二十二、わらべや こんこん
周囲の景色があやふやになっていく。
民家が並ぶ普通の街中であったはずだが、いつしかそれらの輪郭はぼんやりと、靄のようになっていく。
人の気配は当然感じない。夢の中を歩いているような不思議な感覚だ。
気を抜けば自分自身もあやふやになりそうな道を……少女は歩く。妖の尾を掴みながら、真っ直ぐに。
「あの、転さん……これ、本当に私、後で帰れるんでしょうか」
「大丈夫や。ていうかそれは深月はん次第やな。今持っとるわいの尻尾離したら後はもう迷うだけやさかい、気ぃつけや」
盲導犬の如く転が掴ませてくれている鍵尻尾を持つ手に、つい力が篭る。ついでに置いていかれないように小走りになった。
どんどん異界じみた景色になっていく周囲に恐怖感を煽られながら、深月は必死に鎌鼬の後を追う。
初めて招かれる他人の家。行ってみたい、見てみたいという最初の気持ちが、あっという間に引っ込み不安が心を占める。
ふと、転の後ろ姿を見つめていると、帰り際の一件について思い出した。
「……あの、転さん。さっきは、その、ありがとうございます。危ない所を助けていただいて……」
「ん? あぁ、あれか。ええで、あれは流石に見過ごせへんかったからな」
烏丸に詰め寄られ、首を絞められた際に吹いた一陣の風。
それによって深月は解放され、窮地を脱した。傷を負った烏丸の姿を思い出すと震えが走るが、助けてもらった事実は変わらない。
「あれが……鎌鼬さん達の力、なん、ですよね」
「せや。いきなり吹いた風が刃になって人を切り裂く……人はそこにわいらの存在を想像したんや。わいが転ばして、斬が切って、治が傷を塞ぐ。痛みを感じぬままに傷を残す不思議な風、それがわいら鎌鼬や」
可愛らしい顔をして、やる事は恐ろしい。
科学的には何らかの現象で衝撃波が発生した際に空気が圧縮され、刃となって周囲の物質を切り裂くというものが正体であると聞くが……なるほど、昔の人ならば確かに不思議な現象と恐れるだろう。
どうして三位一体の鼬になったのかはわからないが、そう想像したのだからそうなのだろうと深くは考えない事にした。
そういえば、今転だけが案内役を担っているのは、尻尾の形状が理由だろうか。気遣いのお陰で非常に持ちやすい、となかなか失礼な感想が浮かぶ。
「で、でもあの……転ばせるだけでも十分助かったんじゃないかと」
「あの手の輩は、ちょっと脅かしただけでは止まらへんよ。性根腐ってそうやったし……まぁ、深月はんがやったって疑われたんは計算外やったけど。そこらへんはすんまへんな」
「い、いえ! 本当に助かりました!」
「さよか? そんならよかった……せやけど人間さんの社会はほんまに面倒臭いなぁ、深月はん敵ばっかりやん」
てこてこと道を……いつの間にかアスファルトから砂利道に変わった地面を進みながら、転が深い溜息を吐く。
深月は思わず目を伏せる。烏丸との会話は非常に目立っていた、状況と経緯は大体悟られた事だろう。
「……私、昔からああで。目立ちたくないのに目立つっていうか、目をつけられるっていうか。一人で静かに過ごしていたいのに、他人に……男の人が寄ってきて」
「男は阿呆多いからなぁ。そんで女は嫉妬深い……あの女に至っては度がすぎてる気するけどな。ま、次またあんまんやってきたら助けたるで?」
「……できれば、次からは転ばせるだけで」
「あ、さよか。斬も治も残念がりそうやな……出番が減る言うて」
やれやれと肩を竦める転に、くすくすとつい笑みがこぼれる。
何とも、お人好しな妖怪だ。少し離しただけの仲なのに、こうも気遣い、助けようとしてくれている。
妖とはみんなこうなのだろうか、と彼らの価値観やら倫理観が心配になる。いつか自分のように苦労しなければいいが。
……本当に、どうしてなのだろう。
どうして彼らは、自分を助けてくれているのだろう。
「……あの、転さん」
「そろそろ着くで~」
尋ねようとした深月の声を遮るように、転が告げる。
え、と声を漏らした深月が咄嗟に顔を上げると……眩い色とりどりの光が彼女を迎える。
薄暗い闇の中に突如浮かび上がるそれらは、街灯や街の光とは明らかに質が異なる光だ。
昼間のように明るくしかし鋭くない、それでいて人口の光にはない柔らかさがある。例えるならば、蛍の光が無数に集まっているかのような。
それが照らし出しているのは、街だった。
繁華街のようなまとまりのない建物がいくつも並ぶ、どこか作り物じみた雰囲気を感じさせる場所ーーー明らかに人ではない大勢の影が行き交う、異界だ。
言葉を失い、立ち尽くす深月に振り向き、転がにやりと笑って口を開いた。
「ようこそ、わいらの世界へ」




