第二十六話 陰謀の芽
竜族との会談から数日後、大雨にもかかわらず、中庭に妖精の蝶の群れがいた。
私は、とっさに傘を探したけれど、寝室に置いてあるはずない。このまま、私が土砂降りの中を庭に出れば、ずぶ濡れになってしまう。またエルシア達を、心配させてしまうのに決まっている。
私は、悩みに悩んで中庭を駆け抜ける決意をして、庇のあるテラスにそっと出た。
すると、蝶の群れがヒラヒラと私の頭上に集まり、結界を張り巡らせているのか、少しも濡れなくなった。
不思議に対する感動を、通り越してしまうと、呆れに変わるんだと思いながら、蝶たちと庭を横切り、蔦の葉をかき分けていく。
今まで『妖精の庭』へ行った日に、エルシア達は、私がお昼寝を抜け出している事に、一度も気付いていない。『妖精の庭』の魔法は、行く前から戻るまで効力があるらしい。なんて凄いのだろう!
『妖精の庭』に、招かれている …… と思う。誰に? 何に? はっきりとわからないけど、気紛れや偶然なんかじゃない。
シドとの巡り合わせる為なのかな? 私は、何者かの明確な意思を感じていた。
秘密の蔦の道を、どんどん進んでいくと、だんだん雨音が、遠ざかっていった。
……………… ありえない!!
私は、『妖精の庭』に向かっていたはずなのに、蝶たちともはぐれて、迷い子になっていた! 違う! 迷い子ではなく、知らない場所に紛れ込んだという方が正しかった。
私は、ピチャピチャとリズムを刻む波打ち際をたった一人で歩いている。
曇天の下の薄暗い砂浜へ、穏やかに打ち付ける波から、潮の香りはしなかった。さざ波の彼方に存在するはずの水平線は、白い霧に覆われていた。
ここは、大きな湖のほとりだった。
不思議な蝶の群れは、私を王宮の外へと連れ出したのだ。
でも、ファルザルク王国に、こんなに大きな湖があっただろうか? アレクシリスとのお勉強の時間に、リンジャー先生が見せてくれた王国の地図を思い浮かべてみた。
確か、小さな池や沼が点在する湿地帯なら、あった記憶がある。ファルザルク王国は、高い山脈からの雪解け水が流れる、河川の多い地形で、王都の近くも急流のシリン川が流れている。川の水を谷底から、水車で汲み上げて王都の水路に流し込み、生活用水にしている。近隣に、大きな池や湖はない。
急に、体を攫われそうな強い風が吹き寄せてきた。湖面の霧が、こちらへ流されてくる。
そして、岸辺は濃霧に包まれてしまった。私の視界は、真っ白になってしまった。
私は、霧の晴れ間を探し求めてヨタヨタと歩き出した。焦りと不安で、泣き出しそうだった。
ふと、胸の奥底にぼんやりと『精霊の種』が微睡んでいるような気配がする。あの会談から、『精霊の種』は眠り続けていた。『精霊の騎士』も、存在を感じない。騎士のくせに、私をちっとも守ってなくない?!
目を閉じて、自分の身の内に意識を向けると、淡い光の塊が、温かく感じられる。少し、ホッとした。
なんだろ? 気のせいでなければ、遠くでボソボソと話し声がしている。誰かいるのかもしれない。
私は、誰がいるのか分からない怖さよりも、心細さが勝って声の主達を探し歩きだした。
霧の中、ぼんやり明るい場所から、数人の男性の話し声がする。近くへ行きたいのに、歩けば歩くほど遠のいていく。
私は、近づけなくて焦っていると、ギョッとするような言葉が聞こえてきた。
………… 竜族は、王族が死に絶えれば、ファルザルク王国を去る。
盟友の血脈が絶えれば、契約竜も王国に留まる必要がなくなる。他国の血も、次代になれば薄まり意義を失うはずだ。
そうだ。いずれ、他国の竜騎士団も瓦解するのも時間の問題だ。
まことに、竜騎士団の存在しないファルザルク王国など、我が国の敵ではない。
王族と共に歩んできた …… 御当主が、自国を裏切るとは、一体どういう心境の変化がおありでしたか?
それを、話す必要は無い。
然り。
然り。
だが、国王も貴殿に裏切られるとは、夢にも思うまい。
よろしいのか、王国は戦乱の渦に飲まれるが? もちろん、周辺の国々もだ。
良い。そう、戦争になれば良いのだ。
では、ファルザルクの王族を根絶やしに …… !
呪われた王族に、死を …… !
まずは、第二王子、アレクシリスを亡き者に …… !
私は、ガタガタ震えて、顔から血の気が引いた。この人たちは、何を言っているの?!
ぼんやり明るかった場所は、いつの間にか消えてしまった。私は、湖のほとりで茫然と立ち尽くしていた。
ヒラヒラと蝶たちが飛び去って行く。まるで、私においでよと言うように、群れが誘うように飛んでいく。
私は、蝶たちの案内の後をついて、夢中で走った。庭への出口は、走りだしてすぐ近くに突然現われた。
明るい出口の方から、爽やかな風に乗ってバラの薫りがする。『妖精の庭』は、本当にいつもの様に、爽やかに晴れていた。
私は、庭の長椅子にシドの姿を探した。見渡せる範囲にシドはいなかった。
「シド様! どこですか? シド様!」
私は、息も絶え絶えになりながら、大声でシドを探して叫んだ!
私の呼び声に、シドからの返事はなかった。
でも、必ず居るはずだ。シドが居るから、私は庭に招かれるのだから!
私は、木陰を一つ一つ、のぞいて走りまわった。この庭に、大人が隠れていられるような場所はそれほどない。だから、一番隅の大木の下、木の幹を背に座り込んで、膝の間に頭を伏せたシドをすぐに見つけた。
シドは、いつものボサボサの頭ではなく、サラサラと流れる黄金色の長髪を、後ろにゆるく流して先の方だけ編んでいた。
あ、変装用のカツラをやめたんだ。
「シド様! 大変です!」
「 ………… 」
「シド様! 聞いてください!」
「 ………… 」
「~~っ! もう、叔父上様! 聞いて!!」
シド、アレクトレス=シドニール=ファルザルクは、伏せていた顔をがばりと上げた。
「!! 今更、叔父上様はやめてくれ! この庭では、シドと呼んでくれ! それより、いつから気づいていた! とにかく、シド以外で返事はしないからな!」
「そんな設定、どうでもいいから、聞いてください!」
「ど、どうでもいい …… 俺がどれほど悩んだか …… 」
私は急いで薄暗い岸辺で聞いた話しをした。シドは、聞きながら深く考え込んでいたけど、深いため息を吐いて、私をいつもの長椅子に誘った。
「お嬢さんが、聞いた話はおそらく、本当にあった事だろう。庭の精霊の魔法が、王宮の何処かであった事を、時々見せる事がある。大体が、王族の危機に関して警告してくるのだが、アレクシリスは、国王陛下の庇護下に置かれたし、竜族の杜若も傍にいる。そう簡単に、アレクシリスに危害を加えられはしない」
「でも、竜族の話や戦争だとか、ずいぶん具体的な話をしていて、もしもの事があったらと考えて不安です!」
「ならば、…… グレイルードに話せ」
「父上に話すと、この『妖精の庭』の事も話さなければならなくります。それに、後見人でなくなった父上に、出来る事は限られませんか?」
竜族との会談の後、両親は忙しく、私の寝顔を見にくるのがやっとの状態が続いている。
私は、自室にお籠りで、執務棟にお出かけするのも止められていた。エルシアは、やんわりと母上が心配するので王宮内が落ち着くまでの辛抱だと言っていた。
それから、アレクシリスと一緒のお勉強も、別々になってしまうそうだ。アレクシリスの事も、新しい侍従候補や杜若の立場をどう扱うのか等、決めなければならない事が沢山ある。
竜族は、アレクシリスと杜若の竜騎士の契約を受け入れてくれたけど、肝心の王国側の竜騎士団や関係貴族の根回しが終わっていないそうだ。
これからは、気軽にアレクシリスに会いに行く事も出来なくなってしまうらしい。
そして、父上はアレクシリスの使用人の取調べの後処理に追われていて、いつ寝ているのか分からないという。
私は、色々と思い出して、目の前の『近衛騎士団長』を、睨んでしまった。だけど、当人は、なぜ私に睨まれているのか解っていないような顔をしている。
「グレイルードは、『竜の鉤爪』の『鳶色の魔王』だ」
「何ですか?! その恥ずかしい名称は!」
「 …… いや、一部の貴族や他国の者には、その名称だけで震え上がるのだが …… フッ、確かに、恥ずかしい二つ名だな …… クックッ!」
「父上が、恥ずかしい二つ名を持っているのが、どうしたのですか?」
私は、かなり余裕がなかった。急がないと、アレクシリスの身に何か起きてしまいそうで怖かった。
「グレイルードは、表は近衛騎士団の副団長だが、陛下直属の諜報暗殺部隊『竜の鉤爪』を統轄する部隊長も兼任している。奴は、『鳶色の魔王』と影で呼ばれて恐れられていて、護衛騎士が表の警護なら『竜の鉤爪』は、裏の警護を担っている。事前に王族や要人の暗殺の危険を排除するのも、奴らの役目だ。グレイルードに対処させろ」
「諜報暗殺部隊『竜の鉤爪』を統轄 …… 父上が?」
頭脳派魔王様だと思っていたけど、実力を兼ね備えた正真正銘の『魔王様』でしたか! 娘としては、複雑な心境だった。
「グレイルードは、この庭には入れないが、この場所が何かも知っている。ありのまま、話しても大丈夫だ」
「もし、父上に話して、この庭に来るのを反対されたりしたら、どうすればいいのですか?」
「これまで、誰かにこの庭へ来るのを止められた事があるか?」
「 …… ありません」
「この庭の魔法は、怖ろしく強力だ。来訪者を招く為に『強制力』が働いて、ありとあらゆる不都合を起こせなくしてしまう。それよりも、お嬢さんは男達の声に聴き覚えはないのか?」
この庭の魔法は、もしかして最強なの?! 『強制力』って、そんな力の事だったの?
「私の知っている成人男性は、少ないですが、聴き覚えはありませんでした。若い男性の声は、少し訛りがあった気がします。あと、年配の男性の声は、低音だけど良く響く印象に残る声でした」
そうだ、喋っていた内容はともかく、一度でも聞いた事があれば忘れられられないほどの美声と言ってよかった。
「そうか …… それだけでは、特定するのは難しいな」
「何故、アレクシリスを …… ! 何故、王族はそんなに憎まれているのでしょうか?」
「お嬢さんは、何故王宮の文官が、いつも忙しいのか知っているか?」
それは、貴方が仕事しないからでは?! 私は『王太子殿下』を、ジトッとした目で睨んだ。
母上の執務室は、文官の長蛇の列がいつも出来ている。執務室の文官は交代制て深夜も働いている。休日はしっかり取れているし、お給料も悪くないらしいから、ブラック企業ではないけど、忙しすぎるのは間違いない。
だけど、人員不足? 制度の不備? とにかく、原因があるのなら、有能な母上なら、もっと早くに何とかしてしまいそうなのに、どうしてなんだろ?
「分かりません。なぜでしょうか?」
「ファルザルク王国は、王族や名門貴族に血脈を重んじる風習が根深くあった。その為、血族結婚を繰り返してきた歴史がある。長い年月の間に、王族と名門貴族に子供が産まれ難くなっていた。 …… と、ここまでは、わかるか?」
「はい。つまり、血が濃くなり過ぎたのですね」
「そうだ。そんな時、先代国王の治世に一人の『落ち人』が保護された。その『落ち人』の知識で、子供が産まれにくいのは、近親婚が原因だと解明された。先代国王は、血族結婚を禁止して、国法の改正と戸籍制度の制定を行った」
「『改革王』と呼ばれた、曾祖父様ですね」
シドは、私の言葉に苦い顔をした。
「先代国王は、他にも色々な改革を強引に進めた。貴族や国民に理解されないまま、法や産業の改革にも力を入れた。しかし、貴族社会は混乱して政治は荒れた。産業の改革では、ギルド制度を作って、新しい商人が一時的に増えたが、大商人達の反発を受けて、経済は悪くなった。『改革王』は、皮肉を込めた呼び名だ …… 」
「そうだったのですか …… 」
シドは、私にも理解出来るように、易しい言葉をなるべく使ってくれていた。私と『精霊の種』の知識の繋がりが、だんだん不安定になり始めているのだけど、今のところは理解できている。
「新しい婚姻法のために、戸籍制度を作ったおかげで、税収は誤魔化しが出来なくなった。多くの貴族の不正が発覚したり、処刑されたり、処罰されたりする者が大勢いた」
「不正が無くなり結果的に良かったのではありませんか?」
シドは、私の頭を撫でながら、話を続ける。優しい手は、かすかに震えている気がした。
「不正は、無くなった。しかし、国王は、その処罰で沢山の恨みをかったのだ。長年平和で、外敵もなく、強力な竜騎士団に護られたファルザルク王国の貴族達は、すっかり王族への忠誠心を失ってしまっていたのだ。貴族達が、国王に仕える最大の理由は、忠誠でも誇りでも名誉でもなく …… 金だ!」
シドは、吐き捨てるように言った。秀麗な顔を、長髪で半分隠してはいるが、お祖父様のお若い頃の肖像画にそっくりだと思った。
「国王を筆頭とした王族が、商会の経営者と考えればわかりやすいだろう。貴族は、商会の重役、或いは、系列の商家だ。平民がその従業員達。経営者に求められる役目は、儲けをだして、配下の生活を保障する事。煩わしい事を言わず、監視や干渉もせず、給金を沢山くれるお人好しが、配下にとって良い経営者なのだ」
シドの例えは、分かりやすいけど、極端だと思った。王国というからには、国王を中心に政治が行われる。でも、様々な在り方や内容があって、政治の責任は国王のみではなく、国政に関わりを持つ貴族にだってあるはずだ。あ、これはリンジャー先生の授業でまだ勉強中の話だ。
「だから、先代国王の性急な改革は、貴族も平民にも不評だった。『落ち人』の言いなりに、進められた改革は、貴族社会を混乱させ、王国の経済は破綻した。その年の冬は、辺境の農村で、大勢の餓死者まで出した。先代国王は、責任を感じて存命中に退位してしまった。まだ成人して間もない父に、全てを譲った。失敗の責任も、全てだ! 改革の混乱は、今も続いている。文官の仕事が尋常じゃないのも、改革の失敗が原因だ。貴族達は、未だに非協力的で、王族はその存在価値をぎりぎり保っている」
私は、その後の『改革王』が、隠居先の離宮で『愛妾』と暗殺されたと、歴史の授業で聞いていた。その『愛妾』が、『落ち人』だったのかもしれない。犯人は、今もわからないそうだ。
「今でも、不満の連鎖は徐々に悪化している。王族は恨まれ憎まれて続いているのだ」
「そんな …… 変えていけませんか? シド様は、母上の誤解を解いて、父上やお祖父様と協力して変えていけばいいじゃありませんか? 私も一生懸命お勉強して、少しでも助けになる様に頑張ります!」
「もう、無駄な事だ …… もう、遅い!」
「どうして、諦めてしまうの?!」
「流れた月日は、戻ってこない。この先も、俺とサンドラが普通の兄妹の様になる事はない ……!」
悲しそうに、悔しそうで、思いつめるような顔をして、シドは私に話して聞かせた。まるで、懺悔をするように …… 。
「 …… 俺達が、母の後ろ盾を失ったのは、お嬢さんくらいの年だ。王族とは名ばかりに、派閥の傀儡として離ればなれに育てられた。生まれて間もない妹とさえ、派閥の違いから、ほとんど会うことすら出来なかった」
「対立する派閥で育ったから、兄妹でも嫌い、憎み合うのですか?!」
「嫌われた方がいい。その方が諦めがつく」
「?」
「俺は、呪われた王族の血を、濃く引いたらしい。王族が、血族結婚を繰り返してきた弊害なのかもしれない。俺は、血族にしか深い愛情を感じられない。俺の初恋は、学園に入学する年だった」
「は、初恋?!」
私は、シド様の突然の初恋の告白に驚いた。『初恋』の言葉に、私の胸がツキリと痛んだ。
「学園に入学する前に、立太子をする条件として、婚約者になったのは、対立派閥の筆頭公爵家のシリスティアリスだった。俺は、顔合わせで彼女の隣にいた、不機嫌そうな付き添いの赤毛の少女に惹かれていた。婚約者ではなく、いつもケンカ腰の気が強い少女に恋をした。…… 初恋だった。だが、少女の名がアレクサンドリアだと知って、実の妹だと知って、初めて高鳴った胸の鼓動が、一気に凍りついた」
シドは、俯いたまま、私に言葉を綴り続けた。
「血族婚を認められていた時代でも、親兄妹の結婚は禁忌とされていた。いくら他人の様に育ったといっても実の妹だ。母の面影もある。だが、忘れられない。嫌えない。俺は、まだサンドラを愛している。これが、男女の愛なのか、家族に対する愛情なのか、それさえわからない。確かめる術もない。それに、俺はサンドラに、出会う前から近づく事さえ出来ないほど、嫌われていた。なにしろ、サンドラの大好きな、シリスティアの婚約者だったのだからな」
母上のシリスティアリス様大好きは、そこまで凄かったのか …… 。うん、私の名前の由来は、ほとんど彼女の名前だものね。誰も、止められなかったらしいよね。
「俺は、宰相達の愚かで操りやすい王子様を演じながら、いつか奴らを道連れに消えるつもりだ! そして、永遠にサンドラから、徹底的に一生涯嫌われ続けるのが望みだ …… 」
「どうして、そんな事まで私に話すのですか?」
シドは、ハッとした顔をして立ち上がった。そして、横顔を歪めて、諦めたように呟いた。
「この庭に、自由に出入りする為には対価が必要だ。庭の精霊に、俺が誓わされたのは、『沈黙は、許されるが、嘘をつかない事』だ。お嬢さんは、『精霊の姫君』だから、招かれているので対価は必要ないのだろう。この庭の精霊は、…… 残酷なくせに、とても優しいからな …… 」
私は、目の前の王子様に、何と声をかけたらいいのか、わからなかった。
お読みいただき、ありがとうございます。




