了、ひらいた ひらいた あすのとびら ひらいた
いつもの場所に、彼はいた。
握り飯を口に咥え、じろりと横目を向けてくる。
そこに、拒絶の意は感じられない。すっと目が細められ、溜息を吐く音が微かに聞こえたものの、結局何も言わずに目を逸らされる。
深月が隣に腰を下ろしても、やはり何も言われなかった……好きにしろ、とでも言うように。
「……昨日は、ありがとう」
「君の為にやったなんて一言も言ってないけど」
「それでもよ。色々、これまでの苦痛とか人間観とか、本当に色々なものがひっくり返る……衝撃的すぎる夜だったけど、助かった、って言うのは、間違いないと思うから」
「ふぅん」
ぺこり、と頭を下げるが、相変わらず環は興味がなさそうに、もぐもぐと握り飯を咀嚼するのみ。
こんな反応の薄さなどわかりきっていた深月はくすっと微笑みを浮かべ、手にした自分の弁当の包みを開く。露わになった箱を開け、母のお手製の昼食に箸を向ける。
彩り豊かなおかずから、梅干しの乗った白米。
栄養を考えて作られた、美味なる昼食を見る見るうちに平らげていると、ふと、少年の方から視線を感じた。
「……何か」
まさか、環の方から興味を?
唐突な相手の変化にぎょっと目を見開き、箸を止めて振り向いた深月だったが……環は相変わらず握り飯を頬張っている。
視線を下げると、少しだけ開かれた環の鞄の開け口に見えた六つの目とぶつかり、やや気恥ずかしげに頬を掻いた。
「……えっと、髪、変えたの。どう、かな」
「さぁ? 元に戻して君が気に入ってるんなら、それでいいんじゃない。僕に言われても困るけど」
「……知ってたんだ。染めてた事」
「見た目にちょっと違和感があったからね」
「……そっか」
驚かせたかったわけではないが、ここまで反応が薄いとどうにも脱力してしまう。
はぁ、と小さく溜息を吐く深月にーーー突如、環がじろりと横目を向け、食事の手を止めて口を開いた。
「前みたいに無理した格好よりはいいんじゃない? ……少なくとも、見てて不快だとは思わないよ」
深月ははたと硬直し、そして環に振り向き言葉を失くす。
初めて、そう、初めてだ。環の方から話しかけられたのは。
それも、深月の変貌に賞賛というか、肯定というか、素直に存在を認め評価する言葉を投げかけてくるという事態。
ぽかん、と口を開けて呆然となる深月。環の鞄がごそごそと動く気配がしてようやく我に返り、やがてほっと安堵の笑みを浮かべる。
「……環くんは、えっと、人間じゃなくなったわけ、だよね」
「厳密に言えば、人間でないものに変質した、っていう感じかな。まぁ、まだどっちつかずの曖昧な状態だと思うけど、少なくとももう人ではないよ」
「神様……って、昨日の夜は名乗ってなかった?」
「あくまで願望かな。力を私利私欲に使ったりしたら魔物とか化け物の類になるかもしれないし……昨日のあれは、まぁ、他人に迷惑かける輩だったし、微妙なところかも」
環の呟きで、思い返される光景。
自分の体質……そう思い込んでいたものの正体が明らかとなり、その元凶が明らかとなり、さらなる異能によって消え去った。
誰が悪いかと問われれば答えは明らかで、理不尽なまでのとばっちりであったものの。
ーーー切っ掛けは確かに自分であり、自分に対する想いから起こった一件であったのは確かだ。
「……環君が、本当に神様になったら、その、どうなるの、かな。見えなくなったり、名前が付いたり……」
「さぁ、知らない。大昔になった人もいるけど、死後に祀られたからだし……まぁ、じいちゃんにもらったこの名前があるし、そのままなんじゃない?」
どうでもよさそうに、興味など微塵もなさそうに、環は告げる。
人でなくなる事にも未練を抱かず、なるようになれと考える事を放棄し……彼のままで、彼らしくあり続ける。
深月は苦笑を浮かべ、瞬く間に空にした弁当箱を脇に置き、体ごと環に向き直った。
「なら、御堂環君。私はその名前を、ずっと忘れず覚えておくよ。ずっと……この命が尽きるまで」
深月が真剣な眼差しと共に告げると、環は「は?」と……見た事がないほど唖然と、呆れた様子で眉間にしわを寄せて振り向く。
声に出さずとも、何を言っているんだ君は、という感情がありありと表れており、珍しいものが見れた、深月は得意げに胸を張って宣言を続ける。
「私はただの人間で……何の力もないけど、あなたを忘れずにい続ける事はできる。あなたも、彼女も」
「何言ってんの、君」
「縁を尽く切り離したあなたはきっと、いつか消えてしまう。彼女もきっと……私が忘れたら消えてしまう。だから……忘れないよ、私が生きている限り」
本気で何を言っているのか、と顔を顰めていた環は、やがて何かに思い至ったのか、自分の鞄に……その中身に鋭い視線を向け始める。
びくっ、と震える彼の鞄に微笑みかけ、深月はさらに続けて告げる。
「あなたがこの世に留まれるよう、私があなたの……あなた達の楔になる。余計なお世話かもしれないけどーーーそれが私にできる、せめてもの恩返しだと、そう、思うから」
徐々に、戸惑いの表情を浮かべ始める少年に、深月は真っ直ぐに彼の目を見つめて語りかける。嘘、偽りなど微塵もなく……心からの言葉で。
「私は死ぬまでーーーあなた達を忘れない。忘れさせない」
じっ、と揺らぐ事のない眼差しで、言い切る深月。
環もまた身動ぎ一つせず、唐突な、理想や絵空事としか言いようのない告白をした少女を見つめ返す。
しばらくの間見つめ合い……先に逸らしたのは、環の方だった。
「……そう」
「「「深月は〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!!」」」
どうでもいい、と相変わらずの無表情で顔を背けた時。
環の鞄ががばっ、と開いて鎌鼬達が泣きながら飛び出し、深月の体に巻きつきすりすりと頭を擦り付け始める。感謝の意を全身で示しているようだ。
深月は突然の事に驚きつつ、やがて満面の笑みを浮かべ、逆に鎌鼬達を愛で始める。顔もあっという間にだらしなく緩んでいく。
突拍子も無い自分の申し出が受け入れられた事に心から安堵し、胸の内で改めて誓いを立てていた。
忘れない。彼らを記憶に留めーーー死ぬまで生かし続ける。そう心に決める。
そんな少女と妖達を、少年は無言で眺めていた。
相変わらず眉尻一つ動かさず、一切の感情を表に出す事なく、ただ無言で佇んでいた。
その時ふと、少年の視界にーーー一本の糸が映る。
少年と妖達を繋ぐものに混じり、細く儚い、簡単に切れそうな一本の縁が……少年と少女の間に繋がっている。
少年はしばらくの間それを眺め、やがて片手で作った鋏の間に挟もうとして……刃を閉じる事なく、手元に戻す。
見なかった事にするように澄ました顔で、残る握り飯に視線を戻し、やや乱暴な仕草でそれを頬張る。何かの思いを、振り払うように。
自分の手を止めたものが何なのか……何となく、もやもやとしたものを感じながら。
「…………あ、そうだ。一個だけ言っとく事があったんだった」
「え?」
ややあってから、少年は少女と妖達に声を上げる。
何事か、と一斉に振り向き見つめ返してくる深月達に、環は普段通りの無表情で問いかけた。
「君、名前なんだっけ」
「そこから!?」
「「「いや散々呼ばれとったのに覚えてないんかいっ!?」」」
終




