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四十六、さとり さとらせ

 小さな体で猫背になり、肩身を狭め、より小さく見えていた少女、此花。

 下から不安げな顔で見上げるばかりであった彼女は、ふっと表情を消し去ると、鬱陶しそうに顔を歪めて髪を搔き上げる。


 外見に変わりはない。だが、表情と態度、姿勢を変えただけで、少女はまるで別人のように豹変していた。



「……あんた、マジで何なの? この間から()()()()()の周りでうろちょろして、あたしの邪魔ばっかして。うざいんだけど」



 放たれる声も、か細く消え入りそうなものではなくなり、堂々とした……というよりも、不遜で傲慢な敵意に満ちたものに変じている。


 別人のよう、ではない。

 これはもう、深月が以前に見た此花とは全く異なる人間……いや、存在であった。



「邪魔って言われても、困るんだけど。この関わりはあの子の方から寄ってくるからで、僕から何かした事は一度もないよ」

「はっ、あんたの事なんかどうでもいいし! 深月ちゃんの近くにいるだけで邪魔なんだよ! あたしが何年も何年もかけて独りにしてきたのに、あたしの努力全部無茶苦茶にするような真似しやがって! ふざけんなよ、陰気野郎が!!」



 口を開けば唾が飛び、想像もできないほど荒々しく、悪意のこもった罵声が飛び出す。

 小動物が威嚇するような可愛らしいものではない。獰猛な獣が獲物を前に脅しつけるような、逃げ場をなくし甚振ろうとするような威圧感がある。


 もっとも、環がそれに臆する素振りは一切見受けられなかったが。



「十年! 十年も準備してきたのに! 初めて出会った時からずっと、ずっと! 他の全部を費やして頑張ってきたのに! あんたの所為で全部台無しになるじゃないのよ!!」

「……それを僕に言われてもね」

「うるさい! 黙れ! お前の所為だ! お前が全部悪いんだ!!」



 終始面倒臭そうに肩を竦める環に対し、此花はかっと目を吊り上げて吠える。喚く。罵る。

 だんだんと道路で地団駄を踏み、辺りの民家に遠慮する事なく大声を撒き散らす。甲高い声は騒音と大差なかったが、本人が止まる気配は微塵もない。



 自らが積み重ねてきた()()を台無しにされた……その怒りで、憎しみで、少女はこれほどまでに荒れ狂っている。



「……どういう、こと」



 深月は困惑し、少女を凝視する。

 何を言っているのかまるで理解はできないが、彼女は自分に対して何か仕掛けていた事はなんとなくわかった。


 関係性は薄い。

 烏丸という明確な〝敵〟の行いを詫びてきた、気の弱そうな無害な腰巾着……その程度の認識。


 十年も関わりがあったと突然言われても、思い出すどころか全く信じられない。



「あの子は……私に、何をしてきたの」



 本人達に聞こえないよう小さく、自身に確かめるよう呟く。

 本当に知らないのか、覚えていないだけか、そのどちらかも定かではない。情報があまりに少なすぎて、考える事もままならない。


 どきどきと煩く騒ぎ出す心臓に手を当て、深月は息を呑みつつ、自身を落ち着かせる。


 何か、自分に纏わる事実が、これまでの自分の価値観や思考をひっくり返すほどの決定的な真実が明らかになるーーーそんな気がした。





「……まぁ、よく続けられたもんだよね。他人の心の声を偽って一人に聞かせ続けるなんて事」





 溜息交じりに、環がそう言う……深月はその言葉に、呼吸が止まる。

 少年の発言を耳にした途端、脳も、肺も、心臓も、自分の全てが凍りついた気がした。



「はっ……なんでそれがわかんの? 気持ち悪いんだけど。え、何? 深月ちゃんに伝えてる声全部、あんたも聞いてたってわけ? きも! きんも! 変態かよくそが!」

「……君に言われたくないんだけど」

「あぁ? うっせぇし、どうでもいいモブが関わんなっつってんだろ。気持ち悪いブ男のくせに、深月ちゃんの近くにいるだけで吐き気すんだよ、かす!」



 一言発すれば、何十倍もの長さで綴られる悪態。声を出すだけで此花は苛立つようで、舌打ちを何度もこぼし地面を蹴りつける。

 本人がすぐ近くで聞いているとも知らず……環がちらりと横目を向け、面倒臭そうに天を仰ぐ姿も見ず、少女は悍ましい本性を晒し続ける。


 そんな彼女に向けて、環は虚ろな目に仄暗い火を灯し、告げた。



「大した演技力だよね。彼女がすれ違う、対面する人間全ての声を真似て聞かせるなんて。その時相手が浮かべる表情や動作、状況も要素に入れて、何の違和感もないように内容を合わせて……どんだけそれを続けたらできるわけ?」

「だから言ってんだろ……十年って! 物覚え悪いのか猿が」

「十年それを続ける気力も脱帽だよ……そこまでして、彼女に対して何を求めてるのかはどうでもいいけど、その〝力〟は本気で恐ろしいね」



 本当に恐れているのか、一切表情筋を動かさないまま、嘆息しつつ環は呟く。

 ただ、脅威とは思っているようで、荒ぶる少女を讃えるような物言いで、この場に身を潜める誰かに聞かせるように、いつもより大きな声で語ってみせる。



(さとり)の逆……自分の声を他人に届ける、それが君の得た〝力〟ってわけだ」



 ーーーその〝声〟を聞いた者は、まるで他人が自分に対して抱いている本音を聞き取る能力を持っているかのように錯覚する……そういう風に誘導する。


 実際にそんな事を思っていようといまいと、誰しも当たり前に抱く微かな悪感情だろうと、ほんの少しの煩悩だろうと。

 全てが自分を害するどす黒い悪意に変換して、容赦無く脳内に直接届ける……そんな〝力〟だ。



 環の語る真実を知って、その瞬間。


 深月の耳に、世界が壊れる音が聞こえたーーーそんな気がした。

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