二十七、かみ ひと わらべ
「縁結びの、神様……大国主、様、ですか? 縁切りの神様はわかりませんけど……」
乏しい神学の知識を辿り、深月は問う。
因幡の白兎はよく知っている。幼い頃に図書館でふと読んだ絵本か何かに、その話は載っていた。その本人のことを言っているのだろうか。
だが、ぬらりひょんは深月の反応に首を横に振った。
「少しややこしくてのぉ……神々に決まった名前はない。いや、あるにはあるのだが一人がいくつも持っていてな、ぶれておるんじゃよ」
「ぶ、ぶれる?」
「左様。最も有名な為に大国主大神である事は間違いないが……時に猿田彦であったり伊奘諾伊邪那岐であったりする。実にややこしい事にな」
「……えっと、その人、じゃない、神様達って、それぞれ別の神様、ですよね?」
「うむ。ここらも昨今の人間の新人離れが影響していてな……西洋化というべきか、一神教と多神教、自然崇拝や仏教が色々とごっちゃになっとるんじゃよ」
はぁ~……と、ぬらりひょんが深い深い溜息を吐く。
天井を仰ぎ、徐々に面倒になってきた説明を一旦区切り、肩を揉み解す。老体に語らせすぎたのかもしれない。
「八百万の神と、自然現象それぞれに神が宿ると想像したものの、時が経つにつれて人間達は神々を一緒くたに考えるようになった。しっかり学んでおる者は違うが……」
「……神仏習合、みたいな感じにですか?」
「うん、そうじゃな。神様仏様と、大勢の人間が神仏を同一のように考えるようになっておる。だから、神は存在するーーーだが、神話通りの存在ではなくなっておる」
はぁ~……と再び大きく目立つ溜息を吐くぬらりひょん。嘆かわしい、と肩を落とす様に、深月の方が申し訳ない気持ちになってくる。
どう反応したものか、と悩む深月をよそに、気を取り直したぬらりひょんが姿勢を正す。
「……環が出会ったのは、そういう形が曖昧になった神だ。人との縁を司り、結ぶ者。そういう力を持った神があの子に出会い……縁結びの力を与えた」
「……御堂君が時々弄ってる、糸」
「左様。あれは縁の糸……普通の人間にごく当たり前に繋がっておるものだ。あの子はそれを操れる……好きに繋ぎ紡ぐ事ができるのだ」
深月は思い出す。先程、雪那に凍死させられかけた時……環に連れてこられた炎の妖達に繋がって見えた、半透明の糸を。
あれこそが、縁の糸なのだろう。それを頼りに、環は彼らをこの場に呼んだのだ。
納得し、首肯する深月……だが、疑問はまだもう半分残っている。
「その……だとすると、さっき言っていた縁切りの神様も、御堂君に力を……?」
「うむ、そうだ。縁を切る力をお与えになった。基本的に、環はこれを人間相手にしか使わんな。結ぶ方は専ら儂ら相手に使っとるが」
ぬらりひょんは深月の前でピースサイン……ではなく、ちょきちょきと鋏を模した動きを見せる。環が何度か見せた事のある動作だ。
「彼奴がこうして……左手で縁の糸を手繰り寄せ、右手の鋏で切る。そうすると、人間に結ばれた縁の糸が切れるわけだ」
「……切れたら、どうなるんですか」
「人同士であれば、それ以降出会う事も関わる事もなくなる。運や出来事との縁を切れば、今後一切それらと関わる事がなくなる……まぁ、流石の環も他人を相手にそこまでやった事はないがの」
ぞっとする話だ。一人の少年の行動次第で、因果関係まで弄くれるというのだから。
縁結びと縁切り、相反する二つの力を一度に与えられ、見た所使いこなしているように見える。使っているところは僅かしか見ていないが、驚異的な力である事は間違いない。
……これはもう、人の域を超えているのではあるまいか。
「……さっき、他人には使ってないって」
「……環が最初に切った縁は、自分の親との縁だった。儂ら妖から見ても救いようのない屑でのぉ、先祖から継がれた悪縁やら何やらで、雁字搦めになっておったところを神々に見つけられたのだ」
頬杖をつき、ぬらりひょんは不機嫌そうに眉を顰める。当時の事を思い出しているのか、悪態と共に唾も吐きそうな剣幕となっている。
「当時、縁切りの神はこう言っておった。自分でこの縁を切っても良いが、斯くも縁に恵まれぬようでは今後も苦労するだろう、ここで出会ったのも何かの縁、ならば自分で縁を選べるようにしてやろう……神の気紛れで、力は与えられた」
「……それで、ご両親との縁を……」
「英断だったと、儂も思う。…だがその時、あの子は自分の現世との縁までもを切ってしまいおっての……慌てて縁結びの神が結び直したから良かったものの、危うくそのまま消えるところだったそうだ」
「……消える?」
「死ぬ、と言ってもいい。人間を含む全ての生物の魂と肉体も、精神の糸で繋がっていてな……あの子はそれすら切ってしまえるのだ。それ以来切った事はないがな」
「……よかった」
身も凍る恐ろしい力の使い方を知り、ぎょっと目を剥いた深月は付け加えられた言葉にほっ、と安堵する。
その気になれば、何の証拠も残さず他者の命を奪える、無慈悲な能力……そういう力の使い方をする人間でなくて、本当に安心した。
表情を緩める深月を意味深に見つめつつ、ぬらりひょんは感情を押し殺した低い声で先を続けた。
「遅かれ早かれ、自然に切れておっただろうがな……本当に碌でもない人間での、あの子に名前すら与えんかった」
はっ、と深月は息を呑む。
自分達の子供どころか、人間扱いすらもしない? それは本当に自分と同じ人間なのだろうか。悪魔と言われた方が納得できる所業だ。
「名は、現世に己の存在を示す杭だ。それがないと、人は自らに繋がれたか細い縁の糸に頼らねば存在し続ける事も叶わん……あの人間達はそれすらしなかった」
「……御堂君」
「環、という名は儂がつけた。扱いに困った神々より頼まれ、儂と仮の家族の縁を結んでここに住んでおる。あの子にとっては、それが物心ついた頃の当たり前の関係なった」
ぬらりひょんは懐に手を入れると、煙管を取り出し口に咥える。先端に火をつけ、吸い込んだ煙をぷふぅと長く細く吐く。
強い匂いが煙に乗って漂ってきたが、衝撃を受けた深月には、それに顔を顰めさせる余裕さえなくなっていた。
「あの子は人間を信用していない……いや、見てすらいない。持っていた縁を全て切ってしまったあの子にとっては、全ての人間が関わりのない物でしかない。その気になれば、即座に向こうとの縁を完全に切ってこちらに永住するだろうな」
「…………」
「未だ現世に在るままなのは、せめて人として生きて欲しいという儂らの願いを叶えてくれておるからだ……本当は家族想いのいい子なのだ」
はぁぁぁぁ……と、白い煙が溜息と共に部屋中に充満する。ぬらりひょんの嘆きの大きさを表すが如く、視界いっぱいに広がっていく。
深月はもう、彼にかける言葉が見つからなかった。
人と関わりを持たない、記憶にも残らないほど影の薄い同級生の男子。話しかけても、近づいても、心底面倒臭そうに距離を取るか無視をする、接し方の難しい少年。
その認識が、変わる。単なる気難しさではないーーー悍ましい過去が、彼を別の世界に追いやったのだ。
軽い気持ちで彼に近づいていた深月は、深い後悔の念に苛まれる。他とはまるで違う在り方をした彼に、勝手に期待のようなものを抱いて繋がりを持とうとしたのだから。
彼からしてみれば……不快な事この上なかったかもしれない。本当に申し訳ない事をした、そう思った。
そこでふと、深月は疑問を抱いた。
そんなにも人間に対して隔意を持つ少年の家族なら……なぜ、同じ人間で在る自分をこの場に招いたのだろうか。
「……あの、だったら、私は……?」
「……あの子には言わんでくれるか。儂らのえごというものでな」
深月が問うと、ぬらりひょんは途端に顔色を変え、奥の襖を気にしながら深月の耳元に口を寄せてくる。
何事か、と身を乗り出して耳を澄ませた深月に、妖の長は真剣な眼差しと共に語りかけた。
「お前さん……あの子の楔になってはくれんか。あの子を現世に止める、唯一の縁になってほしいのだ」




