二十四、あやかしよろずや
「た~だいま~」
がららら、と引き戸を開き、転がするりと中へ入る。
深月もおっかなびっくりといった風になりつつ、薄暗い部屋の中を覗き込み、一歩足を踏み入れ。
「ーーー夜業すんだか釣瓶落とそか、ぎいぎい!!」
「わひゃああああああああ!?」
突如目前に降ってきた顔面に、悲鳴をあげてぎょっと目を剥き尻餅をつく。
禿頭に髭面、首から下がない巨大な男の顔はけたけたと上機嫌に笑い、地面でごろごろと揺れる。へたり込む深月の事などほったらかしだ。
「……おいこら、釣瓶落とし。出会い頭に何してくれとんねん」
「久方振りの人間の客だ! もてなさねばなるまい!」
「お前のそれはもてなしやないやろ」
「我ら妖のもてなしといえば悪戯であろう! わははははは……!」
じっとりとした目で転に睨まれ、釣瓶落としと呼ばれた妖は満足げに吠えるとするすると天井に登っていく。
糸も何もない、なのに空中に浮かぶ大きな顔。上下する動きは蜘蛛のようで、恐ろしさよりも先に不気味さが増してきた。
「すまんなぁ、あいつ自分のあいでんてぃてぃ保つのに必死やから……見える人間さんが減って脅かす機会が減ったって、いっつも嘆いとるんよ」
「……!」
「大丈夫か? 腰、抜け取らへんか?」
心配する転の声に反応できないほど、深月は呆然としていた。唐突すぎて思考が完全に飛んでしまったようだ。
やれやれ困った、と頬を掻く転。
ふと、深月を見つめていた彼の目が、少女の背後に近付く青白い影を捉える。
「……ふぅぅ」
「ひゃんっ!?」
ひやり、と深月の首筋に走る寒気。いや、実際に冷たい空気が肌を撫で、悲鳴をあげて飛び退く。
振り向いた深月の前で、一人の女……真っ白な髪に真っ白な肌、そして兎のように真っ赤な目をした白い着物の美女がしゃがみ込み、じっと不思議そうな視線を美月に向けていた。
「……お客さん?」
「ひゃ、はぇ…!?」
「……人間の女の子。なんだ、男の人じゃないのか、つまらない」
きらきらと体の周りを光らせる白い美女。空気を凍らせ極小の粒を宙に舞わせる彼女は、深月の顔を覗き込んではぁ、と溜息を吐く。
その瞬間、ぶわっと吹き付けられる極寒の風。深月はがちがちと全身を震わせ、我が身を抱いて縮こまった。
「ちょ……ちょちょちょちょい! 雪那こらぁ! 目当ての男やなかったからって凍らすなど阿呆ぉ!!」
「……凍らせてない。溜息吐いただけ」
「お前の息は全部が冷気やろが! これ見よがしに吐くな言うとんねん!」
「……わがまま」
「お前に言われたないわぁ!」
恐怖、困惑とは別の要因で固まる深月をよそに、転が深月の前に飛び出し、雪那と呼ぶ妖に猛然と抗議する。よく見ると彼の体毛もちらほらと凍っている、先程の冷気の被害を受けたらしい。
「……ゆ、き、おん、な」
「せや。雪山におって旅人の男凍らせるえげつないやっちゃ。こいつは最近でも向こうにしょっちゅう顔出しとる珍しい奴での、近頃は登山しとる奴を狙って凍らせとる」
「怖い……!!」
寒さに加えて恐怖も湧き、より一層青い顔でがたがたと震える深月。
そうだ。妖といえば人を襲う恐ろしい者もいるではないか。釣瓶落としの悪戯がしょうもなくて忘れそうになったが、こうも明確な敵意を持つ輩もいないとも限らない。
涙目で口をぱくぱくと開閉させる深月。
彼女を見下ろし、雪那は心外だと言わんばかりに鋭い視線を返す。
「……違う。山で彷徨って死にかけて苦しんでる人間の男を安らかに眠らせてあげてるだけ。風評被害甚だしい……はぁ~」
「物は言いようやな、って冷気吐くんやめぇや!」
悲しげに目を伏せ、嘆く雪那が溜息をつくたびに真っ白な風が吹き荒れ、深月と転に襲いかかる。
すっかり部屋の中が極寒と化し、氷柱やら霜やらが降りて、工場の冷凍庫の如き世界に変わる。室内にいた全員がぱきぱきと凍りつかされ、呼吸もままならなくなる。
「……ひゃ、ひ」
「あぁ、あかん! 深月はんが死んでまう! 何してくれとんねんほんまに! 火車~! 輪入道でもええ! 早よぉ誰か来てぇや!!」
睫毛も髪も真っ白になる程凍えた深月が、ゆっくりと意識を手放そうとしている姿に転が慌てふためく。
がしゃん!と天井から凍り付いた釣瓶落としが落下し、白目を剥いた恐ろしい形相が振り向くが、それに構っている余裕などない。
思考もままならぬ中、深月の体がゆっくりと傾いでいった、その時。
「……煩い」
突如、聞き覚えのある声が聞こえた直後、ぶわっと強烈な熱が部屋の中を駆け巡る。
赤く光る炎の波が燃え広がり、白く染まった部屋の中を一気に溶かし元通りにしていく。しかし物に引火する事はなく、氷だけを無慈悲に焼いて消し去る。
解凍された深月ははっと意識を取り戻し、暖かな風に呆ける。そして、熱源である部屋の奥に勢いよく振り向いた。
そこには、環がいた。
くるくると指先に半透明の糸を巻きつけ、玩びながら、不機嫌そうに深月達の方を睨みつけている。
彼の両側を見れば、猫のような豹のような奇妙な燃える獣と、大昔の木製の車輪に厳つい男の顔が生えた妖が浮いているのが見えた。
「やれやれ、またやらかしおったな雪那め。何度同じ事を繰り返して叱られれば気が済むのだ……しかも客人が来ている時に」
「環が我らを喚ばねばどうなっていたか」
「……輪入道、火車」
ごうごうと炎を纏い、呆れた目で刹那を見据える二体の妖。
刹那は眉尻一つ動かさず、しかしどこか不満げに二体を、そしてその間に収まる少年を見つめ返す。咎めるようなきつい視線だ。
反対に冷凍状態から復活した転が、ぶるぶると体を振って環の前に平伏する。
「いや~、助かったで環はん。相変わらず自制の効かへん困ったやっちゃで刹那は。折角のお客さんが氷漬けになってまうところで……」
「なんで連れてきたの」
ぐしぐしと後頭部を掻きながら礼を言う転。だが、対する環の目は冷たく刺々しい。
しまった、と表情を歪める転を見下ろし、環は眉間に皺を寄せて腕を組む……しょきん、しょきんと指で鋏を作って開閉させながら。
「僕、一度たりとも君にそんなことをしろなんて言った覚えないんだけど。何してんの、ねぇ、何してんの」
「……い、いや、それは~」
「前々から言ってる通り、僕は人間と仲良くする気なんかこれっぽっちもないんだよ。できる事なら今すぐに縁を絶ってしまいたいぐらいだ。君、って言うか君達、最近ますますお節介が過ぎるよ」
「……あ、あの…環くーーー」
睨みつけられ、だらだらと冷や汗を垂らす転を射殺さんばかりの環の視線。友人に向けるものではない、あまりに冷た過ぎる眼差しだ。
見ていられなくなった深月が止めようと口を開くも、ぎろりと睨まれ無理矢理黙らされてしまう。
「……で、どうなの転。もしかして、斬も治もぐる?」
「あー、いやー、そのー……」
しどろもどろになって目を逸らす転が哀れなのに、口を挟む事もできない。
空気が先ほどとは異なる冷たさに包まれ、異様な緊張感に苛まれた深月が思わず泣きそうな顔で俯いていると。
「……はぁ、そのへんにしておけ、環。お前の怒りは普通の人の子には酷じゃ、抑えよ」
背後から聞こえたその声に、環の殺気が薄れる。
張り詰めた空気が少し和らいだ事で、深月は緊張状態から脱し大きく息を吸い込む。
呼吸を落ち着かせてから、一体誰だろうとゆっくりと振り向き、目を見開く。
声の主は、以前に環と共に母の店に来ていたあの老人だった。
長い後頭部が特徴的な、不思議な雰囲気を醸し出す、母の料理を大層気に入ってくれていた彼だ。
言葉をなくす深月の前で、老人は穏やかな笑みを浮かべて、静かに手を差し伸べた。
「久しいな、お嬢ちゃん。孫が失礼をしたな、詫びよう。……とりあえず奥へお入り、夕餉を共にしよう」




