四十三、おわり はじまり
「―――竜田揚げ定食のお客様、お待たせしました!」
いつもの倍は忙しい店内で、深月は料理を両手に持って奔走していた。
前掛けを付けて髪を纏め。
次々にやって来る客を席に案内し、注文を取り、大半を母に頼んで付け合わせなどは自分で作り、できた料理を運び、食べ終わった客の勘定をし、席を片付け、また新しい客を案内する。
繰り返される作業が、今日は非常に忙しない。
理由は言わずもがな……母が一時的に店を閉めて来たからだ。
「深月ちゃん、事故が起こったって聞いたけど大丈夫? 怪我とかしてない?」
「は、はい! 大丈夫です、ご心配をおかけしました」
「登紀子さんが偉い剣幕で走ってったから不安だったけど……早とちりだったんだみたいだな。よかったよかった」
「見た事ないくらい取り乱してたもんなぁ」
常連の客達がそう言って、口々に深月を案じる言葉をかけてくる。
それに深月が返事をし、五体満足である事を示すと、全員がほっと安堵の表情を浮かべる。こうしたやり取りを、深月はもう何度も繰り返していた。
いつもは開いている時間帯に来たお客が事情を知り、無事を確かめるついでに食事に来た、そういう流れで大勢が一斉に集まってきたのだ。
……と、娘と常連達が話している所に、厨房から顔を出した母が、頬を染めて睨みつける。
「…何言ってるんですか! 私の娘の通う学校で事故だ~、なんて源さんが言うから慌てたんじゃないですか!」
「うっ……そりゃ、言い方間違えたのは悪かったよ。でも流石にそりゃ冤罪だよ」
「登紀子さんもちょっとばかし逸っちまったな」
「そういうときは昔と変わらんな。なんか騒ぎが起こると慌てちまって、突っ走っちまうんだもの。俺達ゃ見てて冷や冷やしたよ」
「も、もう…! やめてくださいよ!」
目を吊り上げ、しかし少女らしく赤い顔で吠える登紀子に、常連たちが声を上げて笑う。
祖父の代から通う者達、そして母より少し年上の者達が懐かしむ姿を横目に見ながら、深月は足早に他の客達の対応に向かう。
「すみません、こちら、お冷とお絞りです。ご注文が決まりましたらまた及び下さい―――あ、すみません。豆腐ハンバーグ定食は品切れとなっていまして……あ、チキン南蛮定食に。かしこまりました―――お会計はこちらでお願いいたします。はい、一二〇〇円です。丁度ですね、お預かりします。本日もご来店、ありがとうございました」
常に客の相手をし、口を休める暇もない。
相手が常連ばかりなら、多少間違えたとしても笑って済ませてもらえるが……時折訪れる新規の客の前で失態は見せられない。常に気を張り続け、深月は疲労困憊になっていた。
「―――ふぅ……」
「ごめんね、深月。お母さんの早とちりの所為で、こんな事になっちゃって」
「え? あ、う、ううん? 大丈夫だよ……学校でも言ったけど、元はといえば、私がちゃんと電話でもなんでもすればよかったんだし」
空になった食器を流し台に持っていくと、中華鍋を振るっていた母が申し訳なさそうに頭を下げてくる。
なかなか減らない客の出入。深月が疲れ切った表情を見せる度にそう謝ってくる母に、慌てて表情を取り繕い、首を横に振る。
それだけ心配させたのだと、内心で自分自身の迂闊さを責める。
――そう、自分に油断があった所為だ。
どれだけ性根が腐った人間であろうと、あそこまで堕ちた行動に出る者が自分の前に現れるはずがない、そういうふうに思っていた自分の落ち度だ。
もしかすると……二度と母の前に帰って来られなくなっていたかもしれないのだ。
深月はまた騒がしくなり始めた自分の心臓の前に手を当てつつ、ちらりと視線を横に向ける。
店の隅の席……そこに着く、長い後頭部の老人とごく普通の少年、そして見慣れぬ三つ子らしき男子達。
老人と少年は、最早見慣れた祖父と孫。残る三人組は……見た目は大きく異なれど、明らかに自分が知っているあの三人組だ。直感で、そうだとわかった。
「……化けられるんだ、人に」
「ん? あぁ、あの子、約束通り来てくれたのねぇ……しっかりね、深月♪」
「……いや、だから、そういうんじゃないって」
じっと厨房から環達の方を覗き込んでいると、勘違いをした母が意味深に笑いながら肩を叩いてくる。
何度も説明しようとして……ならばどういう関係なのか、巧く言葉にできず結局黙り込んでしまう。
彼とは、彼らとはどんな仲なのか。自分でもわからない奇妙な繋がりに、深月は渋い表情で黙り込む。
……これまでも、この先も。
彼とどのように接していけばいいのか、何度も助けられてばかりの深月には、答えが見出せなかった。
「……私、どうしたいんだろ」
「深月! これ、肉うどんのお客様に持ってって」
「え、あ、うん!」
悩み、悶々とした思いを抱えたまま、深月は母に盆ごと料理を渡されてはっと振り向く。
今は考えている暇はない。忙しいのに止まっている場合ではない。
慌てて料理を受け取ろうとして……だが、客の対応を続けて疲れ切り、集中力が鈍ったのか。あるいは手に力が入りきらなかったのか。
つるり、と。
深月の手からうどんの器が滑り落ち―――がしゃん、とけたたましい音が辺りに響き渡った。
「ちょ、深月!?」
「……! ご、ごめん!」
咄嗟に反応できず、床に落ちて散乱した肉うどん。
大きな音と自分の失態で凍り付いた深月は、母に叱責されて我に返り、すぐさましゃがんで破片とうどんの残骸を拾い出す。母も同じく片付けに入った。
「もう、何やってるのよ。こんな時にぼーっとしてちゃ駄目でしょ……忙しくて疲れたのはわかるけど」
「ご、ごめん。本当に……ごめん」
せっかくの母の料理を無駄にしてしまった。客を待たせ、母に負担をかけさせてしまった。
申し訳なくて、強張った表情で俯き、破片を拾い掌に乗せていく。その際に尖った先端で指先を切り、血が流れて思わず手が止まる。
何とも言えない切なさで、深いため息がこぼれた……その瞬間だった。
【―――はぁ、肝心な時に駄目ね……やっぱり、あの駄目夫の娘なだけはあるか】
この世で最も安心できる声で、そんな冷たい言葉が聞こえた。




