三十一、ささいなへんか
「あ、ふどーさんおはよー。さっそくでごめんなんだけどー、あたしらいまちょっと大変でー……いくらか助けてくれるとありがたいんだけどー」
「あははっ」
……非日常を経験したからといって、そこから劇的に毎日が変わるわけでもないようで。
登校し下駄箱前までやってきた深月に、見慣れた女子生徒達が話しかけてくる。
烏丸達とは別の集まりで、着崩した制服に厚い化粧。校則を見るからに違反した実年齢より老けて見える、素行の悪さで有名な数人だ。
【こいつ、押しに弱いくせに金とかは全然出さないんだよね。マジでケチだし、どんだけ必死なの? どうせ援交とかで稼いでるくせに、いつまでもお硬い女のふりしてんじゃねーっての】
案の定聞こえてくるたちの悪い〝声〟。声に出しているものとまるで変わらない、性根の悪さを表すような下卑た本音が絶え間なく聞こえる。
深月は思わず立ち止まるが、やがて視線を逸らし、自分の下駄箱に向かう。
「……ちっ。無視すんじゃねぇし、話聞けよブス」
「…………」
「体しか取り柄のないブスがでかい態度とってんじゃねーし。バカな男しか捕まえらんないくせに、上から目線とかまじむかつくんだけど。汚れまくってるくせにお高く止まってんじゃないっての、ねぇ。聞けよブス」
「ののちゃん、ひっどーい」
「ふどーさんかわいそーじゃーん」
反応を返されず、俯きながら前を素通りしようとした深月の態度に苛立ち、先頭の一人が醜く顔を歪めて罵ってくる。左右の二人は愉しげに煽るばかりだ。
対する深月は……無言でそれを眺めていた。
何の感情も抱かず、凪いだ顔で三人を見やるだけ。ただ単に、面倒臭いという気持ちだけがあった。
「……どいて、もらえませんか」
「は? 何命令してんの? ブスの分際で調子に乗らないでくれる? 何様?」
「……あなたに言われたくないですけど」
「あぁ!?」
真っ向から語彙力の足りない罵倒を行う女子生徒に、胸の奥で黒い感情が芽生えた深月がぼそりと呟く。あ、と思った時にはすでに遅かった。
「んだそれ! あたしがブスだって言いたいの!? 調子乗んなつってんだろクズ女! ふざけんじゃねぇ! お前なんかに馬鹿にされる筋合いはねぇよ! くそが! 殺すぞクズ!」
途端に女子生徒は目を吊り上げて怒鳴りつけてくるが、深月は眉尻一つ動かさずそれを見下ろす。
罵倒も同じ言葉を繰り返すだけ。大きな声で叫び、睨みつけ、左右の二人で囲んで威圧するばかり。それ以上……手を出そうとする素振りもない。
以前の深月ならつい立ち止まって、おどおど怯えながら相手にしていたところだが……今朝は何故だか動く事ができた。
昨日殺されかけた事に比べて、吠えるだけで全く向かってこない、自分より頭一つ分小さい人間を相手にしている所為だろうか。ちっとも恐怖を感じない。
「……もう、いいですか。時間の無駄なので、もう、行きたいんですけど」
「は……え、ぁ?」
深月がため息混じりにそう返し、背を向けると、女子生徒は呆然とした様子で立ち尽くす。
非常に戸惑った表情で、下駄箱の中の上履きと靴を入れ替える深月を凝視し、言葉も出せなくなっている。左右の二人も、唖然と固まっていた。
深月はもう、彼女達に目もくれなかった。今日も今日とて入っている下駄箱の中の……今回は紙屑を掃き出し、塵箱に捨てる作業の方が大事で、目を合わせる事も億劫になっていた。
女子生徒達はやがてはっと我に返るも、すでに深月は歩き出し、距離ができている。止めようと無意識に手が伸びるが、深月の肩まで届かず虚しく宙を彷徨うのみ。
呆然としている間に、深月は校舎の奥へと歩き去り、三人は始業の鐘がなるまで立ち尽くすだけであった。
一方で……深月は歩きながらはっと気付く。今朝の行動は、いつもの自分と異なっていた、と。
「……あ、あれ、私……?」
正気に戻った深月は、戸惑いの表情を浮かべて辺りを見渡し、眉を寄せる。まるで、自分がだれか別の人間に成り代わっていたのかと思うほど、難なく昇降口を抜けていた。
違和感を抱きつつ、深月は小首を傾げたまま教室二歩を進めた……さして意識する事もなく。
実を言うと、ここに至るまで深月は半ば無意識であった。
学校まで歩き、靴を履き替える前に下駄箱の中を掃除し、同級生の絡みに耐えながら教室へ向かう。その習慣に体が従っていただけであった。
普段ならば、彼女達に集られ揶揄われ、びくびくと怯えながら波がすぎるのを待つだけであったのだが……この時、深月の頭の中は他の事で占められており、三人組を気にする余裕などなくなっていたのだ。
御堂環の事や、妖との交流、そして彼らの頼み事。
物事を重く考えがちである深月の思考のほぼ全てを費やすそれらに脳内を占拠され、些細な嫌がらせや突っ掛かられる事など気にならなくなっていた。
自分の悩みに比べて、取るに足らないどうでもいい事柄……彼女達はそういう風に捉えられた、ただそれだけの事だった。
その事実に、深月はまだ気づいていなかった。




