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二十八、くさび やくそく

 深月は戸惑う、楔とはどういう意味なのか。

 抽象的な懇願に、その意図もわからないまま安易に頷く気にはなれず、ぬらりひょんをじっと見つめ返す他にない。


 ただ……あまりにも真剣な眼差しが彼の目から発されていた。



「楔……とは、どういう」

「うむ、すまん。わかりにくかったな……そう難しく考えんでもいい。単純に、そうだな……人間の世界での仲の良い友人になって欲しい、そういう意味だ」



 ぎこちない笑みを浮かべ、自分の言葉を訂正するぬらりひょん。何となく、口を滑らせすぎた、と表情が語っている気がした。



「……すみません。私には、できるかどうか……」

「……妖の孫は、やはり恐ろしくなってしまったか?」

「いえ、そうじゃなくて。その、私、友達はあんまりいなくて……というか、ちゃんとした友達ができた事なんてなくって……」



 何かを求められていると察した深月は、心底申し訳なさそうに目を伏せる。

 残念そうに、視線に落胆を滲ませ肩を落とすぬらりひょんに慌てて首を横に振り、自分の現状を語る。我ながら寂しい状況だ。



「そうか……そうだったか。いや、すまん。お前さんのような別嬪さんなら、いくらでも人が寄ってきそうなものだと勝手に思っていてな」

「……寄っては、きますね。でも、その人達はみんな、私に良い感情を向けてくる人ではなくて……」

「あぁ、そうか、そうか……人間の嫉妬の感情は凄まじいらしいからな」



 他人に何を話しているのだろう、と思いながら、深月は苦い表情で語る。何かを期待している彼らにこんな事を話しても、困らせるだけだろうに。


 すると、それまで黙って様子を伺っていた転が溜息交じりに口を開いた。



「前々から思っとったんやけどな、深月はんーーー何をそんなに人間に怯える事があるんや?」

「…………」

「な~んや、普段からちょいちょい暗いんは、虐められとるからって思っとったけど……それだけやなさそうやん? なんかあるん?」



 この場の面々で、最も話をしている仲だからだろう。不思議そうな顔で転が核心を尋ねてくる。

 それを聞いて、残念そうにしていたぬらりひょんも何か訳ありだとわかったようで、興味の視線を向けてくる。


 深月は悩んだ。だが、すぐにやめた。

 これまでは人間を相手に考えていたから話せなかった……自らの体質についての事だが、ここにいるのは全員妖だ。


 笑われる事はない、はず。

 そんな馬鹿なと否定される事もない、はず。



「……その、信じてくださるかわからないんですけど」



 緊張で煩く騒ぎ出した心臓の上に手を当て、深月は深呼吸を繰り返し、覚悟を決める。


 気になる男子の過去を教えてもらった、なのに自分が話さないのは不公平ではないか。

 生まれて初めて、あの事について他人に話すーーー凄まじい緊張と恐怖感に苛まれながら、深月は深く息を吸い込み、きっと引き締めた顔を上げる。



「ーーー私、他人の悪感情が〝声〟として聞こえるみたいなんです」



 んん? と目の前の妖達から訝しみの声が漏れる。

 初めて見た妖達の戸惑いの表情……人間の自分が彼らを動揺させている事実に可笑しな気分になりながら、深月は包み隠さず語り切った。


 物心ついた時から聞こえる〝声〟。

 決まって人間の負の感情だけが聞こえる事。

 防いだり拒んだりができず、家族にも相談ができていない事。

 にこやかに話しかけてくる他人も、内心ではどす黒い感情を隠している事がわかり、人間不信に陥っている事。


 他人に話してようやく自覚した事実に驚きながら、深月は妖達に何もかもをぶちまけた。



「ーーーそういう、事、なので……私に、友達になる、資格、なんて……」

「…ふぅむ」



 話し終えると、美月はどこかすっきりした気分で息を吐いた。溜め込んでいた気持ちを好きなだけ露わにして、胸の内の鬱憤やら苛立ちやらも発散できたのかもしれない。


 一方で、ぬらりひょんは難しい表情で黙り込んでいた。

 深月の言葉が真実かどうか、疑っているのだろうか。不安になる深月の前で、転が訝しげに顔を歪めて首を傾げた。



「んん~……? 深月はんに、そういう力が…? それは……」

「転。……少し待て」



 何かを言おうとした転だが、ぬらりひょんがそれを止める。転が振り向くと、二体は何やら目配せをし合い小声で話す。

 身を強張らせる深月が見守る前で、二人はやがて正面を向き唸るような溜息をこぼした。



「事情はわかった……お前さんも厄介なものを抱えているようだな。無理を言ってすまない」

「い、いいえ……」

「まぁ、確かに妙な人間は偶に居る。大抵が然程、周りに影響を及ぼさぬようなしょうもないものだが……ごく稀にお前さんのような人間は現れる。儂らからすれば珍しくはないが」

「……そう、なん、ですね」

「恐らくだが、お前さん……環なら自分のその体質をどうにかできるのでは、そう思っているんじゃないか?」



 居心地の悪さが再発して俯いた深月に、ぬらりひょんは厳しく聞こえる口調で尋ねてくる。

 否定できない、そういう意図がなかったとは言い難い深月はぐっと息を詰まらせ、気不味さから目を逸らす。そして、小さく頷いた。



「……私じゃ、どうにもできないものなので。誰かに相談もできないし、信じてもくれないだろうし……御堂君ならもしかしてって、そう、思って、しまいまして……」

「……そうか」

「でも! ……利用しようとか、そう思ったつもりはないです。ただ、彼ならもしかしてって……」



 落胆どころか、厚意を裏切られたと嫌悪されるかもしれないと思いながら、深月は正直に告げる。

 言い訳じみた言い方になってしまったが、隠す事のない自分の本音だと、真っ直ぐに相手の目を見つめて白状する。


 暫くの間、場は重い沈黙に包まれていた。ぬらりひょんは無言のまま互いを見つめ合い、隠し事を探るような鋭い視線を突きつける。


 言葉もなく責められている気分に陥った深月が、居心地の悪さから我が身を縮こまらせていると……不意に妖の長がはぁ、と息を吐いた。



「まぁ、頼りたくもなるだろうな、そんな体質があるのでは……お前さんの気持ちはよくわかる。自分を責める事はないよ」

「え、ぁ……」

「それより、十数年もの間一人で耐え続けてきたお前さんに脱帽するよ。よく頑張ったな」



 ふっ、と微笑みながら圧を消したぬらりひょんが深月を労わる。あの厳しい視線をもどこかへ消えている。

 深月はほっと安堵し、へなへなと肩の力が抜けて全身で項垂れる。命拾いをした気分だ、怒っていなくて本当に良かった、と心から安心する。



「ただ……今の環に期待はせん方がいいな。今のところ、お前さん相手に敵意は持っておらんようだが、好意も欠片も持っておらん。よくて隣人程度の意識だろう」

「まぁ、まだましな方やろうけどな。あいつにとって人間は大半が鬱陶しい邪魔なものらしいし」

「……そこまで、酷いんですね。いえ、当然ですよね、お話を伺う限り」

「うむ。……お前さんの考えとる通り、あの子ならお前さんの体質への対処法を見出せるだろう。実際に助けてくれるかどうかはわからんが……」



 環が姿を消した奥を見やり、ぬらりひょんは頬杖をつき、後頭部を掻く。最も彼について詳しい親代わりだ、彼のひねくれ具合は重々承知の上だろう。


 深月は小さく笑うと、静かに首を横に振った。



「大丈夫です。どうにかしてもらおうとは思いません」

「? ええんか? 辛そうにしとったやん」

「話を聞いてもらえただけで、ずいぶん気が楽になりました。それだけで十分救われます……ありがとうございます」



 ぺこりと頭を下げ、今できる全力の笑顔を妖達に見せる。我ながらぎこちない、歪な笑みになってしまったが、自分の気持ちを最大限に示すつもりで笑う。


 知らぬうちに空にしていた食器を丁寧に片付け、改めてぬらりひょんに向き直る。


 礼には礼を返さねば……何ができるかわからなくても。



「……さっきのお話、前向きに検討しようと思います。御堂君に何ができるか、これっぽっちもわからないですけど……できるだけのことは、させていただきます」

「……そうか」

「取り敢えずは……うちの食堂のご飯、今度は私がご用意します。こんな些細な事しか今のところ思いつきませんけど……」

「……いや、十分だよ」



 申し訳なさを滲ませて呟くと、ぬらりひょんは手を振ってそれを否定する。気を遣われている気がしてますます気が引けたが、ひとまずやる気が湧いてきた。



「……ご馳走様でした。美味しかったです……山姥さんに、そう伝えておいて下さい」

「帰るか? 泊まってってええんやで?」

「すみません……えっと、誰かの家に泊まるのも初めてなのに、男の子が住んでると思うと、その……」

「あぁ、さよか。……ほんなら家まで送るわ。ちょっと外で待っとき」



 食べ終えた料理に手を合わせ、再度頭を下げた深月が腰を上げ、出入り口に向かう。すると、転が体を起こしてぱたぱたと尾を振る。

 深月は頷き、出口の前に立つ。



「では……ありがとうございました。おやすみなさい」



 ひらひらと手を振る二体に再度礼をし、深月は外に出ると、戸を閉じる。


 ーーー彼らの表情を見る事なく。

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