188.
「・・・・・は?」
一瞬、次の言葉が出てこなかった。
苦労に苦労を重ね、やっと会えたと思ったら「だれ?」、そりゃあないだろう。
あたしは、へなへなとへたり込みそうになり、辛うじてポーリンに支えられて立っている状態だった。
ポーリンが耳元でそっと囁いた。
「姐さん、転移門で五十年年くってしもうた事知れへんのとちゃいまっか?」
「あ ああそうかあ。そうかも知れないわね」
あたしは、大きく息を吸ってから、ゆっくりと話し始めた。
「兄様、あたしあなたの妹のシャルロッテです。よく見て下さい。ほら、右の二の腕に木から落ちた時枝が刺さった跡がありますでしょ?」
あたしは、兄様に良く見えるように右腕を前に差し出した。
目をしばたかせながらあたしの差し出した腕をしみじみと見た兄様は、ハッとした表情であたしを見上げた。
「ううむ、信じられない事ではあるが、その目元、その喋り方、確かにロッテのようではあるが・・・」
まだその表情からは困惑が見て取れる。そりゃあそうだろう、確かに妹のようではあるが、年齢は兄様の九歳下なのだから、六十五のはずだ。それがどう見たってまだ十代なのだから。
「お前がロッテだとしたら、もう六十は過ぎているはずではないのか?なぜ、若いままなのだ?私の娘よりも若く見えるのだが?」
まあ、当然の疑問ね。
「今は時間がありませんので簡単にお話ししますが、あの転移門をくぐった者は五十年前のこの大地に転移させられたのです。私は転移門をくぐっておりませんので、時間にして五十年の差が出てしまったのです。納得はしなくても良いので、今はそう理解して下さい。とにかく時間が無いのです。急いで避難をしてください」
あたしは、一気にまくしたてた。本当に時間が無いのだから。
頭の回転の速い兄様だけあって、直ぐに理解してくれたみたいだった。
「わかった、避難をしよう。だが、まずは領民が先だ。私は後でいい、領民を避難させてくれ。それと、フィレッチアの連中はどうなっているのだ?邪魔をしてこないのか?領民に無駄な犠牲が出るのはいかんぞ」
こんな時に迄領民ファーストなのは兄様らしくて良いのだけど、今は鬱陶しいことこの上なかった。
「大丈夫です。今現在領民は先にこの要塞を脱出している最中です。フィレッチアの邪魔も、ちゃんと抑え込んでいます。ですから、一刻も早くここを脱出して・・・・」
「いや、脱出するのなら、捕らえられている親族が先だ。私は最後でいい」
ああああぁぁぁぁ、イライラするぅ~。このクソ忙しい時にぃ。自分より他人を優先するのは美徳ではあるが、こんな時に関して言えば迷惑だ。
「他の親族の方々はみな自力で脱出できますから我々がサポートして脱出させます。今、一番のお荷物なのは兄様だって事を理解してくださいませ!兄様がさっさと動いて下さらないとみんなも脱出出来ないのです。ご理解出来ますでしょうか?」
気が立っていたので、ちょーっと、ほんのちょーっとだけきつく言ってしまった。兄様はポカーンとした表情であたしを見つめている。
「あの・・・」
兄様の傍で兄様を支えていた女性がおずおずと口を開いた。あたしよりもかなり年が上の中年女性だった。
「父は、身体が弱って居まして、自力では起きられないのです。脱出と言われましても、身動きが出来ないのです」
父?ああ、こっちに転移してから出来た娘さんなんだ。と言う事は、あたし・・・・おばさんなの?
突然の事にショックを受けていると、ポーリンに脇腹を突っつかれてしまった。
「姐さん、時間ないで?」
そうだった。ショックを受けている場合じゃなかった。
「兄様はたんかを作って運びましょう。あなた?資材調達とたんかの作製をお願い」
入り口で部屋の中を窺っていた兵士にたんかの作製をお願いした。
そうこうしている内に、他の牢屋でも開錠が進み廊下が人で溢れて来た。五十年でこんなに親族が増えたんだぁ、驚きだわ。
などと驚いていると、お頭に声を掛けられた。
「おう、そろそろトンズラするぞ。俺は部下と新たな脱出経路を押さえに行くからな」
「新たな?」
「足元を見て見ろ」
言われて足元を見ると、廊下の床がなんか濡れている?
「これは?これはなんの水なの?どこから来ているの?」
「階段だ。さっき降りて来た階段から流れ込んできている。外で何かが起きているのか、フィレッチアの奴らの仕業かはわからん」
「ここは地下よ!?水攻めって事?」
「わからんから、脱出口を探しにいくんだ!」
「わかった、お願いね」
走って行くお頭達の後ろ姿をみながら、さあ困ったぞと頭を回転させ始めた。
「まだ、魔物の方が対応しやすくて良かったんとちゃう?水が相手やとどうしょうもあれへんわなぁ」
ポーリンが呟くが、まさにその通りだった。
こんな時、アドだったらどうするんだろ?「こんな事、想定内ですね」とでも言うのだろうか?
ああ、アドに来て貰えば良かったかな。
だめだめ、いつもアドに頼りっきりなんていけないわ。自分で考えないと。
アドだったらどう考えるか、自分でしっかり考えなくちゃ。できる、あたしなら出来るはず。
ポーリンに変な顔で見られているけど、いまはそんな事どうでもいい。この窮地をどうやったら凌げるか。あたしなら名案が浮かぶはず。
そうしている間にも、足元の水は量を増して来ていて、すでにくるぶしのあたりにまで来ている。
兄様の担架は先程完成した。竹と服で組み上げられていて、今は水に浸からないように四人の若い衆が担いでいる。
彼らの視線はあたしに注がれている。どうせ「いつまで担いで居ればいいんだ」とでも考えているのだろう。
あたしだって、ちゃんと考えているんだからね。ただ、いい案が浮かばないだけだもん。
いい案、いい案、いい案、案、案、案、あん、あん、あん、あ~ん、浮かばないよおおぉぉ~。
バシャバシャ水音を立てながらお頭達が帰って来た。
「駄目だ!この先の階段からも滝みたいに水が降り注いでいるぞ。なんだっていうんだ、いったいどこからこんな水が湧いて来たっていうんだ」
ああ、お頭イライラしてる。でも、そんなに怒鳴ったって、あたしのせいじゃあないんだからね。
「姐さんのせいですね、これって・・・」
ボソッと口走ったポーリンに一瞬にしてみんなの視線が集まった。そして、その視線が揃ってあたしに向かって来た。
な なんで、なんでよお、ポーリンなんで今そんな事言うのよお。
「そうか、、、さっきオメー地面に物凄く深い傷をつけてやがったな。あれのせいか。あれのせいで地下水が・・・」
お頭の目が怖い。そして、あたしを見るみんなの視線も一段と怖くなった。
「姫さん、早くなんとかしないと、みんなして溺れてしまいますよ」確かに水位は少しづつではあるが確実に上がって来て居る。
借りて来たリンクシュタット派の兵士達は、あたしの事を親愛の情を込めて「姫さん」と呼んでくれている。
わかっているわよ、あたしだって一生懸命に考えて・・・・。
「あ!今閃いた。今あたしにアドが降臨したわ。いい考えが浮かんだわ!」
「ほんとうか???」
お頭、なんで疑問符が多い?
「うん、ここから下にもっと大きい穴を掘ったら、水はみんなそこに流れて行くんじゃない?」
って、あれ?なんでみんな頭を抱えているの?いい案でしょ?
「バカヤロー!!そんな事したら吹き出して来る水の量が増えるだけだってわからんのか?もっと頭を使えよっ!」
なによお、そんなに言わなくたって・・・。
「姐さん、お頭の言う通りやで。そんなんするんやったら、水平よりもやや斜め下に穴を掘ったらどないですか?ここは海よりも高度が高いんやから、こっちの方に穴開けたら、おそらく穴は海に繋がるで。そないすれば水は海に流れ出るんとちゃいまっか?」
おー、ポーリンにもアドが降臨した?
「だがな、それだけじゃ水位の上昇が抑えられるだけだぞ。まるで滝のようになっている階段は上がれんと思わんのか?」
「た たしかに・・・」
「そこでだ。おめーは海に向けて穴を掘る。そして、ポーリンは階段の周りの天井に何か所か穴を掘るんだ。そうすれば階段を下って来る水が分散して減るとは思わんか?階段から降って来る水が収まってきたら、一気に上の階に駆け上るんだ」
おー、お頭にもアドが降臨した?などと感心していたら、再び悪態を吐かれた。
「おめーが考え無しなだけだよ。ほれ、時間がねーんだ、さっさとやっちまえよ」
どこまで偉そうなんだか・・・。ぶつぶつぶつ。
緊迫した局面でいつまでも文句ばかり言っても居られないから、あたしは竜王剣をすらりと抜いて、ポーリンに指示された方向、廊下の壁に向かって立った。
海までどの位の距離があるのかわからない。だから、ある程度力はこめてもいいだろう。
あたしは剣を前方に向けて構え、目をつぶった。
そして、大急ぎで気を練り始めた。
「んんん・・・・・えいっ!」
溜めた気を一気に放出すると、まばゆい光と轟音を伴って、目の前の壁に人が立って通れるくらいの穴が穿たれた。
やったか?
目を細めて穴の中を覗き込んでみたが、真っ暗で何も見えなかった。だが、足元の水は音を立ててどんどん穴の中に吸い込まれて行くので、おそらくはうまくいったのであろう。
爆発音と、どしゃどしゃがらがら固くて重い物の落下音とどぽんどぽんと水が跳ねる音が背後でしてきたので振り返ると、そこではポーリンが絶賛天上打ち抜き作業の真っ最中だった。
彼女は言われた通りに、階段の周囲に直径一メートル程度の穴をぼこぼこ開けていた。
穴を開けると同時に、そこからは粉砕された天上の破片が容赦なく降り注いでいて、付近にいる兵士達が悲鳴をあげながら逃げ惑っていた。
次々に降って来る瓦礫と同時に、上の階を満たしていたと思われる水も大量に降り注いできている。だが、大丈夫だ。そんな水なんかあたしが開けた穴から全部流れ出て行くんだから、なんの心配もないはずよ。みんな安心していいわ。あたしは心の中でほくそ笑んでいた。
やり切った感で満足していたのだが・・・またしてもお頭にケチをつけられてしまう。
「おい、なんか変じゃあねーか?水の吸い込みが悪くなっているぞ?オメーちゃんと穴開けたんか?手ぇ抜いたんじゃねーだろうな?」
振り返ってみると、確かにさっきまでとは流れ込む水に勢いがなくなっているような・・・。
「そんな馬鹿な。あたしは、ちゃんと穴掘ったわよ。手なんか抜いてないもん」
「オメー穴掘り職人としての誇りはねーんか?ちゃんと責任もって最後までやれや」
なっ・・・。
「あ あたしは穴掘り職人なんかじゃあないもん!それにちゃんと穴だって掘ったもん」
「どうせ穴が海まで達していなかったんだろうがよ。ぶーたれている暇あったら新たに穴を掘り直せよ」
言い返そうと思って身構えたのだが、意外な人の一言によってあたしの反撃の芽は摘まれてしまった。
「ロッテ、その彼の言う通りかもしれないよ。お前の開けた穴は方角が少し違うかもしれないな」
その弱弱しい声は兄様だった。担架に乗せられて担がれたままの兄様は、担ぎ手の人に頼んで穴掘りの現場まで出て来ていたのだった。
「兄様、こんな所に出て来たら危ないわ。直ぐに脱出路は確保しますから、後少し部屋の中で待っていてください」
だが、兄様は寝たままあたしの左の手首を掴み、更に言葉を続けた。
「お前の掘った穴は方角が少し違うかもしれない。私の記憶では海に達するにはこちらの方角に掘らねば無理だ」
そう言うと、兄様は左手をゆっくりと伸ばし、廊下の壁を指差した。その方角はあたしの掘った穴よりも少し左だった。
「私の記憶が正しければ、おそらく海はこの方角だよ。だが、人の手で掘ったら何年もかかる大事業となるだろうね」
説明しようとしたら、お頭に先を越されてしまった。
「大丈夫ですぜ。こいつは歩く天変地異と言われて居て、こんな穴なんか一瞬でさあww」
「あ、ひどーい。そんな言い方ないわ」
ここは、しっかりと抗議する時だ。だけど・・・。
「時間はねーぞ。又水位が上がって来たぞ。ご指示された方角にさっさと穴掘れや。職人さんよ」
むむむむむむ、悔しいが、今は従うしかなかった。
再び剣を構えて気を溜め始めたのだが、今度はなぜかなかなか気が溜まらない。
やばっ、なんで?なんで?焦っても焦っても思ったように気が溜まって来ないのが判る。
どうなってんの?落ち着け、落ち着けあたし。こんな事簡単に出来るはず。あたしなら出来るはず・・・。
精神統一だ、平常心、平常心。
だけど、すんなりと集中をさせてくれなかった。
階段の近くにいた兵士が騒ぎ出したのだ。
「おいっ、なんだか足元暖かくなっていないか?」
「降り注いできている水、お湯に変わってきてるぞ?どうなっているんだ?」
どういう事?お湯?水がお湯に?何が起きているの?
ポーリンを見るが、彼女も不思議そうな・・・顔はしていなかった。
ポーリンの目は「悪いのはあんたよ」って言っている・・・気がする。
なんで?なんであたしが?
「おめー以外に誰のせいだって言うんだよ」
狭い廊下にお頭の怒声が響き渡った。




