五十一、さよならのかたち
「……すみません、でした」
事が終わってから、しばらく無言が続いた。
環が姿を消しても動けずにいた深月に、最初に我に返った斬が呼びかけ、帰路に就かせた。
とぼとぼと重い足取りで歩いていた深月が不意に呟き、鎌鼬達は深月の足元に寄り添いつつ、その言葉に首を横に振る。
「何も謝る事はない……謝らなあかんのは、わいらの方や」
「困った頼み事してしもたからなぁ……ほんまに、すまんな」
「……でも、私、何も」
「ええんやって、それで深月さんを困らせたら本末転倒や。何も関係なかった深月はんに勝手に期待して、押し付けたわいらが悪いんよ」
肩身を縮こまらせ、項垂れる深月に鎌鼬達は口々に慰めの言葉を送る。
誰一人、深月を責めない、咎めない。何ができるかと悩むばかりで、恩も返せず、ただ助けられてばかりだった深月は、むしろその優しさが苦しかった。
「……深月はん。もう、無理してわいらに付き合う必要ないで」
「……ああ、その必要も、無うなったからな」
「で、でも」
悲痛な表情で目を逸らす鎌鼬達。
可愛らしい顔が目に見えて落ち込んでいて、もういいと言われても、深月には知らん顔などできない。
無関係だったのだから、と言われても……ここまで関わりを持ち、互いの事情に巻き込んだ以上、何もなかったかの様に繋がりを絶つ事ができるとも思えなかった。
「……あの、何でそんなに、環君が人間でなくなる事を、その、恐れて」
ふと、浮かんだ疑問を深月は鎌鼬達に投げかけた。
人が人でなくなる事は、確かに大変な事態かもしれない。だが、元から特殊な力を持っていた環がそうなったとして……何が変わるのか。
鎌鼬達は言いづらそうに口を噤んでいたが……やがて、観念した様に語り出した。
「……なぁ、深月はん。前に妖の始まりについて話したん……覚えとるか?」
「は、はい」
「始まりは単純や、想像したらそこにわいらは居る。せやったら……妖の終わりは何やと思う?」
問い返され、深月は答えに窮した。
始まりは、人が不思議や闇を畏れ想像した瞬間。ならば終わりは何か……やはり、想像もできない。
黙り込む深月に、転が溜息混じりに答えを告げた。
「お化けは死なん、病気もならん。その通りや……妖の最期はただ、消えるだけや」
深月は思わず、首を傾げた。
消える、とはどういう事か。
命が、意識が、魂が消えるという意味だろうか。生きていた人間がその場からいなくなるという意味なら……ごく普通の人や生物の死と同じように感じられる。
ならば、妖怪もいつかは死ぬという事になるまいか。
「矛盾、してませんか…?」
「しとらんよ。死ぬんと消えるんは違う……死んだら骸が残って土に還る。そんで、いつか別の命に代わる……輪廻転生言う奴や」
「せやけどな……消えたらそのまんまや。何にもならんし、何にも残さん」
何となく薄ら寒い気分になって、深月は自分の二の腕をさすり、息を呑む。構わず転は、自分達に課せられた運命について、淡々と、諦めたように語り続ける。
「人間さんは大半が生まれ変わりとか、信じとるやろ。それはまぁ、合っとる」
「天国とか地獄とかは今はややこしいからおいといて、死後いうもんは、確かに存在しとる。曖昧な世界やけど、生き物にはそういう仕組みがきちんとできとる」
「……せやけどな、わいら妖はその仕組みの中に入っとらへんねん。親がいて子がいて、生まれて生きて死ぬ。そんで生まれ変わる……誰にも決められとらん、いつの間にかできとる輪廻。ごく当たり前にあんたらが入っとるそれに、わいらには含まれてないんよ」
切なげに、苦しげに、妖達がこぼす。
生物として当たり前に持っているものを持たない、持てないーーーそれがどんなに悲しく、虚しいものか。
深月はそれを想像するどころか、聞く他にない。それ以外にできる事がなかった。
「わいらは常に、人間さんの存在が必要不可欠や。人間に想像されな生まれへんし、存在もせぇへん。せやから……人間さんに忘れられた時点で、わいらも消える」
「っ……!?」
「わいらを殺すんは、寿命でも怪我でも病気でもない」
絶句する深月に、妖達はどこか、吐き捨てるような風に告げた。
「ーーー〝忘却〟や。人間さんに忘れられる事そのものが、わいらを殺すんや」
足が凍りついたように動かなくなり、深月は立ち止まる。
体の芯から冷え切ったような気分に陥り、勝手に妖達から距離を取ってしまう。
その姿に、鎌鼬達も立ち止まり、やはり感じてしまうのだろう落胆の混じった嘆息をこぼす。
「せやからわいらはーーー環はんには妖にも神さんにもなって欲しくなかったんよ。誰にも覚えられとらん、人との縁を切ってしもうた今の環はんは……きっといつか、跡形もなく消えてまうから」
「……神様も、ですか」
「ああ、名が忘れられ、消えてった小さな神さんもようけおる。根底は同じやからな」
じ、と深月を見つめ、何度も逸らし溜息を吐く三体。
力がありながら、簡単な行為で……いや、何もされない、無関心となる事で容易く消え去ってしまう儚い存在。
今、目の前で話す相手がそうなのだと告げられ、深月はただ立ち尽くすばかりだった。
「そうなる前に、あんたに楔になって欲しかったんよ。あいつをこの世に留めておいてくれる……楔に」
「転さん……斬さん、治さん」
「わいらの我儘、ただのえごや。本人は望んどらん……でもな、わいらがあいつの幸せを望むんなら、こうしておきたかったんよ」
「いつか忘れられるわいらにできる、数少ないお節介なんよ」
不意に、治の表情が変わる。嘆き悲しむ表情から、嘆き苛立つ険しいものに、この場にいないだれかに対する不満のこもった顔で、荒々しい息を吐き出す。
「まぁ、悲しんどるのはわいらみたいな少数派や。他のもんは実を言うと、環はんが人間やなくなる事を待っとる……多分、この後は大喜びするやろな」
「……どうして、ですか」
「妖の大半が……人間さんが嫌いやからや」
は、と咄嗟に深月の口から困惑の声が漏れる。
人に、深月に対し最初から今までずっと親しげに関わってきていた彼らが放ったとは思えない言葉に、呆然と目も口も開けて固まってしまう。
「生んだ責任も取らん、そもそも生み出してる事も知らん。想像して、作り出したらほったらかしや」
「そんで産んだくせにすっかり忘れて、消してしまいよる。無責任な上、賢しなってわいらの存在を真っ向から否定しよる……そんな人間さんを嫌う奴らがようけおるんや」
「わいらはそこまでやない……まぁ、多少ましな程度やけどな」
何も言えない深月は、ふと思い出す。
あの街で、万屋で、環にべったりと張り付いていた白い女性……雪女の雪那。
やたらと深月に攻撃的であった気がしたが、もしかするとそういう理由があったからだろうか。
別の理由もあった気がするが、妖達の自分に対する意識は、何となくわかった。
「せやから、最初に疑っとったんよ。深月はんの力、体質について……わいらは元々人間が嫌いやから。聞こえるはずなんよ、深月はんの言う悪意の〝声〟が」
そんな言葉を返されて、結局最後の最後まで何も分からず、何もできぬままだった深月は。
己の無力さに、虚しさを抱きながら、立ち尽くす他になかったのだった。




