第二十五話 精霊王の憂鬱
まばゆい光が消えると、現実と異空間、寮の塔内と『精霊の種』の森の世界が、重なり合うような景色が広がっていた。
私の目の前の大樹と、深い森の木々が、半透明に重なって存在している様に見える。塔の天井の空が、稲光を映しているのに、穏やかな水面の光りの揺らめきが足元まで届いる。静と動の相反した光の演出が、不思議な空間を彩っていた。
足元の床は、苔や岩の形に高低差があるので、『精霊の種』の世界の方に近いのだと感じさせた。
頭の上を、紅い鱗の魚たちが、長い尾ビレをヒラヒラとさせながら群れをなして泳いでいる。小さな魚たちは、口から小さな泡を吐きながら、螺旋を描いて新緑の葉影に泳ぎ去っていった。
周りを見渡せば、塔の壁を越えて深い森が鬱蒼と続き、木々の間は闇のようだった。
薄っすらと重なる世界は、現実の塔内の広さと比べて、『精霊の種』の森が、広大で美しいのだと知らしめていた。
藍白や契約竜たちでさえ、水中で息が出来るのに驚きながら、呆気にとられた顔をしていた。今回は、体が浮いたり、流されたりしないけど、空気と違って動くと水の抵抗を感じる。
『マリー? 大丈夫?』
「遅いです! 『精霊の種』は、一緒にいてくれるのではなかったのですか?! 」
『ごめんなさい。でも、こっちだって大変だったの!』
『ギュゥッツ!』
私のすぐ隣に現れた『精霊の種』の足元で、妙な声がした。淡い光の集まりのような姿の『精霊の種』が、何かをギュッと踏みつけている。
それは、豪奢な銀糸の刺繍が入った濃紺の長衣を羽織った、額に細長い一角を持つ美しい青年だった! 苦痛に歪んでいるが、端正な顔立ちをしていて、柔らかそうな巻き毛が縁取っている。銀色の巻き毛は、精巧な銀細工の様に腰まで流れているのだった。
まるで、おとぎの国の王様のような美丈夫の背中を、少女の姿をした『精霊の種』が、ギュウギュウ踏み付けている。普通に考えれば、少女の足にそんな荷重がかけられるはずはないのに …… !
「だ、誰を踏み付けているのですか?」
『え? 誰って、精霊王』
「何をしているの!」
『え、えっと、精霊王が色々ひどいから、ちょっとお仕置き?』
『精霊の種』が、あわあわと私に言い訳をしている横から、藍白はひょこっと顔を出してきた。
「この子が、マリー姫の『精霊の種』?」
「 …… そのようですね」
私は、遠い目をしながら答えた。
「あ~あ。情けないな、精霊王」
藍白が、うつ伏せになって踏まれている精霊王に話しかけた。精霊王は、何も答えられなかった。
「せ、精霊王!」
「なぜだ! 精霊王を、まだ幼体のはずの『精霊の種』が足蹴に出来るんだ?!」
「うわー! 魔力で潰してるよ。重そう! 痛そう!」
「藍白、これは …… ??」
契約竜達は、いくらか落ち着いてきたのか、こちらに話しかけてきた。マイペースな藍白と、大慌ての契約竜たちでカオスだ。
あら? 『カオス』って何かしら? 多分、単語の使い方は合っているけど、知識が意味に繋がらない?!
『 た、助け、て、グフッ!』
『黙れ、外道!』
『精霊の種』は、相変わらず淡い光の集まりに見えて表情がよくわからない。だけど、激昂しているのは分かった。
「ねえ、何があったか知らないけど、一応、それでも『精霊王』だから、踏み潰すのはやめてあげてくれる?」
藍白が、ニヤニヤしながら言った。なぜ、そんなに愉しそうかな?
『 …… チッ!』
「女の子が、舌打ちなんて、お行儀が悪いよ」
藍白が、意外に常識的な注意を『精霊の種』にした。『精霊の種』は、一瞬息を飲んで、動きを止めて、藍白に何か言いたげな様子だった。でも、すぐに足元の精霊王に目を向けて怒鳴った。
『精霊王! 文句ばかり言ってないで、さっさと『精霊の騎士』の戒めを解きなさい!』
「『精霊の騎士』?」
私は、『精霊の騎士』の姿をキョロキョロと探した。
すぐ近くの巨岩の影に、黒い騎士が、蹲っていた。どうしたのかな? と、思いながらよく見たら、ギチギチと不気味な棘だらけの蔓草が、無数に騎士の体を這い回っていた。
蔓草は、鎧の隙間にも入り込み、騎士の傷を増やして肌から血をにじませながら締め付けていた。
「ヒッ! 痛そうです! 精霊王様、やめてあげて下さい!」
私も、状況を確認して思わず悲鳴をあげた。
『わ、わかった』
精霊王の額から生えた一角が、根元から先へと輝き、黒い騎士の縛が解けた。蔓草は、ボロボロと灰になって落ちて消えていった。
私は、『精霊の騎士』に駆け寄り傷の具合を見た。すると、見る見る間に傷も衣服の汚れや破れまできれいに修復されていった。
「精霊の騎士殿、大丈夫ですか?」
『 …… 姫君、大丈夫です。我が身の不甲斐なさに打ちひしがれる思いです』
「何があったのですか?」
『そこの精霊王もどきが、わたしの『精霊の騎士』を処分すると言ったのよ!』
『我が愛し子よ、酷い言われようだが、それは当然であろう』
解放された精霊王が、よたよたと立ち上がった。踏まれた背中に小さな足あとが付いていて、王様の威厳もへったくれもない。
『本来、其方をを守っていた『精霊の騎士』は、この者ではない』
『彼が、私の『精霊の騎士』よ!』
『精霊とも、妖魔とも判別できない得体の知れない者を、大切な愛し子の傍に置ける訳がなかろう?』
『 …… わたしをマリー姫に託した『精霊の騎士』は、私を守って、マリーの乳母の護衛騎士に、消滅させられてしまったの …… 』
『そうであったか …… あの男の仕業であったのか …… 死者を断罪することは叶わぬ …… 許せ』
精霊王は、眉間にしわを寄せ、沈痛な表情を浮かべた。『精霊の種』は、俯き悲しげに首を横に振った。
『わたしも、まだ微睡みの中で、良く解らなかったの。『精霊の騎士』が消えてから、ずっとわたし達を守ってきたのは、ここにいる『精霊の騎士』よ。どうして、わたしを主人として忠義を捧げるのか、理由を聞いても、わたしが主人だからだとしか言わない、困った子だけど信頼できるわ』
『誠に『精霊の騎士』に信頼足り得る者なのか? 我が、新たな『精霊の騎士』を選定してもよいが?』
『 …… 多少の問題はあるけれど、忠誠心と魔力だけはあるの。常識と使い方を教えれば、だ、大丈夫かも …… 多分?』
うん。『精霊の種』よ、私も不安だよ。
『それでよいのか?!』
『まあ、なんとかなるでしょう?』
『心配だ。其方は規格外な上に、魂が様々な運命の糸と繋がり、雁字搦め《がんじがら》めに縛りつけられているのを見て取れるというのに …… 』
『 …… 自覚している。精霊王、心配させてごめんなさい』
『よい。愛し子の心配をするのが、我の仕事だ』
精霊王は、自分の半分くらいの身長しかない『精霊の種』を抱きしめた。『精霊の種』も、精霊王に寄り添い、微笑んでいるようだ。二人は仲直りしたようで良かった。
『精霊の種』は、何だか照れている様だ。ほんのりと淡い光が、いつもよりあたたかい。
『わたしなら、大丈夫。マリシリスティア姫は、類稀なる魔力と幸運を持っているのよ。わたしは、彼女と共に導かれて、世界の為に新たな精霊として生まれる事が出来るはずだわ …… !』
「私、もしかして責任重大?!」
私は、『精霊の姫君』って魔力を提供して『精霊の種』を育てる役目だけだと思っていた。でも、私の精神や環境次第で、『精霊の種』がどんな精霊に生まれるのかに影響すると、だんだんわかってきた。
私だって、彼女を悪い精霊に育てるつもりは無いけど、どちらかと言えば、影響されているのは私の方だと思う。
『しかし、心配だ。こんなに、過激で好戦的な性格で、将来どんな精霊に生まれるのか、不安しかなかろう。やはり、監視役を兼ねた者をを他に …… 』
『精、霊、王、?』
『あ、いや、ははは …… 』
精霊王は、不穏な空気を感じて言葉を濁した。
「精霊王、今代の『精霊の種』に関しては、竜族に任せてくれない? 僕が、『守役』になって二人を見守るから安心して?」
『わかった! 白竜殿ならば安心だ。任せよう!』
精霊王は、それだけ告げると逃げる様に消えてしまった。精霊王が立っていた場所に、わずかな光の粒子がふわふわ浮かんで残っていた。やがて、その粒子も消えてしまう。
私は、藍白に訊ねた。
「藍白様は、何か特別なのですか? 他の竜族の方とどこか違うのですか? 身分とか、役割とか?」
「 …… 僕は、唯一の白竜だからね」
「 唯一の白竜?」
藍白は、聞き返した私に答えることなく、寂しげな笑みを浮かべているだけだった。
私は、藍白がこんな表情をするなんて驚いた。私は、藍白を大胆で、図々しいくらいマイペースな人物だと思っていたからだ。 …… ごめんなさい。
「よろしく『精霊の種』。僕は、藍白=バルシャだよ。これから、楽しくなりそうだ」
『 …… よろしく、藍白』
私は、『精霊の種』にしては、素っ気ない答えだなと思いながら、気になった事を訊ねた。
「精霊王は、『精霊の種』の父上なのですか?」
『精霊王は、全ての精霊の父親みたいな存在で、人間の様な血縁関係は無いの』
「そうですか …… 」
『あ! わたしも、さすがに疲れたから眠るね。おやすみなさい!』
「お、おやすみなさい」
重なりあった景色の、片方だけがフワリと薄れていった。あっさりと、元の現実に戻っていった。
「マリー姫も、よろしく。一緒にいる事が増えそうで嬉しいよ」
「 …… はい」
苦手な藍白が、四六時中一緒なのは勘弁して欲しい。父上と母上に、要相談だ。
奥の扉が開き、父上達が出てきた。
「父上、シィ様!」
「マリー!」
父上は、私の無事を確認すると、私を抱きしめて頬擦りした。アレクシリスは、私と目が合うと、頬を染めて視線を逸らした。
あ、ごめんなさい。色々聞いてしまったのだった。お互い、気不味いよね。だから、それには触れないようにしよう。
「シィ様、竜族に認めていただけて、良かったですね」
「ありがとう、マリー」
「一日も早く、正式に竜騎士と認められるように、応援してます」
「 …… あの、聞いていたよね?」
「 …… はい」
「 …… マ、マリー、僕は …… 」
「初恋を拗らせた弟よ! 執念深い粘着質な男は、醜悪なだけだぞ!」
王太子殿下は、アレクシリスを撃沈させる捨てゼリフを吐いて、さっさとご自分の護衛騎士達と帰っていった。
アレクシリスは、声をかけられないくらい、真っ赤な顔で俯いてしまった。
一番最後に、蘇芳が疲れ果てた顔をして出てきた。蘇芳のヨレヨレの背中から、哀愁が滲み出ている。
藍白が、そんな蘇芳に歩み寄っていったのだが、アレクシリスが素早く進路を塞いだ。そして、藍白の膝下を蹴り上げた! 藍白は、油断していたので避けられず、痛みに座り込んだ。
「痛っ!! アレクシリス! いきなり何をするの?!」
「藍白! 藍白は、どっちの味方なの?! マリーを、どうするつもりだったの?!」
「え~、面白いほうの味方かな? あ、アレクシリスは、やっぱり泣き真似だったの? 目も腫れてないし、涙のあともないしね。 わ、待って、つま先は痛いから! 痛いっ!」
「藍白のバカ! バカ! バカ!」
アレクシリスが、藍白の足の甲をゲシゲシ踏みつけていた。私は、その様子を見てびっくりした。
「アレクシリス、甘い。俺が、その馬鹿の足を踏み潰してやろう!」
「 …… 杜若、加減って言葉知ってる?」
「さあ? 忘れたな。それは、どこの国の言葉だ?」
「ええっ!? 本気? やめて! 謝るから、やめて! ごめんなさい!」
アレクシリスは、まだ藍白の足を踏みつていたし、杜若は脅しではなく、本気で魔力を溜めている。
でも、なんだか三人は、ケンカをしていても、じゃれているようで、とても仲良く見えた。
「では、会談により、アレクシリスの『竜騎士の契約』は認められるが、正式な契約成立は『誓約』を果たした後となる。マリシリスティア姫は、今まで通り、王宮で両親に育てられる。しかし、今度また何かあれば、精霊王の名において、マリー姫を竜族が保護する。それで、宜しいか?」
蘇芳は、会談の内容をまとめて発表していたが、契約竜達はどうでもいい感じだった。
「今更、何の話? しらけるよなぁ」
「藍白が『守役』になって姫君を守るって、決まりだよね」
「クッション …… 」
「なあ、リングネイリア。俺の部屋が雨漏りしているのだが、見てくれるか?」
「了解した」
「そうだ、蘇芳、おめでとう、親子の和解が出来て良かったね」
「最悪な会談内容だったが、面白かった」
「蘇芳、会談の内容は、みんなも聴いていたから、今さら発表しなくていいよ。効率悪いじゃないか。常識ないよなぁ」
「なあ~」
「 …… 」
いや、蘇芳の方が、常識的な考えだよ。蘇芳は、間違ってないよ。
蘇芳は、あんなドロドロな駆け引きを一人で行うのは、大変な心労だっただろう。竜王リングネイリアの登場や、アレクシリスの泣き真似とか、契約竜たちに追い討ちをかけられて、蘇芳は、反論する気力も無いようだった。
蘇芳、ごめんなさい。身内の男どもは、揃ってお腹が真っ黒で間違いない。
「マリー姫、今度は遊びに来てね!」
「僕らは、乱暴者の『精霊の種』より、マリー姫が大好きだよ」
「クッション、捨てないでくれて、ありがとう!」
「またね!」
契約竜たちが、見送ってくれていた。別れの挨拶に、若干『精霊の種』の悪口が混ざっていた。
こら、こら、後で必ずシメル! とか言わないの! 『精霊の種』が凶暴化している気がする …… 。
契約竜の寮は、結構な修羅場だったというのに、嵐の過ぎ去った外では、平和過ぎる光景が広がっていた。
赤竜の広げた翼の下で、エルシアと護衛騎士達が、雨宿りをしていた。ファンタジーだなぁ。
正確には、竜の周りに張られた結界の傘の下で、強風と豪雨を避けていたようだ。
次第に雨も、小降りになったし、風もそよぐ程度におさまっていた。空を流れる厚い雲も千切れて、明るい日射しが眩しく辺りを照らしている。
赤竜は、姿を人型に変えた。入口の扉の前にいた、契約竜の騎士だとわかった。エルシアが、彼に優雅なお辞儀をして、お礼を言っているようだ。
おや、遠目にもエルシアに対して契約竜の青年が好意的に見えた。
「エルシア!」
「マリー様! そのご様子なら会談は上手くいったのですね?」
「あ、うん、そうですね? 父上」
「まずは、帰ってからにして、後で話しましょう …… 」
エルシアは、脱力した私と父上を、不思議そうに見ていた。彼女にも、大変な会談だった事を、後で説明するつもりだ。
エルシアは、私を父上から受け取り抱き上げて、夕やけ空を見上げて指さした。
「マリー様、虹です。毎年、激しい雷雨の後に虹が出ると、季節が夏に変わった証と言われているのですよ!」
私は、これからの事を思うと、つくづく大変だと思う。
でも今は、夕焼けの反対側に出た、大きな虹を見上げていたかった。雨上がりの、新緑の香りがする温い風は、夏の訪れを告げていた。
「あ~あ。マリー姫と一緒にキプトで暮らしたかったなぁ」
「藍白、お前は黙っていなさい」
「はぁい♪」
藍白のふざけた口調に、蘇芳の額に青筋がピキリと浮いていた。
後に、この交渉劇は、竜族の長の蘇芳にとって、トラウマになったらしい。
この会談の後、どんなに小さな話し合いの席でも、決して一人ではなく、黄檗という藍白と同年代の若者を連れて行くようになったそうだ。黄檗は、竜族にしては珍しく交渉術スキルの高いタイプらしい。つまり、脳筋じゃないのね。
蘇芳は、竜族で一番常識的な人格者なのに、非常識扱いされてしまい、かなり気の毒だった。しかも、誰も蘇芳を労わなかったと、藍白が後で教えてくれた。
お読みいただき、ありがとうございます。




