五十、どうでもいいおばけ
深月はただ、困惑していた。
環に襲い掛かろうとした此花が、唐突に姿を消した。
どこかに去ったという意味ではない、最初から何もなかったかのように、本当に消えてしまったのだ。
「……あ、あの、本当に、何が、どうなって……?」
答えを求めて、傍らのぬらりひょんや、足元に集う鎌鼬達に視線を向けるが。
全員、顔を手で覆うだけで、何も答えてくれない。
「……やってもうた。あかん、あかんやろ、環はん……その道を選んだら、あかんやろ……!」
斬から漏れた苦悶の呟きが、静かな街中に響く。
ぬらりひょんもまた、深い深い溜息をこぼし、やがて無言で佇む孫に視線を戻す。
痛々しく、憂いを帯びたその眼差しで環を……何かをしてのけた後だという事は確実にわかる彼を、じっと悲し気に凝視した。
「……それで、よかったのか。環」
「うん。いいよ、別に」
感情を押し殺した重苦しい声に、環はいつも通りの調子で応える。
家族が悔やみ、嘆く何かを行ったのに、何も感じていない様子の彼に、ぬらりひょんは小さく「そうか…」と呟き、やがて踵を返した。
「ならば、もう何も言わん……元々、儂らの勝手なえごだ。好きに、在ればいい」
「うん、そのつもりだよ」
「……できるなら、こんな事にはならず、何事もなく、生きてほしかった」
「うん、わかってる―――だけど多分、無理なんだよ、僕には。だって、結果がそう示しちゃってるから」
「……そうか。そう、かもな」
肩を落とし、落ち込んだ様子でよろよろと去っていくぬらりひょんを見つめ続け。
ようやく、ほんの少しであるが、環の表情が歪んで見えた。
「余計な…! 余計な事しかせぇへんやんか、あの餓鬼…!」
「せっかく、せっかく環はんを繋ぎとめてくれそうな子ぉ、見つけたのに……何でや、何で」
「もう、あかん、手遅れや……環はんは、もう」
深月には相変わらず、何が起こったのか、彼が何を決断したのか、まるでわからない。
だが何となく、彼が引き返せない大きな選択をしたのだという事は。
―――自分を、自分を求め狂った彼女を切っ掛けに、そうするに至ったのだという事だけは、察せられた。
「あ、あの……!」
「……ええんや、深月はん。あんたは何も気にせんでええ」
何かを言わなければ。そう思い、とにかく呼び止めようとした深月。
それを、転が自分の尾を深月の腕に引っ掛け、止める。振り向いた深月に、転は痛ましげな表情で首を横に振った。
言葉にできない圧、拒絶のようなものを感じ、押し黙りそうになる深月だったが……納得はできなかった。
「……環君は、何を、切ったん、ですか」
「……全部や」
はぁ、と深い深い溜息を吐き、項垂れ、全身で悲しみを表して。
転も斬も治も、平然とそこに立ち、欠伸をこぼす少年を見上げて顔を歪める。
「あの嬢ちゃんをこの世に繋いどった縁を……全部切ってもうたんや」
「あの嬢ちゃんはもう、この世の誰にも気づかれへん。姿も見えんし、声も聞こえん。それどころか……誰もあの嬢ちゃんの事を覚えとおらんやろうな」
「縁を、悪縁やろうが良縁やろうが関係なしに、根刮ぎ切り離してしもたんや……もうあの子は、何とも繋がれへんようになってもうた」
「……それ、って」
説明されても、うまく理解できない。いや、理解する事を脳が、心が拒んでいる気がする。
さっ、と深月は全身から血の気が引くのを感じながら。
しかし深月は、悲痛な顔で俯き、視線を地に落とす鎌鼬達が口にする結論を聞かされる他になかった。
「自分が死ぬまでずっと……たった一人で、この世を彷徨い続けるしかない。食う事もできんやろから、遠からず先に逝くやろけどな」
ひゅ、と息を呑み、次いで環を凝視する。
それは一体、どれだけ恐ろしく残酷な最期であろうか。
己の人外の力を振るい、他者を長い年月をかけて孤独にさせようとした末路が、全てを犠牲にして欲した者にすら認識されず、本当に一人ぼっちで消え去るという終わりなど。
深月が味わった苦しみさえ、その罪過には遠く及ばない些細なものに感じる。
「……寿命をそのままにしたんは、慈悲か」
「ん? いや、魂が転生もせずに何時までも残り続けてたら、流石にあの人達に迷惑かかるだろ。慈悲とか、何言ってんの」
微かな希望を頼りにするように、恐る恐る尋ねた転。
その問いに、環は不思議そうに首を傾げ、呆れたように溜息を吐く。
心底、一人の人間を完全に闇に葬った事を悔やみも悲しみもせず、どうでもよさそうに振る舞う少年に、鎌鼬達は縋るような響きを持ってもう一度問う。
「ほんまにそれでよかったんか? 環はん……生きとる人間の縁を切るんは信条に反するって……それをしたら人間やなくなるって、わかっとったやろ? 人間のまま死ぬんやなかったんか……!?」
「うん。だって、迷う事でも躊躇う事でもないし。我慢する必要もないでしょ?」
くすっ、と。
環の口角が僅かに上がり、柔らかい声が返される。
それは、自身の家族にのみ向けられる……それ以外には決して見せられるものではない、少年の心からの想いが篭った笑みだった。
「僕は君達、家族と一緒にいられればいい―――それ以外は、心底どうでもいいよ」
少年の目に、映るものは家族以外に何もない。
その家族のすぐ側に立つ深月でさえ、視界に入れられていない……相対する深月には、それがはっきりとわかった。
目を見開き、真面な呼吸もできなくなった深月は。
それ以降、自分に一言も言葉をかける事なく去っていく少年を見送る事しかできなかった。
何一つ、返せる言葉も見つからず。
ただ、遠ざかる背中を見つめる事しか、できないでいた。




