十二、なにもきくな かかわるな
我が家の定食屋に、得意料理というものはない。
特段推せる料理がない……というより、客の要望があれば大概何でも作ってしまうのだ。
蕎麦が食べたい客には蕎麦を、うどんが食べたい客にはうどんを。
ご飯物でも麺類でも、おかずも大抵の物は作って出す。しかも、母はどんな注文を受けても一切嫌な顔をしないのだ。
母の信条で、お客が食べたいものを作ってあげたい、という思いがあってこの形になっているのだとか。
普通はできない。が、そこは長年この近辺の人達に愛され、支えられている店がゆえに可能な無茶だ。お客の方も無茶な注文はまずしない。
常連さんの食べたい物を完全に把握し、その上で顔色や歩幅を見てその日の気分を察し、味付けまで変えられる。
まさに神業で、母はほぼ一人でこの店を守り続けているのだ。
それを見て、いつも思う。
母は人間なのだろうか……そして自分は、本当に母と血が繋がっているのだろうか。
「どうぞ、伊藤さん。チキン南蛮定食です」
「ん? おぉ、ありがとうね」
からっと揚げた鳥カツを自作のたれに潜らせ、盛り付けて。
母には及ばないが、出来は十分だと自負する逸品を常連の一人に渡す。…さて、反応はどうだろうか。
「…ん、前よりいい感じだ。だがもう少し揚げ時間に気をつけて」
「あ……はい、もっと頑張ります」
「期待してるよ、三代目」
優しくはあるが、厳しい言葉。内心でがくりと肩を落としつつ、頭を下げる。
渾身の出来のつもりだったのだが、彼にはまだまだの品のようだ。
母には一応、お店に出す料理としては及第点を貰っているのだが、常連さんそれぞれの舌に合わせる事はまだできない……覚える事は途方もないほどに多い。
「いいよいいよ! 深月ちゃんは頑張ってるよ!」
「この調子で頑張れ~!」
「え、あ、はい。が、頑張ります!」
「どもっちゃう癖もそのうちに直そうね~」
他の常連に囃し立てられ、思わずかっと頬を熱くさせる。
毎日のように顔和わせている彼らにすら、堂々とした態度を見せられない。一人ずつならまだしも、たくさんいる中で視線が集中するとどうしても頭が真っ白になる。
……今日は特に頭が働かない。#色々と__・__#あった所為だろう。
「…………んん? 環や、あのお嬢さん、お前を睨んどらんか? 何かしたのか?」
「…さぁ、知らないや」
つい、鋭い視線を奥のテーブルの客……その片割れの少年に向けてしまう。
集中できない。気になり過ぎて、いつもの作業にもちゃんと手が付けられない。
その原因たる男が……平然とうどんを啜っているのだから、睨みたくなるのも仕方がない。そう自分を正当化させる。
「……美味いね、ここのごはん。当たりだよ」
「儂も中々気に入った。お前さんが手を出して正解だったな」
「道端であんなもの見せられたら、流石にね。まぁ、元凶は片づけたからしばらくは平和が続くでしょ」
「確かにの」
ずるずるはふはふ、老人と共にそれぞれ蕎麦とうどんを啜る御堂環。
そこに、先に食べ終えて帰った客の席を片付けていた母が近づき、にこやかに話しかける。
「深月のお友達なのよね? わたしはあの子の母、登紀子と言います。良ければ今後も贔屓にしてくれると嬉しいわ」
「む? あぁ、そのつもりじゃ。のう、環? こんな別嬪の店主がおる店じゃ、また何度でも来よう」
「……そうだね」
「まぁ、お上手だ事」
美人な母に話しかけられ、老人の方はでれっと笑みを浮かべるのだが、少年の方は無反応。
同性な上に娘の自分でさえ胸が高鳴る綺麗な顔で笑っているのに、環はちらっと一瞥をくれただけで食事に戻る。
……その手の欲が無いにもほどがあるのではないだろうか。
深月が彼らに目を奪われたままでいると、器を空にした少年が一息つき、がらっと椅子から立ち上がった。
「……御馳走様。お勘定をお願いします」
「あ、おい環や。帰る前に儂、でざーとの杏仁豆腐が食いたいんじゃが」
「駄目。血糖値上がって嫁に怒られるよ」
「……厳しいのう」
唇を尖らせる老人を他所に、環はさっさと荷物を抱えて財布を取り出す。
結局、何事も怒らず、起こさず、ごく普通に食事を終えて立ち去ろうとしている少年に、深月は何とも言えない表情で立ち尽くす。
#あんな異変__・__#の直後にやってきて、何かあるのかと思っていたのに。
肩透かしを食らった気分で呆然としていると、不意に母に二の腕を小突かれた。
「深月、お勘定お願い」
「っ、あ、うん! ……えっと、かけ蕎麦一杯とと肉うどん一杯、合わせて七二〇円です」
「…レシートいらないです」
慌ててレジスターに向かい、計算する深月に環は淡々と小銭を支払う。
本当に、一切何もなかったかのような無反応。それを見ていると、深月の方が可笑しくて、何か幻覚でも見ていた気分になる。
だがそれを受け入れられない深月は、釣りを返しながら環に囁き問いかけた。
「あの……御堂くん。さっきの事……なん、だけど」
「…御馳走様でした」
真剣な表情で、有無を言わせぬ口調で尋ねてみるも、環はやはり何も答えない。
不意に、前髪に隠れた彼の目が深月の目を射抜き―――ひゅっと息を呑む。
黒く、光のない少年の目。感情を伺わせない眼の片割れが、声もなくはっきりと語っていた。
何 も 聞 く な
強烈な拒絶を示すその目―――人外染みた気迫を放ったそれに、深月は呼吸を止めて後退る。
黙り込んだ彼女に満足したように、少年はすっと圧を消し去り、歩き出した。
「ほら、帰るよぬら爺」
「……のう、環よ。儂のあいでんてぃてぃを奪わんでくれんか……? 払ってどうするんじゃ払って」
「僕は人間だからね。その辺の線引きはちゃんとしておかないと」
「真面目じゃのう……まぁ、それがお主じゃから別に構いやせんが」
「気に入った店なら猶更しないでよ」
「正論責めは友達失くすぞ」
「そもそもいないし」
何やら意味深な、聞き捨てならない言葉を吐く老人を伴い、環は夜の闇へと消えていった。
深月を困惑の中に置き去りにして。




