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二十一、まえだおし

 当然の事のように、深月はこの日も早く帰る事ができなかった。


 誰が伝えたのか、教師達に烏丸の負傷の原因ではないかという疑いを持たれたからだ。


 すぐさま生活指導室に連れていかれ、女性の教師に身体検査を行われ、刃物の類は何も持っていない事を確認され、ようやくそこで深月が故意に怪我をさせたという疑いは晴れた。

 だがその後に長々と事情を聞かれ、結局夕方遅くになってしまったのだ。


 風が吹いて転倒したら切り傷がついた、というありのままの説明では教師達を納得させられず、荷物の何かに酷く引っかかって切れたのではないかと再度身体検査をされた。

 幸いにも血痕の類は見つからず、廊下にあった何かで偶然切れたのだろう、という結論に至ったようだ。


 事件などではなく単なる事故であると証明するまでに、数時間を要する事となった。


 普段から大人しく過ごし、問題など起こしていないのだから大丈夫と思っていたが……そこまでの信用には至っていなかったらしい。


 何とも言えない複雑な気持ちのまま、深月は特に何か告げられる事もなく帰らされた。



「……最悪」



 周りの暗さに落ち込み、肩を落とす。昼間の浮き足立った気分が嘘のようだ。

 とぼとぼと重い足取りで帰路につき、深い溜息をこぼす。



【おっ、今日もいるなあの胸のでかい子。ラッキー♪】

【本当に何食ったらあんなになるんだ…?】

【揺れてる揺れてる。すっげー】



 昨日の帰り道とほぼ同じ顔触れ……何人かは異なるかもしれないが見分けなど付かないが……にじろじろと横目を向けられ、ますます気分が滅入る。


 道を変えるべきか、しかし先日のように襲われたらどうするか。真剣に悩みつつ、早く人目を避けようと早足で歩く。


 と、その時。

 制服のポケットの中から振動が起き、足を止める。一度道路の端に身を寄せてから、震える携帯電話を手に取る。


 母からだ。忙しい時間だろうに、どうしたのだろう。



「……もしもし、どうしたのお母さん」

『あ、深月? ごめん、急な話なんだけど今日お店お休みするわ』

「……え!?」



 思わず大きな声を上げてしまい、咄嗟に口を押さえる。周囲の通行人からの視線が集まり、羞恥に頬を染めながら電話の母の声に意識を戻す。



「きゅ、急にどうしたの? 何かあったの? 怪我? 病気?」

『そんなに深刻な話じゃ……まぁ、ある意味深刻なんだけど。厨房のコンロが急に壊れちゃって、お料理が出せなくなっちゃったのよ。どうやっても火が出なくて、危ないから無理に続けるわけにもいかないし』



 えっ、と深月は思わず声を上げて固まる。

 コンロが壊れた? うちの店の? 几帳面な母が常に掃除も手入れも欠かしていないはずのあれが?


 突然すぎる事態に困惑するも、自分が今この場で疑問を抱いていても仕方がないと再度母の声に耳を傾ける。



『修理の人も明後日にならないと来れないみたいで……そういうわけで悪いんだけど、お店も今日の晩御飯も無理なの。どこかで食べてきてくれる?』

「え、う、うん……そっか」



 申し訳なさそうに、きっと電話の向こうで平謝りしているであろう母に文句を言えるわけもなく、ぎこちなく笑う。


 平成を取り繕いながら思う……外食か、どうしよう。

 いつも母の店の手伝いばかりを考えて、他所で食事をした事がない。母の料理が一番、という意識が幼少期から刷り込まれている所為もあり、他の料理店に行った事すらなかった。


 どこをどう探したものか……僅かな時間に深月は悩む、すると。



「ーーーなんや、深月はん晩飯食うとこないんか? せやったらうちに来たらええで」



 不意に聞こえた、聞き覚えのある声。

 はっと目を見開き、深月は真横の塀の上に乗る獣……鎌鼬の方を向く。



「ひ、転さん…? ぁ、や、ちょっ、ここ、人前で……!」

「だいじょぶだいじょぶ。……周り見てみ?」



 街中で平然と姿を晒し、口を聞く鎌鼬に深月は慌て、口を噤む。

 見える自分が特殊で、見えない、見ようとしないのが普通の人間なのだという話を昼間にしたばかりだ。ここで騒ぐと変に目立つ。


 時と場所を考えてくれない転に咎める目を向けると、鎌鼬は不敵に笑い、尾で辺りを指し示した。


 釣られて、深月は辺りを見渡し……誰一人、人間の姿の見えない事に気付き、戸惑う。先ほどまで確かにちらほら人の姿があったはずなのに。

 ついでにあの〝声〟も聞こえなくなっている。



「わいがここにおる時点で、もうここはわいらの領域になっとるんや。普通の人間は入るどころか感じる事もできへん、妖の縄張り……あ、心配せんでも出よ思たら出れるで。話すのに邪魔やからちょこっとだけ招待しただけやし、通話もまだ繋がっとるやろ?」



 恐ろしげな口調で話す転に言われ、携帯電話の画面を確かめると、確かに繋がったままだ。


 驚愕していた深月は、数秒ほど固まった後に母をほったらかしにしていた事を思い出し、すぐさま耳に当て直す。



「ご、ごめんお母さん。ぼーっとして……」

『ちょ、ちょっと深月? さっきの声って誰? 知らない男の子の声だったんだけど……』



 深月が話を戻そうとすると、何やら動揺した様子の母の声が聞こえてくる。

 は、と振り向き転を見やり、さっと顔から血の気を引かせる。聞こえていた、まさか先程の会話も聞かれていたのでは。



「え、えっと、さっきのは、その……」

『……深月』



 転もやや強張った顔で見守る中、深月はやや狼狽したまま母への言い訳を必死に考える。妖云々など頭がおかしくなったと捉えられかねない。


 だが、深月が巧い誤魔化しを考えつくよりも先に、登紀子の声が響いた。



『……やだもう男の子の友達ができたならもっと早く言いなさいよ! え、嘘、同級生? 同い年の男の子って事よね! あんたにそんな子ができるなんて想像もしてなかったわよ!』



 だが、身構えた深月の耳に届いたのは、喜色に富んだ母の悲鳴じみた声だった。相当荒ぶっているのか、電話越しにも衣擦れの音が随分大きく聞こえてくる。



「……え?」

『あんたってば引っ込み思案で大人しくて、男の子と関わる事なんか全然なかったじゃない!? 彼氏の一人くらいできてもおかしくない年頃なのに全然浮いた話聞かないからすっごい心配してたのよ!? ていうかそもそも友達の話なんて全然してくれなかったし! あー、良かった。あー、安心した!』

「あの、えっと……」

『あ、お友達の子、まだそこにいます? お話聞いちゃってごめんなさいね? もし良かったらうちの深月をどうかよろしくお願いしますね! この子ってばほんっとに暗くて臆病なもんだから、毎日とても心配してるんですよ! そちらでお世話になってもよろしいんでしたら、ぜひそうしてくださるとありがたいんですけれども…!』

「あの、あの、お、お母さん……?」

『警戒心の強い子でしてねぇ、全然人と仲良くしないんですよ! 男の子は特に嫌がって近付こうともしなくて……仲良くしてくださる方がいるなら一安心です! 本当にありがとうございます!』



 深月の制止の声も、まるで届いていない。

 完全に暴走、何かしらの早とちりに至っている母をどう止めれば、と呆然となる深月。


 その肩に、転がするりと乗り、深月の携帯電話に向けて話しかけた。



「どうもお母さん。深月はんと仲良うさせてもろてます転ゆう者です。事情は聞こえてたんで、任しといてください。うちの奴らも前から会ってみたいって言うてますんで。美味しいご飯の礼もしたいって言うてますし」

『あら! うちの店に来てらした方? こちらこそありがとうございます! ぜひうちの深月をよろしくお願いしますね!』



 興奮のあまり早口でまくし立てる登紀子に動じる事なく、平然とした顔で話す鎌鼬。

 深月は唖然としたままそれを見つめるばかりで、一切口を挟む間もない。



『……深月。お母さん娘の交友関係にとやかく言いたくなんてないんだけど………………しっかり仲良くしなさいね! じゃ』



 最初から最後まで異様に上機嫌なまま、そして娘の答えをまともに聞かぬまま、登紀子は無慈悲に通話を切った。


 深月は棒立ちのまま、つーつーと虚しく音を響かせる携帯電話を見下ろし、絶句する。

 その頬を突っつき、転がにやりと笑みを浮かべた。



「ほな、お母さんの許しも喜んで頂けたところでーーー行こか、わいらの縄張りに」

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