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十一、うきよばなれのおのこ

 がらがらがら、と戸を開ける。

 暗い夜道に一軒だけ点いた灯、騒がしく笑う声が聞こえる母の定食屋に、深月はおずおずと顔を覗かせる。


 ようやく帰ってこれた……何日も彷徨い続けた気分だ。


 店内にいた何人かの客達の視線が集中するのを感じつつ中へ入ると、奥からあっと声が上がった。



「! やだ、深月! あんたって子は、こんな遅くに帰ってきて!」

「……た、ただいま」

「おかえり! ……もう、心配したのよ? メールも来てないし電話もないし! あぁ、よかった、無事で……」



 厨房にいた母ーーー登紀子が慌てて出入り口に立つ深月の元に駆け寄ってくる。


 年齢の割に若々しく、度々姉に間違われるほど今の自分によく似ていて、大勢の男性客に人気がある母。

 泣き黒子が色っぽい、しかし見た目に似合わぬ肝っ玉の強さでこのご時世を生き延びている彼女が、心底安堵した顔で深月の体を抱き寄せる。



「ご、ごめん……でも、あの、一応メール、送ったんだけど」

「え? 届いてなかったけど……」

「え、うそ」



 きょとんとした顔で首を傾げられ、深月は困惑する。

 送ったつもりになっていたのだろうか……いや、確かに送信ボタンを押したはず。


 携帯電話を取り出して確認……しようとして、一気に気怠さに苛まれて止める。届いていなかったのなら、今更仕様がない。

 結局母に心配をかけてしまった事を反省し、首を竦める。



「……それより、どうしたの? 最近帰りがずっと遅いし、何か困った事があるのならちゃんと言ってね。お願いよ?」



 不意に頬を左右から挟み、深月の目を覗き込んでくる母。


 隠し事をしている娘に、自分から告白させる時の母の癖だ。じっと見つめられると、罪悪感でどんなに口を固くしようとも、正直にならざるを得なくなる。

 ……何か悟られただろうか。いつも通りのつもりだったが、自分の見えない何かに気付いたのかもしれない。


 だが、深月はふっと微笑み、母の手を取って首を横に振る。この程度の事、知らせるつもりはない。



「大丈夫よ……ちょっと先生に頼み事されて、そのあと自分の用事を済ませようと思ったら、ちょっと時間がかかっちゃったの。平気だよ、平気」

「……本当に?」

「本当に。……ありがと、心配してくれて」



 目を合わせないように、満面の笑みでそう告げる

 徐々に母の表情から険が取れ、落ち着き始めるのを確かめてから、深月は内心でほっと息をつく。


 大丈夫、いつも通りだ。

 ちゃんと何事もない自分を演じられている……今日もばれずに済んでいる。


 悪い事をした自分は見透かされるが、何かあった自分が明らかになった事は一度もない。今日も、母を心配させずに済んでいる。


 大丈夫、大丈夫。

 自分にそう言い聞かせて、深月は登紀子の隣を通り抜ける。



「本当にごめん、遅くなって。手伝うね」

「いいのよ、今日は別に……まぁ手伝ってくれるなら助かるけど、先に着替えてきなさい。制服、皺になるわよ?」

「大丈夫だよ、でも上着だけ置いてくる」



 呼び止めてくる母に答え、住居のある奥に向かう。

 その途中、カウンター席とテーブル席に着いた常連の客達……工場に勤務する年嵩の男達が、酔っているのか赤ら顔で笑いかけてきた。



「お帰り~、深月ちゃん。遅かったね~」

「寄り道は良くないぞぉ?」

「あはは……ごめんなさい! すぐに注文の品、持っていくからね!」

「頼むよぉ? もう腹減ったよ~」



 冗談交じりに話しかけ、でれっとだらしのない顔を見せる男達。


 馴れ馴れしい、と思う事はない。

 殆どの客が小さい頃からこの店に通っている常連で、もう顔も覚束ない父よりも身近に感じる人達だ。



 何よりもーーー#彼らから__・__#〝#声__・__#〟#は聞こえない__・__#。深月に対して、悪意がない事を知っている。



 誰にも気付かれないよう、ほっと安堵の息をつき、優しくて楽しい隣人達の為に努めよう。


 そう思った深月が、住居スペースの入り口に手をかけた時だった。





「ずずっ、ふ、はふっ。ほ、ほっ……は、ずっ、ずずずるるる~…!」

「……ずるるっ」





 ……いた。


 店の奥、一番端のテーブル席に、見覚えのある顔が座っている。

 人の窮地を救って、異様な光景を見せつけた挙句忽然と姿を消したあんちくしょうが、知らない老人と一緒にいた。



「……え、あの、お母さん?」

「なぁに?」

「……彼、えっと、あの男の子、いつから、ここに?」



 一瞬固まった深月は、厨房に戻ろうとしていた登紀子に近付き、耳に口を寄せて尋ねる。

 訝しげに小首を傾げた母に見えるように、深月は奥の席に着く少年を指差す。


 ……彼もそうだが、連れの老人は一体何者か。

 和服が似合う御仁だが、妙に後頭部が長く見えるのは目の錯覚だろうか。



「あの、おじいちゃんと一緒にいる子? えーっと……多分、三十分ぐらい前ね。知り合い?」

「……同級生」

「あら、そうなの? やだわ、挨拶するの忘れてたわ。もう、深月ったら言っておいてよ! ごめんなさいね、深月のお友達さん!」



 娘に言われ、登紀子は苦笑しながら少年に話しかける。


 無心にうどんの麺を啜っていた少年は、目も向けずに片手を挙げて応じる。気にするな、とでも言っているようだ。



「……えっと、あの、み、御堂君……?」

「後にして」



 恐る恐る声をかけてみると、凄まじい塩対応を返される。一応反応は見せてくれたが、それ以上は邪魔するなとばかりにそっけない。


 深月もそれ以上続けられず、後ろ髪を引かれる思いのまま、着替えに一旦部屋を目指す。横目で環を見つめながら。


 一体いつの間に来ていたのか、瞬間移動でもしたかのようなとてつもない違和感がある。



 ……本当に謎しかない少年だ。

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