二十九、さかいめ こえよかやめようか
「……可哀想な子だなぁ、あの子。生まれ持った妙な力の所為で苦労しているようだ……環とは真逆だ」
遠ざかる深月の足音に、釣瓶落としがするすると降りてきて呟く。
久方振りの人間の客人に沸き、ついつい驚かせてしまったが、事情を聞いてみるとなかなか重く同情できる境遇で、罪悪感が湧いてくる。
そこで彼はふと、無言で考え込んでいる様子のぬらりひょんに気付き、訝しむ。
「ん? どうした、ぬらよ。さっきから妙に険しい顔で黙り込んで」
「……少し、引っかかる」
「何がだ?」
「……あの子の言う、悪意の声とやらだ」
長の呟きに、ごろりと体……頭を転がして向き直る釣瓶落とし。どういう意味だ、と厳つい顔で思わず尋ねる。
「儂らの姿を見て、声を聞き、存在を感じ取る事は間違いなくできている……だが、他人の心の声が、それも悪感情だけが勝手に聞こえてくる、というのがどうもな」
「じゃあ、嘘なのか? あの子が俺達に嘘吐いたってのか?」
「いや、おそらくあの告白は真実だ……一笑に付されるかもしれぬと怯えながら、あのような話はすまい。確かにあの子には聞こえておるのだろう」
唸りながら、顎を手で撫でながらぬらりひょんは思考する。
己の持つ知識と、現に深月の身に起きている異常現象との齟齬。それが生じている原因が何なのか、眉間に深い皺を刻んで長い間考え込む。
「お前、さっきそういう奴も偶にいるって言ってなかったか?」
「あまりに不安げだったのでな、方便だ。異なる真実を突きつけられるより……それに自分一人が異常なのだと思うより、大勢いる中の一人だと思う方が心も軽かろう」
「……そりゃそうか。今まで誰にも相談できなかったんだしな」
ぬらりひょんの気遣いを知り、釣瓶落としは納得し首の向きを変える。
今頃はもう、転の案内で街の外……人間の街に戻っている事だろう。転の性格からするに、自宅の前まで道を繋げているかもしれない。
釣瓶落としは深く溜息を吐き、思う。
何十、何百年振りかの人間の客人の少女。得意な体質に長年苦しみ、挙句、妖の世界にまで引き寄せられた歪な巡り合わせの中にいる童。
そんな彼女に……彼も期待していた。自分達の家族をどうか救ってくれまいか、と。
「……そういやぁ、何で今日は転がだけで迎えを寄越したんだ。あいつら三体で一体だろ」
「少し、用事を頼んでな。あの子にも、環にも関わる事かもしれん」
「あん?」
二体が会話をしていると、不意に戸が開いて二つの小さな影が……件の鎌鼬の残る二体、斬と治が入ってきた。
「ただいまやで〜」
「いや〜、なかなか骨が折れるお遣いやったわ〜」
ぱたぱたと上がってきた二体は、そのまま囲炉裏の前で身を丸くする。くるりと長い体を巻いて座布団のようになってから、ひょっこりと首を伸ばしてぬらりひょんを見上げる。
「御苦労。……して、如何だった」
「当たりやな。おっちゃんの睨んだ通りやーーー黒や。居るで、あの学校に」
「尾けてみたら真っ黒やった。正直寒気がしたわ、あんなどうしようもないほど腐り切った者がおるとは思わへんで。もう近付きたないわ、あんなきっしょい奴」
はぁ〜……と二体同時に溜息をこぼし、ぐでっと床に身を委ねる。精神的にも肉体的にも、相当消耗したらしい。
疲弊した二体にぬらりひょんはこくりと頷き、自身も深く息を吸ってから一気に吐き出す。
懸念していた事が見事に的中してしまった、という憂いの表情で、天井を仰ぎ大きく肩を落とす。
「……ん? ん? どういう事だ? わかるように説明してくれ」
「……儂らの希望に、邪魔な敵が立ちはだかっておるというのがわかった。そういう事だ」
困惑し、鎌鼬達と交互に見つめてくる釣瓶落としを放置し、ぬらりひょんは憂う。
果たして、環はこの事に気づいているのか、いや、気づいているに違いない。だからこそあんなにも、いつにも増して険しい顔をしているのだから。
このままでは何も解決しない……自分達の家族に待つ未来に先はない。
解決せねば。そう思うのだが、具体的にどう動くべきか、どうするべきか……上手く思考が纏まらずにいる。
「やれやれ……難儀な事になってしまったなぁ」
奥に引っ込んだまま姿を見せない、血の繋がらない孫の事を想いながら……妖の長は、重く深い溜息を長々とこぼすのだった。




