十三、みざる きかざる とわざるをえぬ
目が覚める。
幼少期から続く早起き。夜更かしさえしなければ朝の五時には確実に起きられるようになっている、深月の体。
「…………」
しかし今朝に限っては、深月はぼんやりとしたまま呆けていた。
理由は言わずもがな、御堂環の事。
謎、そして不思議な連れと不思議な力を見せつけ、何も語らずに去った奇妙な少年。
彼の事が頭から離れず、布団に入っても同じ景色を思い浮かべてしまい、寝入るのも遅くなってしまった。
習慣のお陰で寝過ごす事はなかったが、やはり寝不足になっているらしい。起き上がれても立ち上がれない。
「…………」
「深月ー? 起きてるのー?」
ぼーっと虚空を見つめていると、母が下から呼ぶ声が聞こえてはっと我に返る。
気付けばすでに十数分経っている。仕込みやら準備やらを手伝わなければならないのに、かなり時間を無駄にしてしまった。
「大丈夫ー? 体調悪いんなら無理しなくていいのよー?」
「い……今行く! 起きてる!」
「ほんとにー? ならいいけどー」
ばたばた慌てて、布団を蹴っ飛ばしながら起き上がって、寝間着を勢いよく脱ぎ捨てる。
急ぐあまり、胸がいつも以上に揺れて着替え辛い。何度か遠心力で転びかけた。
布団と脱いだ寝間着を雑に畳み、下着とシャツとスカートを纏い、エプロンを被り備える。
毎朝の行動、考えなくても勝手に動くはずの体。
なのに今日に限って、別の事……少年の顔が頭にちらつき、その度に手が止まって焦る。
「……馬鹿みたい、私」
何と言おうか、明らかに普通ではない。
殆ど会話もした事のない男子の事を思い浮かべて気を散らされるなど、これではまるで、まるでーーー。
「…! 本当に、馬鹿じゃないかしら、私……!」
熱くなる頬に呆れ、深月はぶんぶんと顔を横に振る。
幾ら何でも、自分はそこまでちょろくはない。これはそういう感情ではなく、好奇心だの警戒だの、そういう感覚だ。
自分にそう言い聞かせ、深月は妙に煩い脈動に知らぬ振りをし、荒々しい歩調で自室を後にした。
「あ、深月さんおはよー」
「ねぇちょっと頼みあんだけどさー?」
「今月あたしら財布がピンチなんだよね~。だからさ~、ちょ~っと協力して欲しいんだよね~?」
【今日はどうやっていじめようかなー?】
【そろそろいつものやつも飽きてきたし、もっと刺激的な事してみたいなぁ…♪】
【こんな女が遊ぶより、あたしらが使ってやったほうがお金ちゃんも喜ぶよね~?】
「不動さん! 今日こそ一緒にカラオケ行こ! ね? ね?」
「奢るから! お金とか出さなくていいからさ!」
【お題はそのおっぱいでのご奉仕で……なんちゃって】
【いい加減触らせろよこの女…! こっちがこんだけ下手に出てやってんのによ……!】
「やぁ、不動さん。顔色が悪いね、保健室に行った方がいいんじゃないか? ……俺が送っていくよ」
【今の時間なら保健医の野沢もいないし……いや、保健室を使うなら、先に色々準備しておいた方が良いよな。ビデオとかカメラとか、後から何も言えないようにして、おかずにも使えるようにしておいた方が楽しめるだろう……ふふっ、今から楽しみだ】
「不動く~ん、この書類なんだけどさぁ、ここんところもうちょっと綺麗に書いておいて欲しいんだよねぇ? 大変だったのはわかるけどぉ、雑にされると困るんだよねぇ?」
【どうせ今日もいろいろ押し付けられるだろうし、適当に理由作って二人きりにしちまおう。押せば拒まないよな? 本番まで行けなくてもちょっとぐらい……キスしたり揉んだりぐらいはいいよな? どさくさ紛れにやればバレないだろ。役得役得…♡】
今日も今日とて、学校に着くや否や襲い来る悪意の数々。
遠慮も情けもなく、どす黒い悪意を突き立ててくる女子達。欲望を隠そうともしない男子達。甘い顔立ちで下卑た本性を隠す青年。割と危険な考えを隠す教師。
強気に拒めず、やはり流されながらも最後の一線を超えないようにと必死に耐え、午前中を過ごした深月。
やがて昼休みの鐘が鳴ると、深月のいる教室に、たった一人の親友が恐る恐る顔を出しに来た。
「深月~。お昼、一緒にどう~?」
弁当箱を片手に、深月の敵がいなくなる頃を見計らって声をかけにくるいつき。
普段なら喜んで共に行き、昼食にするのだが。
今日は、今日だけはその誘いに頷く事はできなかった。
「……ごめん、行くとこあるから」
「えっ、ちょ、深月?」
親友に頭を下げ、彼女の側を通り抜けて深月は教室を出る。置き去りにされたいつきは困惑の声をこぼし、深月の背中を見送る他にない。
親友におざなりな態度を取ってしまった事への申し訳なさを感じつつ、深月は廊下を駆け、探す。
擦れ違った〝敵〟の声も聞かず、いや、聞こえず、どこかにいるはずの探し他人の痕跡を求め、彷徨う。
そうしているうちに、そうしているうちに、視界の端に……裏庭の隅に求めていた人影を捉える。
すぐさま深月は、元来た道を引き返し、裏庭に一人佇む少年の元に全力で駆けつけた。
裏庭は、静かだった。
手入れのされていないその場は誰も近付かない場所だったが、それを踏まえても人気がなく暗い。
まるで、目の前で腰を下ろす少年を中心に、世界が切り離されているように。
「……御堂、君」
深月が名を呼ぶと、少年はのそりと顔を上げ、光の無い目で見つめてくる。
昼食らしい握り飯を齧る手を止め、胡乱げに、食事の時間に割って入った少女を見据える。
脚が竦みそうになるのを必死に堪え、くっと唇を噛み締め、少年の元へ一歩を踏み出す。
「少し、話、したいんだけど……いい、かな」




