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四十二、うら おもて

「か、母さん……!?」

「あぁ、よかった〜! 学校で事故が起こったって聞いたからすごく心配になって……よかった、本当によかった…!」



 目尻に涙を溜めながら、心底安堵する様子を見せ、娘を抱きしめ話さない母。

 深月は混乱しながら、登紀子の豊かな胸によって窒息しないよう顔を上げる。あまりに必死さに、何もしていないのに申し訳なさが募る。



「母さん……お店はどうしたの?」

「臨時休業って事にしたわ。お客さんが事故について教えてくれてね……行かなきゃって思ったら、みんな気にしなくていいよって言ってくれてね。あぁ、よかった巻き込まれてなくて!」

「……う、うん」



 心底安堵している登紀子から、深月は気不味さから目を逸らす……本当は何が起こったかを知ったら、きっと母は卒倒するだろう。


 幸い、環がまた制服を元通りにしてくれた……事件への自分の関連性を残さない為だろうが……ので、事故の被害者に襲われた事実を知る事はあるまい。

 この真実は墓場まで持って行こう、そう心に決めて、未だ離してくれない母の背中を優しく撫でさすった。



「……ごめん、もっと早く帰ったり、電話なりして安心させてあげればよかった」

「無事ならそれでいいのよ。…でも何かあったの?」

「えっ」



 無事を安堵されていたところに、いきなり投げ込まれてきた核心をつく問いに、深月はびしりと凍りつく。


 帰りが遅くなった理由? 同級生に嫌がらせを受けているからだ。

 電話をかけられなかった理由? 大勢で襲われて身動きが取れなくなっていたからだ。

 話せる事情が一つもない……どちらを話すにせよ、母に心配をかけさせまいと努めてきた自分のこれまでの我慢が全て水の泡となる。


 どうすれば、と母の胸の中で慌てふためいていると。



「……………………すみません。僕が長い事呼び止めてしまったからです」



 それまでじっと、置物の様に沈黙していた環が登紀子に話しかけ、弁明を始める。

 思わぬ助太刀に、深月はぎょっと目を見開き少年の方に振り向き……何も言うなと言わんばかりに鋭い目で見据えられ、黙り込む。



「どうも、昨日は僕の家族が急なお誘いをして大変失礼いたしました。転は僕の兄弟みたいな者で、高校に入って初めてできた知り合いだと浮かれて気を逸らせてしまいまして。お嬢さんにも戸惑わせてしまった様で、申し訳ありません」

「あら、転君の? いやですわ、こちらこそ深月がお世話になって!」

「いえいえ、僕も似た様なものでして。お嬢さんにはこちらこそ助けられております。お呼び止めしたのも、お母様のお店にまたいずれお伺いさせていただこうと思っていたので、御都合のいい日を教えていただこうと思っていた次第でして……」

「そうでしたかそうでしたか……それはもう、ご贔屓にしていただけて嬉しい限りです! それはもう、いつだって来てくださって構いませんわ」

「大変嬉しいお言葉です」



 深月の脳内は疑問符で一杯になる。

 これは誰だ。誰が環の顔をして母と親しげに話しているのだ。普段と別人に見えるほど穏やかで礼儀正しい態度に、開いた口が塞がらなくなる。



「み、御堂……君?」

「ーーー君の革靴、裏庭の隅に捨てられてたから。あとで拾いに行けば」



 困惑気味に環の名を呼ぶと……一瞬でいつもの気怠げな雰囲気に戻った彼が、母に聞こえない様な小さな声で告げる。


 はっ、と息を飲む深月を放置し、環は登紀子に向き直ってにこやかに首を垂れる。やはり、誰だお前は。



「僕の軽率な行為の所為で大変なご迷惑をおかけしました。お許しいただけるのでしたらまたお店の方をご利用させていただきたいのですが……」

「いいのよいいのよ! いつでも来てね! まぁ〜こんないい子が友達なんて、深月ったらほんと、何にも言ってくれないんだから」



 にこにこと上機嫌に笑い、環の話を聞いていた登紀子。

 そんな母は、不意にくるりと娘の方へ振り向き、がっしりと両肩を掴んで顔を近づけてきた。



「……絶対手放しちゃ駄目よ。あんないい子そうそういないわ」

「え、あの」

「お父さんの事もあるから信用ないかもしれないけど……絶対にあの子とならうまくいくわ。今はまだお友達でいいから、少しずつでいいから、手放しちゃ駄目」



 本気の表情で忠告してくる母。いつぞやの、転が通話中に割って入った時以上の威圧感を放ち、言い聞かせてくる。

 深月は否定する暇もなく、しかし傍で興味なさげに佇む環の反応を気にしつつ、ぎこちない笑みを浮かべて曖昧に頷く事しかできなかった。



「うん……何事もなくてよかった! じゃあ深月、お母さんお店に戻るから。寄り道は駄目だけど……ゆっくり帰ってくるならいいわよ、仲良くね?」

「あ、あの、母さん。御堂君はそういうのじゃ……」

「じゃあね、御堂君。深月の事、よろしく頼むわ」



 ほほほ、とわざとらしい笑い声をあげ、足早に母は去っていく。最後まで妙な勘違い、というか思い込みをしたまま、深月に頭痛の胤を残して雨の街に消える。


 母が去った後は、大勢の生徒達からの視線に苛まれた。


 深月の血筋を思わせる綺麗な顔立ちや、娘以上に豊満な体つき。その上気取った風でもなく、ごく普通の主婦の親しみやすさを備えた、まさに憧れの母の体現者。

 万人が振り向くような美女の登場は、裏門近くに集まっていた大勢の生徒達の心を掴んだようだ。


 男子達は当然頬を赤らめ前屈みになり、深月に嫉妬や憎悪の視線を向ける女子達ですら、唖然とした顔で後ろ姿を見送るばかり。

 そして、娘である深月に驚愕と納得の視線を向け、言葉を失くした様子であった。



「…ごめん、御堂君。また変に目立っちゃってーーーって、いない!?」



 自分から話しかけたとはいえ、深月の手助けをして母の注意を引いた環。当然彼にも生徒達の意識は向いただろう。

 また迷惑をかけてしまった、と詫びの言葉を口にしかけたが、ほんの一瞬目を逸らした間に、少年の姿は影も形もなくなっていた。


 神出鬼没、その体現に深月は圧倒され、やがて溜息を吐く。


 この注目の中、一人で帰らなければならないのかと額を押さえながら、深月は踵を返しーーー先に自分の革靴を探すために裏庭に向かって歩き出したのだった。










 遠ざかる深月の背中を、環は一人、校舎の屋根の上から見送っていた。


 群れる生徒達の殆どが、深月と彼女の母の話題で盛り上がり、ざわざわと騒がしく囁き合っている。あとで何人かが何かしらの干渉に出るだろう。



 だが、その中で一人だけーーー誰とも関わらず、深月一人を凝視している者がいた。


 校舎の物陰に身を潜め、直立したまま、裏庭に向かう深月の背を見つめている。

 その拳がぎりぎりときつく握りしめられ、風もないのに髪が揺れる。上からで見えずとも……その表情が悍ましく餓鬼のように歪んでいるのが、雰囲気で伝わってくる。



「……さて、どうしたものかな」



 一際強く、他の誰とも比べ物にならないほど太くややこしく深月に絡まった、その人物から伸びる縁。


 それを見下ろし、嘆息しながら、環は指で作った鋏をしょきり、と鳴らした。

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[一言] 自称親友ちゃんかな?
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