189.
流れ込んで来る水の水温が上がって来て居るらしい。
最初は、ほんのり暖かい程度だったのだが、今では完全にお湯になってきている。
まさかとは思うが、このまま放置していると熱湯になってしまうのだろうか?
そんな事を考えていると、兄様が口を開いた。
「どうしてこんな事になっているのかはわからないが、最初は地下水が大量に吹き出してきたのだろう。その後、その地下水に地下から吹き出して来た溶岩が混じって来たと考えるのが妥当ではないだろうか?通常では有り得ない事ではあるのだが、何らかの天変地異が起こっていると考えれば納得ができるのではないだろうか」
「天変地異・・・・」誰が言うでもなく声が聞こえて来た。
当然・・・と言うか、みんなの視線があたしに注がれた。
「ほーれみろ、おめーの仕業じゃあねーかよ。溶岩が混ざって来て居るんだったら、もう待ったなしだぞ!さっさと穴を掘ってここから脱出するぞ!」
お頭に言われるまでもなかった。
あたしは再び剣を構え、気を込め始めた。さっきはうまく気が練れなかったのだが・・・今回も上手くいかない。
変に手加減を加えるのがいけないのだろうか。もう時間がないわ、こうなったら全力でいっちゃええぇ。
「はああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
目をつぶったまま、思いっ切り剣に気を注ぎ込んだ・・・いや、正確には注ぎ込んだのはほんの一瞬だった。
注ぎ込んだ瞬間、物凄い反動が来て、あたしは後方に吹き飛ばされていたからだ。
吹き飛ばされたあたしは、後ろに居た数人の兵士を巻き添えにして、いままで兄様が居た部屋の中に飛び込んでいた。
幸いな?事に兵士達がクッションになってくれていたので、あたしは直接壁に激突しないで済んだのだったが、申し訳ない事に兵士達はみんなのびてしまっていた。
床に溜まったお湯の中で呻いて居ると、「これが天変地異か」とか「歩く災いか」とか聞こえて来る。
あ あたしが悪いんじゃあないわよ。あたしだって被害者なんだからね。とはおもったが、床でのびている兵士を見たら、口に出して言えなかった。
お湯の中でのびている兵士達は、他の兵士やら兄様の親族やらが助け起こしていた。
ふと、床を見ると、水位が急激に下がって来ていた。うん、上手く行ったみたいね、さすがあたし。
さて・・・と思ったのだけど、なぜか足元がふらついてしっかりと立つことが出来なかった。
思いっ切り気を放出してしまったからなのだろうか。壁に手をつきながら立ち上がろうとしているとポーリンがやって来て手を貸してくれた。
「姐さん、何やっとるんですかぁ!?」
いきなり怒られてしまった。なんで?どういう事?あたし、怒られるような事した?
彼女の手を借りてよろよろと部屋を出て、目の前に広がった光景を見てあたしは愕然としてしまった。
「な なに、これ?なんでこんな事に?」
目をぱちぱちさせていると、今度はお頭に怒鳴られてしまった。
「おめーは、何やってんだ!自分の持っている力をもっと自覚しろやっ!!これはもはや災害だぞ。山ごと吹き飛ばしてどうするんだ!」
目の前には確かにさっきまでは石を積み上げて造られた廊下の壁があったはずだ。あたしは、その壁に水を逃がすトンネルを掘ったはずだった。
穴を掘ったはずだったのだが・・・。
石の壁は跡形もなくなっていた。いや、石の壁だけではなく、その背後にあったであろう岩山?もどこかに消え去ってしまっていた。
そこには、ぽっかりと謎の空間が広がって居た。人の背丈程度の穴を掘るはずだったのだが、そこにひろがっていたのは、見上げんばかりの巨大な空間だった。更に言えば遥か遠くには青空も見えていた。
足元の水は轟音を上げて空洞の中へと流れ込んで居た。流れ込んで居たのは水だけではなく、周囲の空気までもが不気味な音を立てて吸い込まれていた。
「空気の流れやら遠方に見える光から見て、どうやら今回は外に通じたみたいだな。階段の作業も終わったみたいだし、さっさとトンズラするぞ!」
階段の作業とは、階段周囲に石や土を積んで、上の階の水が階段から下に流れ落ちてこないようにする事だった。
確かに階段を流れ落ちてくる水の量は大幅に減っていた。今なら難なく階段を上がれそうだ。
「ぐずぐずするなぁ、さっさと階段を登るんだぁ!」
お頭の怒声で、我に返ったかのように兄様の親族達は階段に殺到して、我先にと階段を登り始めた。
そんなみんなの姿を見て、なんとか間に合ったのかなと、ちょっと安心した。
だって、先ほどまでは冷たい水だったのが、今では湯気の立つお湯になってしまっているし、空気も熱を持って来ていて息苦しくなっていたからだ。
きっと、このまま脱出の目途が立って居なかったら、みんなパニックになっていたことだろう。
みんなの後に続いてあたし達も階段を登って行った。
不思議な事に、敵には全く出会わなかったので、ひたすら上を目指して階段を登って行く。
地上階に出たので廊下の窓から外を覗いて見て、あたしゃあ驚いたよ。
だって、窓の外は一面の海みたいだったんだもん。これって、あたしが手加減なく地面を切り裂いたせいで地下水が吹き出て来たの?地下水って、こんなに大量に吹き出て来るものなの?
思わず立ち尽くしているとポーリンに呼ばれてハッとして振り返った。
そこにはもう誰も居なかった。あたしとポーリン、そして兵士さんが数人残っていてくれただけだった。
「姐さん、もうみんな行ってしもたよ。急がんと取り残されるで」
「行った?行ったってどっちへ?」
兵士の一人が走り出しながら叫んだ。「取り敢えず、みんな上の階を目指して移動しています。ここもじきに熱湯が押し寄せて来ますから、少しでも高い階に避難するべきかと」
「うん、そうね。わかったわ、急ぎましょ」
あたし達もみんなの後を追って階段を登った。
徐々に濃くなってくる卵の腐ったような臭いと、どんどん上がって来る水温が、あたし達の不安を掻き立てて来て、自然と足が早くなってきている。
「うち、この腐ったような臭い、嫌いやぁ」
鼻を押さえながら、ポーリンが呻いて居る。
大丈夫。こんな臭い、好きな人なんていないからね。
息せき切って二階に上がって来たのだけど、あれ?みんないない?
キョロキョロと周囲を見回して居ると、薄暗い通路の奥の方から声を掛けられた。
「こっちでーす、みなさんは上に上がってますよー!」
ありゃあ、まだ階段を上がるんだぁ。
さっき、気を込めすぎたせいか、なんだか足元がふらつくんだよねぇ。もう、階段ダッシュしたくないなぁ。
「姐さん?誰かおるでぇ」
「へっ?」
走っている前方のうす暗い廊下の先に誰かが立っているのが見えた。リンクシュタット家の兵士の一人だった。
「姫さん、御屋形様のお言葉をお伝え致します。この先三階には演説用のポーチがありますので、そこに一旦避難して、今後の行動を決めようと言う事であります。もう、リンクシュタット家の皆様は体力の限界で逃げる事もままなりません。三階まであがるので限界です」
「はあはあはあ。それは良かったわ。あたしもさすがに足がふらふらだもの、一旦休憩するのは大賛成だわ。でも、敵の襲撃の心配はないのかしら?」
「自分は先程でっかい兄さんと上の階の偵察をおこなった一人でありますが、不思議な事にですね、先程の偵察の際には十階くらいまで上がったのですが、敵兵には一切出会わなかったのですよ」
「どういう事?ここって、この要塞の心臓部なんでしょ?兄様達を追いだしたフィレッチアの連中にとっても大事な拠点なんじゃないの?」
「ええ、そのはずなのですが、なぜこうなっているのか我々にも理解が出来ません」
どうなっているのかは、後で兄様と話をすれば良いわ。とにかくここは二階だからあと一階層上がればいいだけなんだから、なんとか足がもちそうね。もう膝が笑っちゃっているから助かるわ。
その後、ひいひい言いながら最後の階段を上がると、廊下は兄様の親族たちで溢れていた。
なぜ『兄様の親族たち』と他人行儀な言い方なのかと言うと、初めて会う人ばかりだったので、なんか身内と言うよりも感覚的には他人と変わらない感じだったからだ。
ともあれ、いつまでもここでへたり込んでいる訳にもいかないので、竜王剣を杖にして、あたしはポーリンを伴って兄様がおわすであろうポーチを目指した。
階段の下からは異様な臭いと熱気が昇って来ているので、早々に次の行動を話し合わねばならないだろう。ゆっくりしている訳にはいかなかった。
疲れ切った人々を掻き分けて、光の刺す方へと疲れた足を引きずって歩いて行くと、薄暗い廊下に大きな開口部が見えて来た。きっとそこがポーチなのだろう。
後少しだ、大きな開口部からは陽の光がさんさんと差し込んできていて、周囲も一歩ごとに明るくなっていた。
開口部から外に出ると、新鮮な空気が肺に飛び込んで来た。
おまけに、そこは目が痛くなるくらいに光に溢れていた。
「ロッテ・・・」
左手の方から弱弱しげな声が聞こえて来た。
振り返ると、兄様が担架に乗ったままではあったが、上半身を起こしてこちらに微笑みかけているではないか。
両側を奥方らしき女性と御子らしい少女に支えられていることから、まだ自力では起きてはいられないのだろう。
あたしは、ふらつく足を引きずりながら、兄様の元へ急いだ。
「マイヤー兄様・・・」
あたしは兄様の元に膝まづいて、その弱弱しい右の手を握りしめたのだが、あまりにも弱弱し過ぎたその手の力に涙が溢れ出て名前を呼ぶのが精一杯だった。
こみ上げて来た感情は、やっと会えた喜びよりも、こんなに衰えてしまった兄様を見た驚愕や悲しみの方が多かったように思えた。
「苦労を・・・かけたね、ロッテ」
あの若々しく力強かった兄様の面影はもう全くと言ってもいいくらいに無くなっていて、そこにいるのはただの弱弱しい老人だった。
その感情がこみ上げてきたので、あたしは言葉を紡ぐ事ができずに、ただただひたすらに泣きじゃくってしまったのだ。
そんなあたしの頭を兄様は何も言わず、優しく撫でてくれた。不思議と皺にまみれた老人の手ではあったが、心が癒されて行くのがわかった。
あたしは、恥ずかしくて顔を上げる事が出来ず、兄様に撫でられたままの姿勢で言葉を絞り出した。
「いいえ、いいえ、兄様のご苦労に比べたら、あたしの苦労なんてなんでもありません。あたしには頼もしい仲間が大勢いていつも助けて貰っています。この度は救出が遅れまして本当に申し訳ありません」
そこまで一気に話すと、不思議な事にさっきまでの不安と悲しみに溢れていた心が、穏やかになって居た事に驚いてしまった。
そっと顔を上げると、兄様は優しく微笑んでいて、まるで世俗から離れた仙人みたいだなって思ったんだ。その後は言葉が溢れる様に吹き出してきた。
「あのね、この混乱の大元は竜王様なの。竜王様がへまをして大陸が無くなってしまって、みんなが転移門をくぐることになったの。でもね、そこでも竜王様がへまをしちゃって、転移門をくぐった先はこの大陸の五十年前の世界だったの。だから転移門をくぐらなかったあたし達とは時間の流れが五十年違ってしまい、転移門をくぐった兄様たちだけ五十歳歳を取ってしまったの」
「そうなのだね、だからお前はそんなに若いままなのだね。得心がいったよ」
うんうんと兄様は納得がいったとばかりに頷いて居た。そして、戻って来たお頭に視線を向けて驚くことを言い出した。
「そうか、そうか、お前と一緒にいる仲間たちはみな大陸が沈んだ当時の年齢だと言う事なのだね、するとそこの大男は・・・もしかしてムスケルか?ムスケルなのか?私が知る限りでは、そのような体躯を持った漢はムスケルしか知らないのだが・・・。だが、最後に会った時のムスケルの顔はもっと酷いものだったと思ったのだが?そう、亡くなった子供すら起き出して恐怖で泣き出す位には酷いと言うか、恐ろしい顔をしていたと思ったのだが?」
「ひでーなぁ、久々に会ったと思ったら随分な言い様じゃあないですか?ボン」
頭をボリボリと掻きむしりながらお頭は複雑な表情をしていた。ん?ボン?ボンって?
「あはは、ボンはやめてくれないか?もう私はあの当時の世間知らずのボンボンじゃあないんだ。これでも一国の主なんだからね」
そう言う兄様の目は優しく笑っている。
どういう事?兄様とお頭って、知り合いだったの?そう言えば、昔お頭って騎士団に居たとか聞いた事があったような・・・。
ラング兄様とは知り合いだって言ってたから、マイヤー兄様と知り合いでもおかしくはないのか。
難しい顔をして悩んでいると、お頭がぽつりぽつりと話し始めた。
「この顔はな、聖女様に呪いを解いて貰ったんだ。前の顔の方が気に入っていたんだけどな」
「何を言うか。こいつはな、聖騎士団に入れる資質があったにもかかわらず、かたっ苦しいのは嫌いだと騎士団を辞めて出て行ったんだよ。いったい何人の女性が嘆いた事やら」
「へええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」
あたしが疑いの眼差しで見ていると、焦ったお頭が、わたわたと言わなくても良い事を話し始めた。
「あー、やっぱりあの聖女の疫病神伝説は、本当だったんだぜ。見ろっ、こんな厄介者を押し付けられちまったじゃあねーか。おかげで、何回死に損なった事か」
「あ、ひどーーーい!!」
「ホントの事だろうが、歩く天変地異のお守りなんて、不幸以外になんだっていうんだ」
「歩く・・・天変地異?」
兄様は不思議そうな顔で、あたしたちの言い争いを見ていた。
「ああ、こいつが動くと種は絶滅するし、山は跡形も無く消えてしまうんだ。湖が干上がってしまうのだって、日常茶飯事なんだぜ。おまけに、訳の分からない化け物まで呼び寄せるしよお。散々だぜ」
「ひどーい、いつそんな事したって言うのよお!ポーリンもそこで何気に頷かない!」
そこで、突然兄様が噴き出してしまった。
「あはは、すまないムスケル。妹が随分と世話になったみたいだな。心より感謝するよ、ありがとう。これからも面倒を見てやってくれないか」
「げっ!まだお役御免じゃあねーのかよ」
「ひどい言い様ね。そんな事より、合図は出したの?」
あたしは照れ隠しとも違う複雑な感情を隠して、お頭に切り出した。今は呑気に昔話をしている時じゃあないわけだし。
「ふんっ、おめーとは違って、やる事はきちんとやってるぜ。じきにお迎えが来るはずだぜ」
「お迎えだって?だったらこんな所にいたら駄目じゃないか。いや、そもそも下を見たのか?最初は水び出しだったのが今は真っ赤な溶岩が吹き上がって来ていて、とても近寄れないぞ」
真っ赤な溶岩?どうりで下からの熱気が凄かったわけだ。
あたしは、ポーチの柵の隙間から顔を出して下界を覗いてみたのだが、こりゃあ想像を絶する光景が広がっていた。
さっきあたしが刻んだ大地の溝から、真っ赤な溶岩がぐつぐつと湧き上がってきている。
その溶岩が先に噴き出していた地下水とぶつかって物凄い水蒸気をあげていた。こりゃあ凄い。
湧き出して来た溶岩は、サラサラ系の溶岩で、周囲に広く流れ出しており、あたし達のいるこの建物に流れ込んで来ているのは当然ではあるが、塀を押し倒してV字谷中央に広がって居た穀倉地帯にまで流れ込んでいて、もう少しで刈り取り期を迎えようとしていた麦畑を覆いつくさんとその真っ赤な舌を広げつつあった。
「やはり天変地異だな・・・」
ぼそっと兵士のひとりが呟いたのが聞こえた。
あたしのせい・・・なのか。
「うちら、船を持ってんねん」そう言うかポーリンはどこか自慢げだった。
「船を?何を言ってるのかな?この状況で船は役に立たないのでは?」
うんうん、普通に考えたら、誰でもそう思うよね。でも、あたし達の船はそんじょそこらの船とは違うのだ。
「えへへ、うちらの船は普通の船とはちゃうんよ。なんてったって空を飛べるんやからね」
「船が空を?」
「そやねん。竜王様からのプレゼントや、ええやろうww」
「そんな物が存在しているとは・・・」
呆然とした表情で兄様があたしを見ている。その目は、本当なのか?と訴えて来て居るようだった。
「本当よ。兄様もその目でご覧になったらわかると思うわ」
あたしは、自信満々に兄様にそう宣言したのだった。




