 眼中にない、そんな風に捉えたらしい烏丸がより険しい顔になるも、深月は一切反応しない。


 深月と烏丸はそのまま何事もなく、声もなく擦れ違い、距離を離した。

 遠ざかっていく相手の背中から「ちっ」と再度舌打ちが聞こえたが、それにも気づかない振りをし、さっさとその場を後にする。


 かつ、かつ……と足音が遠く聞こえなくなってから、ようやく深月は止めていた息を吐き出し、胸を押さえて天井を仰いだ。



「……さよなら、弱虫の私」



 緊張感が抜け、何とも言えない清々しい気分を味わいながら。

 深月はやや軽い足取りで、裏庭に向けて階段を駆け下りていった。

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