オスカー視点:誘拐劇の裏側とハルスタッド一族
館に戻った僕はあの子を攫った犯人を手引きしたメイドを尋問しなければならなかった。
本当なら助けに行きたいのに、冷静を欠いているだろう僕は外されたのだ。僕の失敗であの子が髪の毛一本でも傷付く可能性があるから、そこは涙を呑んで上の判断に従う。
地下室であの子を裏切ったメイドと対峙した。メイドは既に拘束されていて、手足を縛った上で何もない地下室に閉じ込められていた。
「何故、あの子を選んだ?! あの子が何をしたっていうんだ?! お前に何かしたか?! 何もしなかっただろ。あの子は大人しい子だ。ただ生きていたってだけだろ?! そんなあの子をどうして攫ったんだ?!」
「はっ! 笑わせないでよ! ただ生きてただけ? あんたたち貴族はあたしたちのおかげで生きてんのよ! あたしたちが汗水たらして働いて得たものを掠め取って生きているくせに、何言ってんの! 一人くらいあたしたちがもらっても罰が当たらないはずよ!」
あの子を攫った怒りで目の前が赤くなるのに頭は女の言葉を聞いて冷えていく。
この女は何も知らない。
知ろうとしない。
庶民は読み書きすらできない者もいるとは聞いていたが、ここまで無知だとは知らなかった。
貴族は何もせずに庶民の上にふんぞり返っているばかりじゃない。
僕らハルスタッドは僕らにしかできない形でこの国に貢献しているのに、それに報いるのがこれか。
姉や叔母たちが、代々の女たち、男たちが我が身を削って生きてきたのにこれか。
これが我々への評価か。
我々に対する評価だと言って、私欲を満たす為にあの子を攫った。
あの子はまだ10歳だったのに!
まだ10歳なのに、寝込んでも家族の見舞いもなく、仲良くしたいと危険な外に出かけるくらい寂しい思いをしていたのに!
そんなあの子を地獄へと連れ去っても罪悪感がない。それどころか、当然のことだと言ってる。
あの子がどうなるのか本当に知っているのか?
「もらうと言うが、それがどんな意味を持つのか知っているのか?! あの子はまだ10歳なんだぞ!」
「いいじゃない。10歳だからって、あたしたちはお綺麗ごとは言っていられないのよ。スラムの子は身体売ってても10歳までほとんど生きられない。あんたたちは恵まれすぎているのよ! だいたい、あんたたちは王族相手に娘に股を開かせているくせに、なんで文句言われなきゃいけないのよ!」
姉や叔母たちを侮辱されても僕の心は凪いでいた。ああ、やはりこの女はわかっていないとしか確認できなかった。
それどころか、あの子にどんな運命が待ち受けているのかわかっていてやったことのほうが胸を締め付ける。スラムの子どもたちのことは可哀想だと思う。だが、それは守る大人がいなかったからだ。
子どもを守ろうとする大人がいない。子どもを搾取する大人しかいないことが原因だった。
この女のように、子どもの信頼を裏切るような大人しかいないから、スラムの子どもたちが長く生きられないのだ。
それを棚に上げて僕らを責める。僕らだって、できることなら自分たち一族以外も助けたいとは思っている。
しかし、僕らの力はわずかなものだ。
僕らはどこでもいるわけじゃないから、すべての子どもをこの女のような搾取する大人から助けることはできない。
すべての人を助けられない僕たちとは違って、姉や叔母たちは一族以外の為にも人生を捧げてくれている。
この国に住むすべての人を飢餓や他国からの侵略から守る為に人生を捧げてくれている。
他国の君主が女で国を混乱させない為に嫁ぐ王女を産むことでこの国に貢献してくれている。
妻の、母の、祖母の母国だからと侵略の意志を失わせ、旱魃や冷害で食糧難になればこの国が援助してもらえるように王女を産んでくれている。
それを娼婦と一緒にするな!
お前たちだってその恩恵を受けているくせに、それに気付かず、貶めるとは恩知らずめ!
「僕らを侮辱するな! 僕らは国の為に娘を差し出しているだけだ! くだらない欲望を満たす為なんかに誰が差し出すか!」
「そう言ってお高くとまっているけど、相手が王族かどうかの違いじゃない! あんたの姉たちも王宮で贅沢三昧、面白おかしく、王族を誑かして生きているくせに!」
姉や叔母たちがどんな思いで生きているのか知らないくせに!
ここだろうが、王宮だろうが、本家の娘は利用しかされていないのに!
それを贅沢三昧暮らしている?
面白おかしく暮らしている?
王族を誑かしている?
いい気なものだ。
心はどこまでも冷えていく。
頭もどこまでも冷えていく。
「姉たちがどういう気持ちで生きているか知りもしないくせに、勝手なことを言うな! 姉たちは王女しか産ませてもらえないんだよ。ハルスタッドの血を引く他国に嫁がせる王女。他国の王家が喉から手が出るほど欲しがるそれを産み出す為だけに育てられ、王族に嫁がされるんだ。それまでは一族の女子どもを狙うお前のような輩に対する囮に使われてな」
他国の安定の為に輸出される王女以外は必要とされていない。王女以外が生まれた場合は生まれなかったものとして処理される。生まれたばかりの我が子と引き離され、出産の事実すら忘れなければいけない運命。
生まれなかったとされた者はこの館に引き取られる。リアナ姉上の息子のように。
可哀想な姉たち。
幼いうちは囮として使われ、嫁しては駒として使われる王女しか手元に置くことは許されず、その娘も時期が来れば引き離されて二度と会えない。
それを当然とされてきた姉と叔母たち。
「今回は出入りの商人にも協力者がいて成功したようだが、これは例外にすぎない! 生まれてからずっと無防備な囮として育てなければいけなかったから、僕はあの子にかまうことを禁じられてきた! この気持ちがわかるか?! 可愛いあの子に僕がかまっていては、あの子が囮として役に立たないからと距離を置かなければならなかった気持ちが!! あの子がそのせいでどれほど寂しい思いをしようが、僕も父も母もお前のような私欲に駆られた人間が犯行に及べるようにと関心を向けないようにしていたことがあの子を傷付けていたとしても一族の為に我慢してきた。わかるはずがないよな。わかるなら、自分になついていたあの子を攫う手引きなどするはずがない」
各国にハルスタッドの血を引く王女が増えたおかげであの子は王族に嫁ぐ必要はない。
だが、あの子も囮として自分がどれほどの危険に晒されて生きているのかそれを知らされずに生きている。囮にする為に一族の特殊性も教えられずに育てられた。
自分がどれほど不幸でたまらないのか、それすらわからないように情報制限され、与えられた環境で与えられたものだけで満足するように、姉や叔母たちのように。
寂しさからあの子は僕の為に危険を冒した。囮とする為にそれほど追い詰めて育てるのだ。
愛情を欲するようにさせ、下心のある人間に付け入る隙を作らせる。そんなことの為にあの子は小さな胸を痛めていたのだ。
僕が何よりも守りたいと思っているあの子を、僕らは役目から傷付けなければいけない。
「何よ。罠だったって言うの?! あんなに簡単だったのは、罠だったってこと?!」
「ああ、そうだよ。僕らだって家族を守りたいからね。あの子は本家に生まれてしまった。ただ、それだけで一族の安全の為にだけ生きることを決められたんだよ。一族のことを知らせず、囮になるのも、自分の運命も知らされずに嫁がされるのもね。全部、一族と国の為。産んだ娘すら嫁ぎ先の国で国王の寵を他の女に与えず、国政に目を向けられるようにする駒にされるんだ。そんな僕らにお前たちは何をした? お前たちの上でふんぞり返っている貴族だから何をしてもいいとお前はあの子を攫った。どこぞでおぞましいことをさせる為に」
「当たり前でしょ?! あたしたちだって生きてるんだもの、お金が必要なのよ! あたしたちじゃいくらにもならないけど、あんたの妹はそれだけで大金になるのよ!」
「それなら、ハルスタッドの男に色目を使えばいいじゃないか。ハルスタッドの黒薔薇なら男でも女でも、それが赤ん坊でも高く売れるからな」
赤ん坊と言いながら、僕の頭にアルバートの悲劇がよぎった。
アルバートは一族ではない女を愛し、妻にした。
それが悲劇の始まりだった。
アルバートの妻はハルスタッドの館に閉じ込められるのを嫌い、時折、子どもをハルスタッドの館に残して夫に外に連れ出してもらっていたらしい。それで味をしめたのだろう。
愚かな妻は自分の夫や子どもの危険も考えず、子どもに外の世界を見せてあげたいと言いはじめた。
アルバートは妻を愛していたから、今度も彼女の望みを叶えようとした。
そして、妻子を連れて外に出かけたアルバートは妻と子どもを人質にとられて監禁されることに従うしかなかった。
あんな女の命など無視して子どもを助ければよかったのに、アルバートは愚かな妻を愛していて、子どもを人質にとられて叫び続ける妻を見捨てることができなかったのだ。
愚かな妻は犯人たちからアルバートの子どもがいるかもしれないと放置されたが、アルバートはハルスタッドの子どもを作らされた。
翌朝、一族の者が彼らを助け出した時には子どもは売り払われた後で、後々売り払われる子どもがいるかもしれない女たちをアルバートは殺した。
子どもに外の世界を見せてやりたかっただけなのだと、アルバートの愚かな妻は言っていたそうだが、本当はハルスタッドの館に引き籠って暮らすことが辛くなっていただけにすぎない。それで自分だけが外に出るのに文句を付けられたくなかった彼女は、子どもを口実に使ったのだ。
何年もハルスタッドの館で暮らしていて、一族の女子どもを外に出さない理由を知らなかったはずはないのに。
アルバートの子どもも救出されたが、攫われ、両親と引き離されて売られたショックが大きかったという。
アルバートが愚かな妻を赦せても、一族は彼の妻を赦せなかった。夫と子どもの命を、身の危険を考えず、外の自由な世界を望んだ愚かな女を。
それ以降、一族では一族以外との婚姻はアルバートの悲劇を生むと避けられている。
「自分の子どもを売る為に産みたいなんて思わないわ!」
誰だってそう思うだろう。
僕らハルスタッドの男たちだって、最初に教えられることはどんな状況でも死ねる方法だ。自衛手段は持っていても、それでも囚われてしまった時、一族の救出が間に合わなかった時はまだ見ぬ我が子が商品として売られたあとの悲惨な人生を送らされるよりはと、自死ができるように学ばされる。
それは僕らを狙っている相手も商品としてハルスタッド一族を増やすには多くても年に2回しか産めない女を母体にするよりも、母体をたくさん用意して産ませられる男のほうが便利だと知っているから。
女は商品にしかならないが、男は商品でも繁殖用にも使える。
女なら増やす前に死んでしまうことがあるかもしれないが、男は本人が死んでも子どもができている場合がある。
確実に増やすなら男のほうが女よりもいい。
そんな至って単純な理由のせいで、僕らは性別がどちらであろうが狙われる。
「僕らだって、そうさ。自分の身内を売るなんてできない。でも、誰かが耐えなければ僕ら全員が狩られてしまう。だから、本家に生まれた娘を犠牲にするんだ。代わりに一族の男たちは国王の狗となって、邪魔な相手を屠り続ける。女たちは限られた場所に籠もって暮らす。それが一族が生き延びる手段だからハルスタッド一族は我慢しているんだ。子どもを売るとわかっている一族以外の女に手を出さないのもそうさ」
「そんな。じゃあ、さっき言ってたことは・・・」
「あり得ないことだよ。さて、あの子がどんな目に遭うかわかった上で攫ったんだ。それなりの覚悟はできているな」
「何を――」
僕は女に笑いかける。
夜の世界と闇の世界が部分的に重なっているように、ハルスタッド一族は夜の世界とも闇の世界とも懇意にしている。
娼館ならハルスタッド一族と思われる人物は保護する。
闇市場ならハルスタッド一族と思われる人物を取り扱わない。
ハルスタッド一族を欲しがっていても、国王の狗に手を出した時のリスクが大きいことをわかっているから彼らはそうするのだ。
ハルスタッド一族を攫うのはそのリスクを知らない者か、そのリスクを知った上でやっている者しかありえない。リアナ姉上のおかげでハルスタッド一族の魅力に憑りつかれた者が出てきてしまった。
そういった欲を煽る行動があの子を危険に晒す。
元々、ハルスタッド一族が国王お抱えの殺し屋であることを知らない者が自分の手の者を使うか、そういった事情を知らない下っ端を金で雇った場合しかなかった。
しかし、リアナ姉上の行動で、僕らが国王お抱えの殺し屋であることを知った上で攫おうとする輩が出てきてしまった。その手段は今回のように僕らの怖さを知らないか、金に困った人間を使うこと。
この女は金目当てに猛獣の檻に入って、手を出してきたのがその証拠だ。
闇の世界の上層部はハルスタッド一族が我が身を守る為に高位貴族を手にかけることすら許されていることを知っている。
そういった前例を持つ故に、ハルスタッド一族が国王以外の生命与奪権を持っていることを知っている。裁判もなしに執行する権利があることも知っている。それが国王の狗として生きることと娘と孫娘を国の為に犠牲にする代償。
この国の闇の世界の闘争に巻き込まれて、闇の世界自体を壊滅させかけたこともある。その為に他国の闇の世界から手も伸ばされたが、そちらの国でもハルスタッド一族は王族の外戚関係だ。
闇の世界を自由に野放しにするなどそんな恐ろしい真似をどの国だってしたくない。それを牛耳れるように手綱を付けるのと引き換えに手出ししてきた輩を見せしめの意味も含めて、相当の対処をさせてもらった。
だからそれを知っている闇の世界の人間はハルスタッド一族に手を出さない。
ハルスタッド一族に手を出せばどんなに利益を産むと知っていても、この国の王や他国の国自体に保護されている狂犬に敢えて手を出すような真似をする者などいない。
「僕らは王に仕えながらも闇に生きる一族。お前に売られたあの子がたどる以上の未来を用意することは簡単なのさ」
自らの未来が見えたのだろう。女は恐慌に陥る。
自分ならそうなるような未来をあの子に与えようとした女の浅ましさに吐き気がしてくる。
「あたしにそんなことをしてもあんたの妹は帰って来ないのよ! あたしだったら、仲間の名前も知っているし、」
青い顔で慌てて取り繕うように言うがもう遅い。
この女はあの子に対して何の感情も持っていない。なついてくれたあの子を金と引き換えにすることに良心の呵責もなかった。
そんな女に情状酌量も何もない。
出入りの商人が共犯だとわかっている時点であの子のことは一族が救い出しているだろうから、この女は自分の立場を良くする機会は既になくなっているのに気付いていない。
「それは必要ない。出入りの商人が共犯だとわかっているし、今頃、あの子はこちらに向かっているはずだ」
「じゃ、じゃあ、――」
藁にもつかみたい気持ちなのだろうが、その藁は女自身が焼き切っていた。
「僕らはお前と何も取引はしない。そんなに金が欲しいなら、自分で稼げるところを紹介するだけさ。娼館よりも闇のほうが高く稼げる」
より具体的な未来を提示され、女は首を横に振る。
「いや、やめて。あたしには病気の妹がいるの。傍にないと――」
病気の妹?
ふざけるのも大概にして欲しい。
あの子を攫うのに手を貸しておいて、自分の妹は助けたい?
あの子を攫うのに手を貸した金で自分の妹を助けると選択した時点で赦せるものではない。
同じ妹を持つ身ならと考えて、助かりたい一心で口から出まかせを言ったにしても性質が悪すぎる。
あの子を攫うのに手を貸しておいて、僕の情けに縋ろうとするとは。
僕がそれを赦せるとでも思っているのか?
あの子なら赦すだろう。
綺麗なものだけを見て、綺麗なものしか知らないように育てられたあの子なら。
与えられたものだけで満足するように育てられたあの子なら。
あの子が赦そうと僕は赦せそうにない。
僕は人間の悪い面を見せられることもなく、純粋に籠の鳥として育てられたあの子ではない。
僕は人間の悪い面を見せられ、一族を守る為に我が子に犠牲を払わすことを求められている身だ。
一族の安全の為にも見せしめは必要だと当主として育てられた自分が告げる。
「僕にも妹がいる。お前に攫われた妹が。僕の妹を売る為に攫っておいて、お前は病気の妹の為だからと赦してもらおうとは虫が良すぎないか? ――せいぜい長生きできるように頑張るんだな」
冷え切った心が叫んでいる。
赦すなと。
そうとも。赦す気などない。
そういえば、この館の使用人は住み込みで外出できるのは年に何回かだということを、女を引き渡してから思い出した。
もっと冷静にならなくては。




